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未来に向けたカミングアウト: 27歳の決意

2024年11月19日、私は27歳になりました。多くの人は社会人として自立し、すでに子供がいて家庭を持つ人もいる年齢。そんな27歳になった今、私は1つ大きな決断をすることにしました。それは、これまで隠していた自分のセクシャリティを公開することです。

私は、ゲイです。


はじめに

まず簡単に自己紹介をさせてください。私は現在27歳の会社員で、占部雄飛(うらべ ゆうと)と申します。1997年に兵庫で生まれ、地元の小学校に通った後に、神戸市にある私立男子校の灘校で中高時代を過ごしました。その後、東京大学への入学を機に上京し、そのまま大学院に進学。現在は外資系企業に勤務しており、社会人3年目となります。その他明記すべき特徴は、3歳から18歳までの15年間ラグビーをやってきたこと、大学生の頃は生物学の研究者を目指していたこと、一方でファッションが好きで大学時代に自分のブランドを立ち上げて運営していたこと、です。

このnoteでは大きく2つの観点から、私のカミングアウトの背景を伝えたいと思っています。1つ目はどちらかと言うと個人的な、「カミングアウトに至るまでの経緯とその理由」から、2つ目は「社会人として日本のビジネス領域に感じる課題とそれに対する思い」から。特に後者は、まだ社会人3年目の未熟者が何を分かったような口を利いているんだと思う方もいるかもしれませんが、カミングアウトの決断をした現時点の私の思いを残すと言う意味でも、少し寛容な目で読んでいただけたら幸いです。


①カミングアウトまでの経緯

自分がゲイであることは中学生の頃から何となく気づいていました。女性に対して恋愛感情までは持つことはできるものの、それ以上の性的な感情は持つことができない。高2の時に塾で一緒のクラスになった女子のことを本気で好きになり、告白をしたものの、結局それ以上の関係になることができず、高3の夏に別れてしまいました。

ゲイの人と出会い、恋愛を始めたのは大学生になり東京に出てきてからです。すでに私が高校生の頃にはゲイのマッチングアプリは存在していたものの、やはり地元で会うことは知り合いにばれるリスクが高く、また危ないことに巻き込まれるんじゃないかという恐れもあり、踏み出せないでいました(そもそも高校生は年齢的にマッチングアプリをしてはいけないという理由もあります)。2016年の3月末に上京し、初めてアプリを通じてゲイの人に会ったのは4月の中旬。少し年上のその人はドライブで夜の東京の街を案内してくれました。まだためらいがあった私には、なにか悪いことをしているんじゃないかという罪悪感と、当時上京したてで東京の空気に少し酔っていたことも相まって、都会の光が何倍にも綺麗で特別なものに見えていました。

それからはアプリを通じて色んなゲイの人と出会いました。多くはないですが、一緒に新宿2丁目や新橋の、いわゆる「ゲイバー」に飲みに行く知り合いもできました。地元にいたときはほとんど自分だけだと思っていたマイノリティの人が、こんなにも沢山世の中にはいるんだということを知りました。そこで出会うほとんどの人は世間一般で言う「普通」の人がほとんどで、テレビで見るようなオネエタレントのような人はあまりおらず、多くの人は「普通」の見た目で、「普通」の仕事につき、中には女性と結婚して家庭を持っている人もいました。

自分と似た境遇にいる人達との交流は楽しく、徐々にゲイの人と会う機会は増えていきました。一方でそれらの出会いは、普段のストレートの人との出会いとは決定的に違う事が1つありました。それはお互いの素性を明かすことができないということです。自分が何をしていて、どのような組織に属しているかを言わないのはもちろん、お互いの本名すらも知らないまま交流することがほとんどでした。これまで何を積み上げてきて、今何を頑張っていて、何を目標としているかこそがその人を構成していると思っていた私にとって、これは大きな衝撃でした。普段出すことのできない自分のアイデンティティを表に出すためにこの世界に来ているのに、この世界では普段の自分を表に出すことはできない、どこか八方塞がりのような気持ちになりました。それだけ自身のセクシャリティが普段の知り合いにばれるということを皆が恐れていて、リスクのあることなんだということが分かりました。

