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文系大学院卒の女が一般企業に就職したら?

はぁ。今日も窓から見える空は綺麗ですね。

私は文系大学院(修士)を卒業して社会人になり、休職し、精神病棟に入院している女である。

世でいうアラサーというやつだ。

あー。世間は何でもかんでも型にはめたがるな〜。

アラサーだとか、年増だとか、老害だとか、、、。

何はともあれ本題に入ろう。
私は修士号を取得した後、一般企業へ就職した。
理由はお金と度胸が無かったから。

本当は博士課程に進学したかった。奨学金を借りていたが、これ以上借りるとなると返済が難しい額になることは分かっていた。
度胸に関しては金があろうが、なかろうが関係ない!研究者になる!という度胸が無かった。
本当は研究者になることが目標だったのだ。

新卒で民間病院に入社した。
まずは仕事内容について。
病院に就職したのは緩和ケアに携わりたかったから。
宗教を研究した私は人の死に対する苦しみを理解したい。支えたい。という思いがあった。
しかし、現実は違った。人事配置がある。
そこで緩和ケアを志望していたが、配属されたのは全く違う部署であった。

医師事務作業補助に配属。

、、、。
やはり希望とは全く違う部署であった。
勤務していても、ドクターの指示を汲み取ってデータ入力したり、その他の時間は行政に提出する文章を作ったりしていた。
一つ経験できて良かったと思える事がある。
集中治療室での診察に同行できた事だ。
集中治療室では、本当に生きているのか分からない位の患者さんが多くいた。
手足から壊死し、呼吸は管を通して行われる。
意識があったとしても、目を開けることも出来ず、小さくうなる事しかできない患者さんを見てきた。
その方々のカルテを見る事も出来た為、どのような経緯で現段階の状態に至ったのかを見る事が出来た。
そして当たり前だが、亡くなる患者さんもいた。
隙間時間に集中治療室の患者さんのカルテを開くと亡くなっていることが判明した事もあった。

あぁ、やっぱり無理だよな。あの状態から健常者の状態に戻るのは難しいよな。
なんとなく亡くなるのは時間の問題って感じあったけど、、、あの状態のことを言うのだろうな。などと思っていた。
不謹慎な事だが、このような経験はなかなか出来ないと思った。

そして、問題の人間関係。
私の配属部署は女性しかいなかった。
いわゆる大奥のような場所だ。
ドクターから気に入られれば妬まれるし、気に入られた人間はそのドクターのヒエラルキー(病院カーストのようなもの。院長が偉く、次に副院長など。)を利用し、
ドクターに告げ口。ドクターからの注意が他のドクターに入り私達の誰かが注意される。
そのような感じであった。
今考えただけでも、ドロドロしていた部署だったと思う。

とある日から部署内で変化が起きた。
挨拶はしてくれるものの、一部を除いて無視されるようになった。
よく分からなかったが、無視されても根気強く話しかけ続け、返ってきた返答が

「あなた、大学院いってたんでしょ?なら教えなくても仕事できるよね?」

だった。

はい?

私の心の中はハテナ?で一杯だった。
教えて貰えないと仕事分からないんですが、、、
と思っていた。
しかし、ドクターが部署に顔を出している時は話しかけてくる。
その隙を狙って教えてもらったりしていた。

しかし育児期間で仕事している部署のトップ(以下トップとする)と同期は話してくれていたので、いつも2人に頼っていた。

トップの部屋に行き、文書の作り方を教わる。
トップが帰る時間になると、自分のデスクに戻り、教えてもらったように文書を作ってみる。
次の日にトップに添削してもらう日々の繰り返しであった。

またここで問題が出てきた。女社会ならではの陰口。

「トップに気に入られてるからって調子乗ってるよね〜」

と聞こえてきた。
正直、無視されるから教えてくれる人の所に行っているだけですが!?

