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(番外編)NGO職員になるまでの軌跡〜NGO編〜

 はやく、はやくという声が、体中でずっと私を呼んでいた。

 現場に行きたい。



 学部生のときは高くそびえていた「社会人経験3年、修士号保持者、途上国での駐在経験あり」という多くのNGOが掲げている職員募集の要項。

 大学院卒業時の私。職歴3年、修士号取得。駐在経験なし。

 「駐在経験なくても、途上国に行ったことをアピールしたら、受かることもある。」そう語った、国際機関に身を置いてきた友人の言葉を信じ、緊急支援事業で駐在人材を募集する団体を探し始めた。


 イギリスにいた時から、細々と履歴書を各団体に送り始めた。だが、修士論文が忙しくなるに比例して、就活の時間が減った。7月下旬の執筆の過渡期に、偶然一つの団体の採用募集に目が留まった。

「半年から1年で駐在に派遣する予定」

「まずは履歴書をメールで送付してください」

 履歴書は作成済みのデータがあるため、それを送るだけなら簡単だと思い、すぐにメールした。その数日後に、志望理由書の提出を求められたのは想定外だったが、時間を見つけて記入に取り掛かった。

 弊団体の名前は以前から知っていた。学部生の時に、国際支援しているNGO団体を片っ端からSNSでフォローした。そのうちの一つだった。


 修士論文の提出が9日後に迫った8月22日にオンラインでの一次面接を行なった。その前日に別団体の最終面接を受けたばかりだったのもあり、面接の準備は整えられていた。Zoom越しの女性は終始笑顔で、カンボジアに渡航した話を私がすると、「娘が来週からカンボジアに行くの」と嬉しそうに語っていた。面接でありながらも、非常に話しやすい雰囲気だった。

 それは最終面接で、事務所に赴いた際も同じだった。一次面接とは異なる人が対応したものの、目尻から優しさが伝わってきた。強い手応えがあったわけではないが、それなりに受け答えができた。幸いなことに採用されたときには、心が撫で下ろされた。経済的にカツカツだった中、とりあえず働く場所が確保できた。加えて、ようやく「現地」への足がかりを手にできたと思うと嬉しかった。

 しかし、内定に喜ぶだけではなかった。実際に自分の手で支援を届けるためには、駐在の枠を手に入れないといけない。「最短の半年で現場に行ってやる。派遣してもらえるように、がむしゃらに働くんだ」という心意気で仕事に取り掛かった。


 実際に入職してから、駐在に出た職員たちに話を聞くと、2週間で駐在に出た人や、1年間国内で勤務した人など様々なことが分かった。また、国際協力の業界に関する知識も経験も少なすぎて、自分の力不足をまざまざと実感する日々だった。

 「現地のカウンターパートと仕事するときに、彼らにどのポジションに立ってもらうべきだと思う?」

 「ログフレームって知っている?研修もあると思うけど、勉強した方がいいよ」

 諸先輩方からの情報が多く入ってくるが、知らないことばかりで追いつくのに必死だった。だが、私と同じように国際社会に問題意識を抱き、人生を懸けて働く人がいる環境に身を置けることが嬉しかった。

 知識も経験も豊富な同僚がいる中で、「私、半年で派遣してもらえないかも…」と耳元で囁く声が聞こえた。振り払うようにしながら、目の前の仕事をこなし、時間があれば指示されたこと以上のものを作成して提出するよう心掛けた。そうすることで、少しでも仕事ができるアピールをし、駐在に繋がればいいと思っていた。



 転職して3か月が経った2024年2月初旬。まだ寒く、地下にある事務所はキンと冷えていた。教員として働いていた時から、人事面談の日は朝からそわそわする。落ち込むのは嫌だから、何も期待をしないよう心掛ける。だが、駐在に行きたい旨はしっかり伝えようと決めていた。

 昨年9月に行われた時の採用面接と同じ顔ぶれ、部屋で面談が開始した。以前と異なるのは、仕事を通じて、ずいぶん目の前の人々との心の距離が近づいた点だ。だが、まだ暖房が効いていないのか、緊張なのか、手が震えていた。

「3ヶ月が経ったけどどうですか」

上司からの質問に、順調に仕事に慣れ始めたことを伝えた。今はまだ力不足だが、私は駐在員として現場に行きたいこともしっかり伝えた。


「(天からのパン)さんからの話でもあったけど、今年の5月からスロバキア駐在をお願いしようと思っています。まだ少し早いかなと思うけど、(天からのパン)さんならちゃんとやってくれるだろうと思って。」

 海外事業部の部長からの思いがけない言葉に、目を丸くした。心の奥でガッツポーズをしている自分が鮮明に見えた。にやけるのを必死で抑えた。希望していた緊急支援分野での駐在。承諾しないわけがない。すぐさま、行きたいと答えた。

 長かった。スリランカで紛争の被害を受けた人々と出会い、シリア危機を目の当たりにした時から、10年が経っていた。

 ようやく、私の手で支援を届けることができる。今になって、私で大丈夫だろうかと不安がよぎる。しかし、ようやくここまでたどり着いた。

 弊団体のウクライナ支援はスロバキアからの遠隔事業であるため、支援を必要としている「現場」からはまだまだ遠い。裨益者に直接会えるわけでもない。それでも、ソファに座って映像を見ているだけだった頃の私と比べると、だいぶ近づいた。


 私は見て見ぬ振りはしない。一人でも多くの人に、手を差しのべる。

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