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2024.08.09 暗雲低迷なブラチスラバヘルプセンター

「ごめん、バスが遅延しているから到着遅れる」
メッセージを入れた5分後、肩を叩かれた。金髪のショートヘアに、少しふくよかな頬が目に映った。送り先のオクサナ(仮名)が私の横に立っていた。
偶然同じバスに乗っていたらしい。

彼女は、ブラチスラバ事務所の一角で、ウクライナ避難民向けの活動をしているスタッフである。本人もウクライナ避難民である。

今日は2人で、ブラチスラバのショッピングセンターに来た。この商業施設には、我々の活動の一環で、避難民に向けて物資支援をしているお店がある。元々は助成金をもらって食料を配布していた。しかし、現在は一部食料が残っているものの、ほとんど衣類である。個人寄付の形で、一般の方が服や食べ物を持って来てくれたものを配っている。

この店に来るウクライナ人の方たちに、どのような支援を今求めているのかニーズ調査をしに来た。厳密にはオクサナが調査をしている様子を、私が観察するために同行した。
現在私たちがヘルプセンターで行っている活動に、疑問があるからだ。何度か活動を視察した中で、参加者が0ということが数回あった。我々の活動は、果たしてニーズに合っているのか、普段オクサナたちはどのように情報を収集しているのか、確認をしたかった。

入店して店内を一周すると、早速彼女が1人の家族連れを私の前に連れてきた。母国語で、インタビューしていいか確認し、店の一角に置いてある椅子に腰を下ろした。本来オクサナが調査する様子を見たかったのだが、気がつけば私がインタビュアーにさせられていた。

「いつスロバキアに来たんですか」
「今日はどんなものを選んだんですか」
「娘さんたちは、9月からスロバキアの学校に通うんですか」
色々と質問をした。

40代ぐらいの小柄なお母さんと17歳、10歳の娘2人だった。
ハルキウからスロバキアに避難して、まだ1ヶ月しか経っていない新参者である。20歳の長女は未だウクライナに残ったまま仕事をしている様子だった。こちらでの生活が整い次第、彼女も越して来るらしい。
お母さんは片言の英語でなんとか私にも分かるように、伝えてくれた。途中、どうしても意思疎通ができない時は、翻訳機を使い、辛うじて最近覚えたスロバキア語を私も駆使した。オクサナも英語は話せないため、いつも私とは翻訳機頼りで会話をしている。

お母さんの一番の心配は、スロバキアで仕事を見つけることだった。
現在、多くのウクライナ人が直面してる課題は、仕事探し/医療へのアクセス/住居の確保/言語の習得である。

この次に話を伺った60代ぐらいの女性、50代の女性も同様のことを言っていた。
現在スロバキア政府から受けている150€/月で生活しているが、それだけで家賃と生活費を賄うのは不可能。当国のワンルームマンション(光熱費込み)に住むには最低500€はかかる。一方で、言語の壁やウクライナで持っている資格などは無効のため、清掃員や工場での働きなどの低賃金労働にしかつけない。
大学の講義や論文で読んできたことと同じ出来事が、目の前の身に起きていると思うと、なんとも言えない気持ちになった。“難民あるある”で片付けられない。

スロバキア語講座はヘルプセンターでも実施しているが、それ以外の分野は関われていない。調査を終えた後に、オクサナに私から色々と提案をした。

「医療に関するニーズが非常に高い。ドクターに週1とかでセンターに来てもらい、診察してもらうことはできないのか。もし深刻な場合は、医療機関にアクセスするよう紹介・付き添うなど手立てをして...。」
「上手な履歴書の書き方講座とか、できないかな?」

オクサナ含めた現地スタッフは、どうしてもセンター内で実施しやすい、工作や映画鑑賞などの活動に思考が偏ってしまう。これらの活動を行って、ウクライナ避難民の方たちが、スロバキア国内で安心・安全に生活できる方向に向かっているのであれば、私も口を紡ぐ。だが、参加者がいない現状が、全てを物語っている。
加えて、実現しやすい活動をこちらから提案をしても「ウクライナ人は皆忙しい。仕事や育児に追われて、講座を開いてもセンターに来る余裕がない」の一点張りである。

ウクライナの風習や現場の状況は、彼女たちが一番理解していると思っている。
だが、暗雲低迷な活動が続くと思うと、やきもきしてしまう。

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