2024.05.15 新たな目標
トレンチン。
首都のブラチスラヴァから、1時間半ほど車で北西に向かうとある街。
ここには、私たちの支援している活動拠点がある。
到着すると迎え入れてくれたのは、背の高い男性。続いて、二人の女性が挨拶のハグをしてくれた。3人とも英語は上手じゃないようで、簡単に挨拶をした。ただ、満円の笑みを見せてくれたことから、歓迎してくれているのがよくわかる。
最初に通されたのは、入り口すぐのキッチンに大きな机がある部屋。女性がまばらに座り、3−4人腰をかけていた。その先の部屋に進むと、広い空間が広がっていた。手前には先ほどの女性たちの子どもと思われる幼稚園生たちが数名、カーペットや子ども用テントで遊んでいた。
同僚の男性は、部屋の奥の小さな扉へとぐんぐん進んでいった。鍵を開け、中に入ると、部屋一面に段ボールが積み重ねられていた。中には、箱に入りきらない電動車椅子やピンクの布団、松葉付なども雑多に置かれていた。
聞かなくても分かる。これは全てウクライナ人への支援物資だ。
これまでは、各家庭に配布する塩や油などを一箱ずつ詰め込む「パッキング」作業をしていた。しかし今は、支援金の不足でパッキング作業はほとんど行っていない。代わりに、近隣住民から集まった、スロバキア国内にいるウクライナ避難民への支援物資が収められている。
先ほどの大きな部屋に戻ると、机の上にはお菓子やオープンサンドが並んでいた。つまみながら話を聞くと、ここの施設は月曜日以外、毎日ウクライナ人の憩いの場として開放しているという。子ども対象の活動や、大人のスロバキア語講座、仕事や生活の相談場所として使われている。この日も、話を聞いている奥のキッチンではスロバキア語講座の中・上級クラスが開催されていた。危機から2年経ち、いよいよ母国に帰れないと察し始めた避難民たちが、講座に足を運ぶようになってきたらしい。
また、今年の9月から、スロバキアに逃れてきた全てのウクライナ人児童・生徒は、学校に通うことが義務付けられている。これまでは、ウクライナの学校にオンラインで参加していたが、これからは現地校と両立が求められている。その準備のために、スロバキア語を学びにくる若者も多い。私も、イギリスの現地校と日本語の補習校に通う生活を送ったことがある。言語の通じない中、イギリスの学校に通い続ける苦労も身に沁みて分かる。私は友人に恵まれたため、救いがあったが、ウクライナ人の子たちは“避難民”というレッテルのためにいじめを受けることがある。
帰りの車内、運転する上司から、先ほど案内をしてくれていた小柄な女性の話をしてくれた。彼女自身ウクライナ避難民だが、今は私たちの団体でスロバキア語の初級を教え、全体のマネジメントを行っている中核的存在。昨年、支援物資を配布するためウクライナに入ると聞いた彼女は、自ら手を挙げ参加した。しかし、帰郷すると
「ごめんなさい、涙を止めたいんだけど、止められないの。」
と号泣し続けたという。今日一日終始笑顔で、楽しそうに活動していた彼女。その心の奥に閉じ込めた思いというのは、計り知れない。きっと、彼女だけでなく、全てのウクライナ人がそうだろう。
今はまだ、誰とも人と人の関係ができていない。だから、踏み込んだ話など恐れ多くて、私には聞けない。これは、滞在中の一つの目標にしたいと思った。彼(女)が、自ら私に心を開いてくれるような関係構築をしていきたい。