という感想であった。
トイレで泣く日々が続き、ついにはストレスでメニエール病を発症し失神。左耳がほとんど聞こえなくなり、退職した。

大学院を卒業(修了)する時、教授から言われていた事がある。
「世間には学歴コンプレックスがある。けれど逆歴コンプレックスってのもあるんだよ。学歴が高いから妬まれたりするだろうけど、気にしないようにね。」
と言われていた。
まさに気にし続けた結果の退職である。

退職後、客観的に考えてみた。この病院では差別ありそうとは雰囲気的に思っていたけど大学院卒ってだけで急に無視とか始まるんだなぁ。隠して欲しかったなぁ。世間って怖いなぁ。というか、やっぱり女社会向いていないわ。女子校の時分かってたやん。なんで今更気づいてんねん。

という思いであった。
1つ目の会社は終わり。

2社目は転職で事務員として入社。受付なども後に兼務することになる。

仕事内容は接客業だった。お客様の要望を記入し、会計してもらう。時にはお客様の相談にものる仕事だ。
接客業は高校生から大学院までやり続けていた仕事であったし向いていると思った為、選択した。
入社し、驚いた。
また女性社員ばかり、、ほぼ大奥の部署、、、。
男性社員が数人いた為、少しは安心できた。

今度は大奥になりませんように!!!!!

心の中で心底願った。
数ヶ月勤務し、あら?びっくり。
女性社員は全く何も(いじめなど)ない。
寧ろ、丁寧に仕事を教えてくださる方ばかりだった。
大学院卒ということが判明しても、普通に受け止めてくれた。
(何で上司が口滑らして私が大学院卒である事言ってんねん。とは思ったが、、、)

しかし、事態は急速に一変した。
配属先のトップだ。
可愛い、綺麗など他の社員がいる所でも言われ、他の女性社員に少し陰口を言われそうになっていた為、トップに

「可愛いと言うのやめて下さい。言うのであれば、社員皆さんに言って下さい。お願いします。」

と言った。

「分かった。」

と言われた。
が、、、全然分かっていないようだった。
そこからが地獄の始まりだった。
急に私への当たりが強くなった。

最初は
クレームが来ている。社員からの評判が悪い。など、根も葉もない事を言われただ謝ることしかできなかった。

しかし中盤から人格を否定されるような事を言われるようになった。
社会人としての自覚がない。体調が悪くても出勤しろ。倒れても帰らせるけどな。やる気ないですよね。ちゃんとやって下さい。など、言われ続け次第に疲弊していった。
私も論理的に話が通っていないのは分かっていた為、
「説明して下さい。この点が分かりません。」
などと勇気を出して質問?というか、人格否定の撤回?を求めたが、論理的な話になると怒られた。

終盤はもう、話す元気も無くなった。
この人に何言ってもダメだ。話が通じない。
ここからはただ、耐える日々。
体重も落ち、もうダメだ。と思った。
けれど、ここで部署のトップに負けたくない。

という思いがあり、社長に会いに行き話をした。
社長は、100%私の話を信用するわけでもなく、正当に話をしてくれた。まぁ新入社員と何十年も勤めている社員とでは信用が違うのも分かっている。
しかし、いち新入社員と話をしてくれるだけでも、ありがたかった。
この社長には生きているうちに恩返ししたいと思った。

ドクターストップの後に休職、現在入院している訳だが、社長から手紙が届いた。
内容は伏せるが、まぁ部署のトップが上手く監視カメラなど使って言っているんだろうなという感じ。まぁ事実も含まれている事は確かだ。
自分に不利な事は言っていないんだろうなという印象だった。
しかし、その情報を全て信用しているような文章ではなかった。

社長には一生ついていきたい。でも、部署のトップとはやっていけない。辛いんだよ。ご飯食べれなくなって15キロ減った。辛かった。休職中も会社の事話すだけでも失神して何度も救急車に運ばれた。精神疾患を患っていたけれども、会社に入ってから傷病名が増えた。もうこれ以上、不健康になりたくない。

今その葛藤の中にいる。どうするべきかなー。と考え中である。
良くも悪くも部署のトップに振り回されてる社会人生活だなぁという感覚だ。
兎にも角にも、世間様のいう大手の会社に入社して、正社員でボーナスも貰うという王道なレールから外れてしまったのである。

入院前、入院に際しての診察で医師が私の彼氏に尋ねた。
「彼氏さんから見て、いつからこのような状態になりましたか?」

彼は

「社会人になってからです。それまでは明るくて沢山喋る子でした。それが、どんどん喋らなくなってきている状態です。」

と言った。
最後のバイバイをして彼の姿が見えなくなってから泣いた。
本当にごめん。沢山負担かけてごめん。大切にしてくれているから、ここまでやってくれてるの分かっている。本当は私が力になりたかった。でも、逆なんだね。

と感謝の気持ちと自責の念に駆られた。

入院して数日後、少し症状が安定してきた。
未だ、身体を支える補助器のようなものがないと歩けないが、辛い記憶を少しずつ消化していっている。
最も辛いのは複雑性PTSDである。
急にフラッシュバックしてきてパニックになる。
どうしようもないのだが、それで食事ができなくなったりするのだ。
しかし、経過は順調になる気がしている。