一方で、大人になるにつれ自身のセクシャリティをオープンにできないことのフラストレーションは徐々に大きくなっていきました。男同士の友情こそが至高であると信じて疑っていなかった中高の同級生達もどんどん彼女を作り、女性や恋愛に関する話が増えていきました。お互いの全てを知っているはずの親友達に、自分だけ隠し事をして嘘の恋愛経験を話し続けることは、彼らの信頼を裏切っているかのようで悲しくなりました。それになにより、恋愛のように人生でとても大事で、思考含めて生きている時間の少なくとも2〜3割を使っている事柄を、他人に共有できないのは、圧倒的に不利なゲームを強いられているようでとても嫌でした


それがどうにも我慢できなくなったのは大学4年生の冬でした。10年目の付き合いとなる中高大同級生の友達2人に、初めてのカミングアウトをしました。ストレートの人に自分のセクシャリティを話すのは全くの初めてで、言った後に態度が変わってしまうことが怖く、逃げ場のない旅行中の夜に伝えました。大人になっているとはいえ、つい数年前までは高校でゲイの同級生をそれだけを理由にイジっていた友人達です、何か厳しいことを言われるのではないかという覚悟はありました。しかし、そんな悪い予想とは反して彼らは本当に大人になっていたのです。考えていた何倍もその告白に対するリアクションは小さく、「それがなんだ」といった感じで、返ってきたのは「打ち明けてくれて有り難う」という感謝の言葉でした。心のつかえがすっと取れていくような気持ちになりました。当たり前のように受け入れてくれた友達に感謝しながら、堰を切ったようにこれまで話せなかった自分の話をしました。何も隠さずに自分の話をできることがこんなにも楽なのかと感じました。

それから少しずつ、絶対に誰にも言わないでほしいという前提のもと、付き合いの長い知り合いには自分のことを話すようになりました。毎回ネガティブな反応をされるのではないかと緊張しながらの共有でしたが、世の中の変化は思っているよりも早く、否定的な反応をされることは一度もありませんでした。むしろ弱みとなりうる秘密を正直に打ち明けてくれたことへのポジティブな反応がほとんどで、伝える前よりもずっと関係性が強くなるのを感じました

自分のセクシャリティを打ち明け、自由に話せる友達が増えれば増えるほど、自分は何のために嘘をついているのか分からなくなって来ました。当たり前ですが、人に共有できる経験や、思考の幅が多様になるほど、それと関連したネットワークの広がりは大きくなり、それはセクシャリティとは関係のない機会や仕事の創出にも繋がります。自分がゲイだからと言う理由で、何かにチャレンジする時に全力で向き合えないブレーキ、もとい言い訳を作ってしまっているのではないかとも思うようになりました。修士2年生(23~24歳)になった頃には、いつか公に自分のセクシャリティをカミングアウトするということは心に決めていて、あとはそのタイミングをいつにするか、そして最も大きなハードルである「家族にいつどのように伝えるか」を決めるだけの状態になっていました。

私の両親は幸運なことにまだ若く、50代前半でした。とは言っても、地方で育ち、そのまま地元で就職し、家庭を築いていることから、それほど多様な人にこれまで出会ってきておらず、そう簡単には受け入れてもらえないことは想像がつきました。きっと数年後には息子は結婚し、さらに数年後には孫の顔を見ることができると思っていたことでしょう。そんなこれまで思い続けて来た彼らにとって「当たり前」の理想を、私の一言で崩してしまうことはとても残酷で、安易に超えられるハードルではないことは理解していました。だからこそ私は、彼らに伝えるタイミングは慎重に検討する必要があると思いました。

