オケピの妖精【朗読】
音楽をやっていた人なら、どんな天才でも必ず一度は思い出したくないミスをした経験があると思う。
数年前、町おこしで参加した学生オペラは私にとってのそれだ。私の住む町には3つの高校があり、それぞれの学校の吹奏楽部、演劇部、合唱部などの部活が協力しあってオペラを無料上演するという一種の地域活性イベントみたいなものがあった。私も吹奏楽部として参加し、地区で一番大きな劇場を借りて、人生初のオーケストラピットでの演奏に挑んだ。オーケストラピットとは通称オケピと呼ばれる客席と舞台の間に設けられる落とし穴みたいな場所だ。オペラや演劇などでBGMを生演奏するときに使われる。今回のオペラでも私達吹奏楽部がこの落とし穴に入って演奏をする。
オケピは別に珍しいものでもないのかもしれないが、学生だとそこに入って演奏をする機会は少ない。だからどんな雰囲気なのか楽しみでちょっとワクワクしていた。そしてオケピに興奮する私に更なる大役が回ってくる。何とクライマックスシーンのソロ演奏である。新しい経験に私は当日が楽しみで楽しみで仕方がなかった。
そして、ついに当日。この日オケピに入るころには気づくべきだった。私はあまりにもこの日調子が良すぎる。そんな日はほぼ間違いなく何か一つ大きな悪いことが起きる。それも昔っから。
大興奮で演目に突入し、曲もクライマックスに入ろうとしていた。私はソロに入るために指揮を見ながらテンポをカウントする。そしてタイミングを見て思いっきりソロを響かせるーーー。
気が付いたころにはもう遅かった。いつもならこんなミス絶対にしないのに、一小節入るタイミングを間違えてしまった。それもこの曲で最も大切なクライマックスのソロの部分で。一度大きなミスをしてしまうと人間は取返しがつかなくなるもので、その後もソロの演奏はボロボロだった。
私のミスを引き金に楽団全員の音も大きく乱れる。舞台上で歌う合唱部員たちにもこれには苦笑いすらできなかった。
のちにこのミスはオーケストラピットの悪夢とされ、とある漫画のタイトルに由来した「オケピーの原罪事件」という名前で暫くその3つの高校で語り継がれることとなる。悔しすぎるッピ、、、。
該当の事件の演目が終わり、私は舞台裏で他の部員に合わせる顔を探しながら一人楽器を片付けていた。さっきまでの私のテンションは一体どこに行ったんだろう?
わたしの顔が悔しさでもはや変顔のようになっているところに突然、役員証を首にかけた白髪で鼈甲眼鏡の中年の男性が現れた。
「おぉ!君!やっと見つけた!探していたんだよ!」
正直誰だか全く分からなかったがひとまず会釈をする。
間もなく男性は突然不思議な話を続けた。
「君のおかげでオーケストラピットの妖精が見えたんだ!君にとってもなついていたよぉ!」
え?今なんて言った?妖精?何かと聞き間違えたか?ってかこの人誰?
「あ、あの、妖精っていいました…?」
「おぉっといけない!!私はこれから用事があるんだった!頑張るんだぞ少年!じゃあ!」
ちょっと待ってくれ。突っ込みどころが多すぎるというか、謎が多すぎてもはや怖い!というか誰なんだ!?
物凄いスピードで不思議な時間が目の前を流れていった。
私は意味が分からぬままとりあえず楽器を片付け、学校に帰るバスに乗った。
この事件から一週間。吹奏楽部の部員たちから私の存在は完璧に無視されることになる。無論、先ほどの妖精?の話をしに来た男性のことを部員に尋ねても馬鹿馬鹿しい空想だと相手にされることはなかった。
あれから数年たった。あの事件のことは今となっては笑い話になっている。しかし、妖精の話をしに来たあの男性が一体誰だったのかはいまだに分からない。
私は今市民楽団でアマチュア演奏家として活動している。そして今日あの事件以来久しぶりにあの大きなコンサートホールのオケピで演奏する。いまだにこの場所に来るとあの時のことを思い出しゾッとするが、今度こそはミスなんかしない。私のできる最高の音楽をしよう。
今回の演目はミュージカル。そして今回も一番のクライマックスでソロを吹く。しっかりと指揮を見て、絶対に間違えないようにテンポをカウントして。いざその時―――。
結果は大成功。ミュージカルのクライマックスはスタンディングオーベーションで大きな拍手が会場に鳴り響いた。
あの時のリベンジというまでもないが、私としてもとてもいい演奏ができたと思う。
その時、指揮者の足元から拳ほどの大きさの白くてふわふわしたなにかが浮いてきた。何これ?動物?ホコリ?白い色のまっくろくろすけみたいにも見える。分からないけどちょっと可愛い。ってかこれみんな見えないの?
そのふわふわした何かは数秒ぷかぷか浮いた後、指揮者の頭の上にポンと乗った。
「ねぇ!見てよ!オーケストラピットの妖精が喜んでいるよ!」
ふわふわを頭にのせた指揮者が急に私に語り掛けてきた。そしてハッとする。この声、この白髪、そして鼈甲の眼鏡。オケピーの原罪事件の時私に話しかけてきたあの男性だ。彼は今回このミュージカルに客演指揮者として招かれている世界的指揮者だった。
「あぁ!あの時の!」
私がそう驚いた時。白いふわふわは指揮者の頭の上から舞台の方に浮いて行き、ミュージカルの主演の役者の鼻元へと飛んで行った。
会場は最後の最後まで大きな拍手に包まれた。
舞台の幕が閉まる直前、主演の役者は大きなくしゃみをして会場は大きな笑いに包まれた。