私の母(part1)
私の母は世間的にいう✖2というやつです。伝わらない人のために言うと2度離婚しています。今の時代は離婚すること自体特段珍しいことでもないため、そうなんだ程度にしか感じられないと思います。
実の父は、私が9歳になる頃まで一緒にいました。父はバイク乗りで、よく後ろに乗っけてもらい、いろいろなところにツーリングに行かせてもらっていました。
父親としては個人的によかったと思っています。愛情深かったような感じですかね。ただ母親目線からみると年を追うごとに浮気や家庭内暴力が増えていっていたみたいで、それが原因で離婚をしたんだよといわれました。ここまでは本当によくある話だと思いますし、自分も特段気にはしてはいなかったです。
20歳になり、東京の大学に進学をしていた私は地元での成人式に参加するため、年末年始の期間帰省をしていました。
地元の学生時代よく行っていたサイゼリアで、母親に20歳になったから話したいことがあるといわれました。普段の母親はそんなことを言う人ではないため、内心少しビビりながら、何?と聞きました。
「実はね、前のお父さん(実の父親)、もうこの世にいないんだ。」
「へ?」
当然の話過ぎてなんのことか全然理解できませんでした。自分の様子を見るなり母は、
「急にこんな話をされてびっくりしたよね。説明してくね。」
「うん。」
私は黙って母の言葉を聞いていました。
実の父は私が高校1年生のころにすでに他界していたこと。その父親が残した多額の借金を払わなければならなかったこと。借金のケリはついたこと。
他界とかいてますが、山奥で自殺をしていました。練炭での一酸化炭素中毒死です。なぜ、そうなってしまったのか私のなかで、整理が追い付いていなかったのを母が察し、
「あのひと(実の父親)はいろいろなところから借金をしてたんだよ。連絡がつかなかったから警察が自宅を訪問した際に、大量のはがき等々が郵便受けに無造作に入ってたみたいで、不振がった警察から私(母)に連絡がきて発覚したんだよ。」(離婚もスムーズにできなかったみたいで連絡先が残ってしまっていたらしい)
「あの人が亡くなったことと借金のことをあの人の実家(北海道の)に連絡したら、葬儀も借金のことも私たちには関係ないといってきたんだよ。自分たちの家族なのに。」
「それで?」
「借金返済を実家に頼ることができなくなったから、自動的に私が払わないといけなかった、払わないと次はあんた(私)にくる。それだけは意地でも防ぎたかった。親の不始末をあんたにまで迷惑をかけたくなかった。
「そうだったんだね、、」
「安心して、ケリはついたから、もう心配しなくていい。」
私は涙目になりながら、自分の母親がどれだけ自分のことを想い、母親の責任でもないことを背負って生きてきたかと思うと、胸が苦しくなりました。
それと同時にこれからどんなことが起こっても、母のことを守ろう、周りに味方がいなくても関係ない。これだけは自分に対しての約束として死ぬまで持ち続けようと決意しました。
私の場合は、母でしたが、人によっては父親かもしれませんし、おばあちゃんかもしれません。今回の場合、母親から告白されたこともあり、知ることができ、私の中で認識することができました。
ですが、告白をしないケースも多々あるかと思います。だからこそ、考えてみてほしいのは、自分の子どものためであれば、親は家族はどんな困難な状況になっても負けないということです。
普段は口うるさいかもしれません。でも、知らないところで親や家族から守られていることを忘れないでください。そういう姿が見えなくても感謝してください。大切にしてください。
4年たって初めて文章にしますが、これを書いているいまでも涙がこみ上げてきます。なかなか親孝行できていないので、今度帰省した時においしいご飯を一緒に食べに行こうと思います。(最後のほうは感情的に高ぶって皆さんに訴える風な文章になってしまいました。すみません。)
母へ、いつもありがとう。