そもそもどんなタイミングであれば両親は私のセクシャリティを認めてくれるだろうか。考えた結果、彼らが私を一人前として認め、この子なら自分たちが知らない生き方をしても大丈夫だと安心できるタイミングなのではないかと思いました。もちろん、結婚式に出られない、孫の顔が見られないことによる落胆は避けられないものの、親の気持ちになった時に、それと同時に出る感情は、「この子は私たちの知らない、普通とは違う生き方をすることになるけれど、本当に大丈夫なのか?」という不安なのではないだろうかと思ったからです。そしてそのタイミングは母親と父親で異なるだろうと思いました。それぞれ、専業主婦の母親にとっては、「家から巣立ち自立するタイミング」、社会で働く父親にとっては、「社会から一人前だと認められるタイミング」だと私なりに結論づけました。

母親には、大学院の卒業式の夜、2人で晩御飯を食べている時に伝えました。卒業後は就職する私にとって、事実上それは家から完全に巣立つタイミングでした。お互い泣きながらのコミュニケーションにはなりましたし、その時すぐに全てを受け入れてくれたわけではありませんでしたが、時間が経つにつれて母の中で消化してくれました。一方で父親には、会社で昇進を経験し、社会的にも一定認められたと判断した今年の晩夏に、地元で2人で食事した際に伝えました。社会人の先輩として、日本の社会においてセクシャルマイノリティであることの難しさを伝えられはしたものの、少なくとも父親としてはその事実を受け入れてくれました。ここまで話に出ていませんでしたが、両親に伝えた後に唯一の兄弟である弟にも別で伝えました。21世紀生まれの弟は予想通り、「そういう人周りにも結構いるし、両親がいいなら俺は全然何とも思わないよ」というあっさりした反応でした。

家族に伝えるという最大のハードルを乗り越え、ようやく世の中にオープンにする準備が整いました。何で今なのか?というよりは、今ようやく言えるようになったから、と言う理由の方が強いですが、これが1つ目の背景になります。ここできちんと伝えたいのは、今日まで私が打ち明けた秘密を否定せず、そしてきちんと誰にも言わずにいてくれた大切な知り合いの皆と、どちらかというと不都合であろう事実を受け入れてくれた家族に心から感謝していると言うことです。本当にありがとうございました。


②社会人としての課題意識と思い

私は今社会人3年目の会社員です。今でこそビジネスの世界におりますが、大学生の頃は自分が就職するとは思っておらず、サイエンスの世界で真理を追う学者の姿に憧れを抱きながら、生物学の勉強に没頭し、将来はアカデミアの道を進むものと信じ込んでいました。一方で、昔から好きだったファッションの道も諦めきれず、ダブルスクールで服飾の専門学校に通い、拙いながら友達と生物学をテーマにしたブランドを立ち上げ、将来は研究を本軸に置きながら副業でファッションデザイナーをやりたいな、なんて甘えたことを考えていました。

そんな私が就職することを視野に入れたのは修士1年生の春、そうちょうど仲のいい友達への最初のカミングアウトを乗り越え、徐々に深い知り合いには自分がゲイであることを打ち明け始めていた時でした。勿論それが全てではないですが、私の進路の変化はセクシャリティの開示と深い関係がありました。親友への開示を進める中で、私の中で将来完全にオープンにするイメージがクリアになっていきました。ゲイであることを親や世間の人に認めてもらうために、自分はどんな人である必要があるのか、いつしか私にとっての職業選びはその考え方と切り離せないものになっていました。自分がゲイであるという「世の中の多くの人から理解されづらい」事実を受け入れてもらうためには、少なくとも自分は、「世の中の多くの人にとって理解されやすい」道を進んでいる必要があるのではないか、そしてそれは研究者やデザイナーといった専門的な進路ではなく、より多くの人が経験するであろう就活を経たビジネスの領域なのではないか。今振り返れば少し偏った思考ではあるのですが、少なくとも22歳の当時、私はそのように考え、その道に進むことを決めました。

「世の中の多くの人にとって理解されやすい」ビジネスの道に進めばきっと性的マイノリティでありながら、自分と同じような背景・志を持つ人に沢山出会えるはずだ。アメリカでApple CEOのティム・クックや、Open AI CEOのサム・アルトマンのようなオープンリーゲイの素晴らしいリーダーがいるのと同様に、日本でも優れたゲイのリーダーに出会えるはずだ、社会人になることを決めた私はそう思っていました。しかし実際に社会に出てみると、思い描いていた理想とは大きくギャップがありました。日本のビジネス領域においては、オープンリーゲイの著名なリーダーがほとんどいないどころか、社会人として企業で働く中では、性的マイノリティをオープンにしている人に出会うことはほぼ0でした。