文系大学院卒の女が一般企業に就職したら、嫉妬され、いじめにいじめられ、精神疾患が悪化して入院しました!!!ちゃんちゃん!!!
で終わらせたくないので、社会に出て学んだ事も含めて今後どのようにするか考えてみた。

今後に対して考えていることを書き留める。
まず原点に立ち返ろう!
そもそも私の性格とは?
・特に物事に対して好き嫌いがハッキリしている
・嫌な事、苦手な事はとことんできない
・好きな事はどれだけやっても苦ではない
・五感が異常に鋭い
・多少身体を動かしたい
・感受性が強い

↓(故にどのような仕事が向いているか?)

・好きだと思える仕事に就く
・感受性が強い為、攻撃的な人が多い市場は避ける
・心身共に健康を損ねそうになったら、すぐ逃げれる?環境に身を置く。
・理解ある上司の元で働く

ということだ。
そもそも研究者になりたいと思う程、宗教や文学、歴史学に興味があった。こだわりが強いのである。修士課程に進学しているのが証拠であろう。


さて、社会にでて学んだ事とは?
案外、集団行動を求められる。いわゆる空気を読むってやつである。小学校と同じだ。ただ、そこには責任が生まれるかの差しかないように思えた。
足が速い、成績が良い人が先生から褒められる。そこに足を引っ張る奴もでてくる。また、そこでは暗黙の了解も存在する。いじめられている側はいじめている側に対して臆病になり、いじめている側は、そこにつけ込み付け上がってくる。
社会でも同じだ。
努力して大学院を卒業(修了)した。そこで妬む人もいる。謝るのが癖になっいた私に、ここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせる。出る杭は打たれるというやつだ。直接言ってくるならまだ良い。勝手に噂をされ、尾ひれがついていく。そしてなんとなく避けられている気がする。そのような状況が1番辛いのだ。

集団行動できて、空気が読める。尚且つ空気に従って行動できる人が社会に出て上手くやっていけるんだろうなと思う次第だ。

私の学生時代は学校には行っていたものの、単独行動が多かったし、高校に関してはほとんど行っていない。
これでは社会に馴染めないのも納得だ。

しかし、自分に対して希望もある。
アルバイトは長く続いたことである。
高校生からアルバイトを始め、大学院を卒業するまで継続してする事ができていた。
故に働く事が嫌いではない。環境が影響することがほとんどである。
蕎麦屋は5年勤めたし、逆に高級イタリアンは2週間で辞めた。
自分に合う場所はずっと居れるタイプなのだ。

だから、今後に関しては第一に復職できれば御の字(本当は体と心を治して復職したい)だが、もしダメだった場合、別の策も練らなければならない。
正直、今考えているのは退職になった場合好きなアルバイトをして、ダメだったらすぐ去る。自分に合った会社が見つかれば、そこに長く勤めるというものだ。
まぁ将来?10年後くらいに叶えたい夢もある為、心身を壊すデメリットを考えたら浪人のような生活も有りだろう。
やっとこの状況になってから気づいた。

結論!
やれる事、出来る事をやる!
出来ないものは出来ない!潔く諦める!
やれる事に関しては自信を持つ!

という事だ。
周りが正社員ばかりで見落としていたが、フリーターでも生きていける。気づくのが遅すぎた。
故に、今の会社がクビになったらどうしよう。と自分で自分の首を絞めることなく、療養しようと思う。(実はつい最近まで本当に不安で仕方がなかった。)
クビになったらなったで、そういうご縁だったのだと受け入れようと思う。

まとめると、
・学歴フィルターは存在する
・一般企業では学歴フィルターを隠した方が無難
・学歴は関係なく、自分が好きで且つ得意な分野で働く事が大切
・客観的に見て自分の体力で仕事量をこなせるか判断する。

という結論に至った。
もし、私は今後どのような形であれ天寿を全うするまで生きていくだろう。

その時に、全ての物事に対して自分が納得できる取捨選択をするつもりだ。
そうしないと後悔すると思うから。
神様?仏様、いらっしゃるなら、社会人の正社員として働く厳しさを教えてくれて、ありがとう。
失敗も成功も、今までしてきた経験は全て私のもの。
失敗から学ぶという言葉があるように、私の人生のコレクションには失敗作品も沢山ある。沢山あるからこそ、成功作品が光り輝いて視えるのだ。

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