見出し画像

2024.05.31彼女たちの頑張り

5:30起き。7:20の電車に乗って、4時間の電車旅が始まった。
4人がけ向かい合わせの電車。
窓際に座るのは、老夫婦。脚の長さゆえか、仲がいいだけか、足を交互に挟み座っている。
私はパソコンを広げ、車内のwifiを使って仕事をしていた。

Poprad。スロバキア第二の都市、コシチェに行く途中の駅で下車。
待ち合わせまで1時間半あるので、簡単に街中を歩き腹ごしらえをする。
Google mapの評価が高いクレープ屋か、観光客向けっぽいスロバキア料理か...。
何度か店の前でメニューを眺め選んだのは、スロバキア料理。
なんだかんだ、まだ開拓できていないからだ。

外観からは分からなかったが、意外と奥深くまで店が続いていた。
スロバキアらしい雰囲気の店内。
頼んだのはグラーシュとクネドラのランチセット。
グラーシュは厳密にはハンガリー料理だが、スロバキアでも親しまれている。

お腹も満たされたところで、車で迎えにきた同僚の リダ(仮名)と合流。
お目当てのKežmarokにあるヘルプセンターまで向かった。道中の車内は、意外と重要な情報収集の場である。
彼女自身ウクライナ避難民。キーウに住み、テレビ関係の仕事をしていたバリキャリ女性だった。だから、この村での生活には退屈していると言う。言語に関しても、スロバキア語とウクライナ語で文構造や単語が似ているために、大概理解できると言う。だが、時に同じ単語でも正反対の意味を持つため、混乱することはあるらしい。

センターで迎え入れてくれたのは、同僚のエレナ(仮名)。ドネツクからの避難民である。天真爛漫な彼女だが、婚約者は兵役中であり、心の底に抱えている想いは分からない。
「コーヒーか紅茶飲む?」と館内を案内された後に言われた。穿った見方かもしれないが、私が資金提供者(厳密には、集まった資金をどこに分配するか決める組織の人間)であり、おもてなしを意識されたのかもしれないと思った。純粋にこの活動地のことやウクライナのことを知りたいだけでも、私の背後にある組織の存在が付きまとう。

センターでは、20人強の人が席について談話していた。年配者、子どもたち、お母さんたちなど幅広い年齢層の人が、それぞれ島を作って座っていた。
活気がある。
ブラチスラバの活動場所は、せいぜい片手で数えるぐらいしか集まっていない。しかしここは、明るく温かい。

今日は、ウクライナ式のビンゴ大会とハンドセラピー。
上下左右斜めが揃うとアガリになるビンゴとは違い、横列が揃うといいらしい。最初のビンゴ者が出ると、次は2列揃えなければアガリとなれない。ルール説明も全てウクライナ語で取り進められる。だが、溌剌とした司会者と書かれていく数字を目で追うとなんとかついていけた。老若男女が一同を介して、ビンゴ大会をやる風景は素敵であった。彼らにとって、ウクライナという共通点で結ばれた家のような場所なのだろう。

ハンドセラピーは、スクラブ・クリーム・マッサージから始まった。その後、白いものを溶かしたお湯に手の浸し、蝋のようなものをまとわりつける。袋とキトンを被せて、20分保温する。なんとも本格的だった。ウクライナ人は美容意識が高い。スロバキアに来て、いい美容室がないと漏らしていた。

せっかく現場に来ていて、裨益者の方も目の前にいる。本当はインタビューして、困っていることや、この活動を通じた変化なども聞かなければいけない。だが、正直ひよってしまった。全てウクライナ語で活動が進められ、仲間内で楽しんでいる中割って入り、通じるかも分からない英語で話す勇気がなかった。リダとエレナに関しても同じだ。明日のイベントの準備で忙しいだろうと気を遣い、声をかけられなかった。

せめてもの、準備の手伝いぐらいしようと思った。ホテルにチェックインのため一度離れた際、そのまま休んでと連絡が入った。だが、センターに戻り20時過ぎまで付き合った。私がいても変わらない。彼女たちの直属の上司でもない。だけど、ある意味「上」の立場である私が、最後まで彼女たちの頑張りを見届けなければいけないと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?