祖母の言葉(傷は人生の勲章)
私は祖母との会話で、衝撃と同時に勇気を貰った言葉がある。
「身体に傷が沢山あることは、これまで頑張ってきた証拠。勲章だから何も恥ずかしいことはない。自信を持ちなさい。」
この言葉を貰った経緯を書き留める。
私は高校生から大学院までアルバイトと学業に専念していた。
様々なアルバイトをした。接客業が主だったが合わない(かなりストレスだった)と思い、飲食店のキッチンをしていた。
キッチンは大変な仕事だった。油は飛んでくるし、生傷が絶えない。未だに火傷の痕が腕に残っている。
実生活ではリストカットもしていた為、マシにはなったが傷跡がある。
そして、中学受験やら幼少期の頃から勉強熱心だった為、指は鉛筆ダコを通り越して爪が変形している。
造形的には醜い身体になったもんだと思っていた。
大学の学士論文を書き終え、久しぶりに会いたいと思い立ち祖父母の家へ向かった。
肌寒い冬の時期である。
祖父母は四国にいる為、昔から会うのは年に一度くらいであった。
京都から四国まで行った。
そこで数日間、久しぶりの再会を楽しんだ。
この数日間の間で、私は譲れない事があった。
お風呂。
風呂場は寒い。
しかし傷跡を見せたくなかった為、いくら寒くても脱衣所で服を着てリビングに行くようにしていた。
祖母からは
「寒いから下着履いたらリビングで服着なさい。」
と言われていたが醜い身体を見せたくなくて拒んでいた。
心配した祖母は4日目にして風呂を上がったタイミングで脱衣所に来た。
見られた。恥ずかしい。ごめんね。こんな傷だらけの身体で。心配かけちゃうよね。
という思いが心で一杯だった。
下着を履き終えると祖母が服を持ち、暖房が効いたリビングに連れて行った。
暖かいリビングの中で気づくと泣いていた。
祖母は
「あんた、この火傷はバイトか?大変な仕事してるんやな。この傷(リストカット)はお父さんから聞きていたけど大変やったんやな。ここまでよく耐えたもんや。偉いな。」
と言った。
心配されると同時に叱られると思っていた私は驚いた。
バイトの火傷もリストカットの傷も両親からは否定的な意見ばかり言われてきたから。
「女の子なんだから傷ができる仕事は辞めなさい。リストカットする奴は弱い奴がすることだ。」
簡単に言えばこの様な事を言われてきた訳だ。
バイトしないと生きていけない。リストカットしないと死にたくなってしまう。
何で分かってくれないんだろう。でもそんなこと言えない。
その中で祖母は偉いと褒めてくれた。
泣きながら私は言った。
「ごめんなさい。傷だらけの身体で。バイトも自分が出来る事やった。リストカットも辞められなかった。心配かけてごめん。本当に恥ずかしい。」
少しの沈黙の後、祖母が
「何が恥ずかしい事があるもんか!この傷はあんたが頑張ってきた証拠やないの!何も苦労した事ないお嬢様みたいな子は綺麗な身体しとるかもしれん。そんなんに何の価値があるんか?そんな子に魅力はあるか?あんたは特別なもんを持ってる。うまく言葉にできんけど何か分かるんや。この傷はあんたの勲章や。これまで頑張ってきた、苦労して出来たもんや。自信持って生きな!」
と大きな声で言われた。私が知っている祖母は大声を出さないから驚いた。
私は心がぐるっと変化したのを感じながら
「ありがとう。本当にありがとう。本当は夏でも大学に長袖着ていかなあかん生活が辛かった。恥ずかしかったから。でも大学院からは自由に生きていける気がするよ。私、もう普通を気にするの辞める。それで良い気がする。」
と大泣きしながら祖母に抱きついた。
ひとしきり泣いた後、祖母は私の右手の鉛筆だこをさすった。
祖母は
「昔から頑張り屋さんやったもんなぁ。特に本は読んでたなぁ。会うたび知らない言葉を話す様になってきて成長してるんやと思った。塾に通って中学受験までして。勉強好きやったもんなぁ。この指見たら分かるわ。ずっと頑張ってきたんやな〜って。自慢の孫や。」
ひどく嬉しかった。また泣いてしまった。
祖母は続けて言った。
「親の事で苦労させて、すまんかった。自分が苦労したから子供に不自由ないように私なりに生活させてきたんや。甘やかしすぎた。あんたが不登校になった時も何度もお父さんを叱ったけど聞く耳持たへんかった。力になってやれんくて、ごめんな。」
私は祖母に抱きついて
「おばあちゃんは何も悪くない!いつも電話してくれたやん!いつも味方してくれた。大学の前期の授業料だって出してくれた!口では何とでも言えるけど、いざという時にやってくれたおばあちゃん、おじいちゃんには本当に感謝してる。本当にありがとう。」
2人で泣いた。祖父はコタツで見守りながらお茶を飲んでいた。
京都に帰る日、
「色々ありがとう。大学院で研究頑張る。また来るね。」
と祖父母に伝えた。
祖母は
「無理しないでしなさいよ。あんたは自慢の孫やなんやから自信持ってやるんやで。」
と言われて別れた。
帰りの高速バスで私の心が大きく変わったのを感じた。
とても清々しかった、心がとても温かくなっていた。
京都に着くと少し暖かかった。
いつも隠していた腕を袖まくりしてキャリーケースを受け取り帰宅した。