一方で、社会人になって数カ月たったころ、私は自身のセクシャリティに関することで、これまでの人生の中でも最も貴重な機会に恵まれました。私が勤める外資の企業には、秘匿性を担保した性的マイノリティのグローバルコミュニティが存在しました。そのコミュニティのカンファレンスがヨーロッパで開催され、私も参加することができたのです(日本オフィスのチームには秘密にしていたので、有休をとったふりをしての参加しました)。カンファレンスの詳しい内容をここに書くことはできませんが、そこで私が感じたのはグローバルとの圧倒的なギャップでした。世界には性的マイノリティをオープンにしている役員が沢山いるということ、また同性同士で結婚をし、卵子や精子のドナーを受けて自身の子供を持っているという人も多いということ、一方で、1000人規模のそのカンファレンスに参加していた日本人は入社数カ月目の自分1人であったということ。グローバルとの差を見せつけられると同時に、これまで自分の道の先にいる性的マイノリティの先輩に出会うことがほぼなかった私にとっては、プライベートを含め自分が将来どのように生きていくのかを初めてリアルに想像することができた瞬間でした。

一般的に学生時代は周囲に数年上の先輩しかおらず、彼らの背中を見て想像できる将来は就職や進学、起業程度に限られています。しかし、社会人になると世界が広がり、キャリアはもちろん、結婚や子育て、その先の人生についても、多くの人生の先輩から学びながら未来を描けるようになります。そんないわゆる「ロールモデル」といわれ、ストレートの人なら簡単に出会うことのできる人生の先輩が、日本の性的マイノリティの人にとっては圧倒的に不足していると感じました。結婚・子育てが法律上許されていない以上、プライベートを含めた人生の道筋はストレートの人とは異なります。選択肢の幅が普通の人と異なる我々にとって、同じ背景を持ちながら、社会で実績を残しているリーダーや、身近な先輩がロールモデルとして存在することは、人生の指針を持つ上で非常に大きなインパクトを持つはずです

多くの性的マイノリティの当事者は、ビジネス領域において自身のロールモデルとなる先輩を見つけることができず、人生の指針を持つことがないまま道を歩みます。なんとかキャリアとプライベートを切り分けて地位を手に入れても、資本主義の上流になればなるほどオープンにすることが不利となりその人自身も誰かのロールモデルになることはできません。そんな負のスパイラルから逃れたい、どうにかして現状を変えていきたい。自分がオープンにすることで、普段はクローズドにしているロールモデルになりうる先輩が自分には打ち明けてくれるかもしれない。もしくは、自分も誰かのロールモデルになって人生の指針を示すことができるかもしれない。長くなりましたが、これがカミングアウトに至った2つ目の背景です。


おわりに

ここまで背景を話してきましたが、カミングアウトをするということは、やはり私にとって非常に大きな覚悟です。どうしても同性愛を受け付けない人が周りにいるかもしれません。そこまでではなくても、わざわざ自分のセクシャリティを大々的に公開することを快く思わない人もいるかもしれません。これまで仲良くしていた知り合いの態度が変わるかもしれません。私が批判されなくても、家族が彼らの知り合いに笑われるかもしれません。自身のキャリアの機会が減るかもしれません。人に紹介されにくくなるかもしれません。色々なマイナスの可能性が容易に考えられます。それでも、私は27歳の今、カミングアウトしたいと思い、することを決めました

27歳、多くの人は社会人として自立し、すでに子供がいて家庭を持つ人もいる年齢。そんな27歳になった私は、自分がゲイであることをカミングアウトすることで、ようやく一人前の人間として、自信をもってみんなの前に立つことができる気がします。ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。あの時カミングアウトしてよかった、そう振り返って思えるように、これからも日々目標に向かって頑張ります。占部雄飛を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

占部 雄飛

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