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2024.09.12 割が合わない日帰り出張

天気予報通り、雨が降り荒れ、事務所に到着するまでに傘は5回ひっくり返った。先週まで30度あったのに、今日は14度。急な気温の下降と雨風を受け、ヨーロッパの冬の訪れを感じた。

予定通り、7:30になると同僚がやってきた。
今日はトラックに乗ってケジュマロクに行く。普段は1人で電車に乗って、1泊して帰るが、今日は異例。スロバキア国内で行っている自己資金(企業や個人の方からの寄付だけで運営している)事業の、ケースストーリーの取材に出かける。要は、我々の支援で裨益者がどのように変化したのかを調査する。
本来、この事業のスロバキア側のPMが1人で行って、報告書にまとめるべきなのだが、彼女はレポーティングが上手にできない。そのため私も同じ情報を聞いておいて、後ほどフォローアップする算段だ。

片道5時間かかる地に、日帰りでインタビューするハードスケジュールに最初私は反対した。それでは裨益者から十分に話が聞けないからだ。だが、「事前に対象者に目処をつけて、早く来てもらうようお願いしておけば大丈夫」などと理由をつけられ、私の意見は通らず。加えて、「せっかく遠方まで出かけるなら物資輸送・配布もすればいい」という、“ついで”主義が強いスロバキア支部。気がつけば物資を詰め込んだトラックに揺られ、ケジュマロクに向かうこととなった。

PMのイルマ(仮)と事業について話すべきポイントが幾つかあったが、何ともドライバーのペーター(仮)とスロバキア語で盛り上がっている。イルマも言っていたが、一般的にスロバキア人は“よそ者”と仲良くする習慣がないらしい。例えば、飲み屋で隣のテーブルの見知らぬ人と意気投合して〜などは起きない。自分たちの輪を広げる意味がないと思っているらしい。駐在1ヶ月目で、その国民性を身をもって実感したので今更驚かない。
英語を話さないペーターと、スロバキア語を話さない私。加えてスロバキア人の習慣。ひたすら道中は寝ることにした。

到着したのは12:30。
センターの前には3人の老人が待っていた。配布は14時からだが、気になって早く来てしまった様子。センターの中にいたスタッフが戸を開き、彼らを誘導する。

今回物資支援の対象者は、ウクライナ避難民の高齢者、ひとり親世帯、障害者など“脆弱層”と呼ばれる人たちである。1人ずつ受付に行き、一時居住許可証(ビザ)を提示する。スタッフは情報を転記して、最後にオートミール、缶詰などの乾物が入った食料の袋と、洗剤、シャンプーなどが入った衛生用品の二袋を渡す。

その傍で、私とイルマはセンターの活動(アートセラピーや言語学習、ゲームなど)に参加している人たちにインタビューをしなくてはいけない。
だが、ここでも私の誤算が起きた。
この日は物資配布が行われるため、アクティビティはないらしい。加えて、「事前に調査対象者に声をかけて、早く来てもらう」というイルマとの約束は、綺麗に流されていた。つまり、運よく日頃から活動に参加している人が、物資の受け取りに来ない限り、我々の調査対象者がそもそもセンターに来ないのだ。

「まともに、予定や人の調整すらできないのか」と肩を落とした。
しかし限られた時間の中、できることはしないといけない。

ケジュマロクのコーディネーターが声をかけて、2人の女性にインタビューができるようになった。簡単な自己紹介を行い、質問を投げかけていく。
「いつスロバキアに来ましたか」
「いつから、このセンターの活動に参加していますか」
「なぜ参加しようと思いましたか」
これまでの出張で聞いてきたのもあり、質問内容がスラスラ出てくるようになった。だが、いまだに深掘りするのは苦手である。結果的に、必ず聞くべき項目以上のことはうまく聞き出せなかった。

次のインタビュー相手を探していると、70代ぐらいの背の高い男性が近寄ってきた。
「こんにちは。元気ですか?」
まさかの日本語で挨拶されたのに、目を丸くした。
話を聞くとウクライナのテレビ局で働き、当時NHKと仕事を3年していたらしい。ウクライナと日本には共通点があるという。チェルノブイリと福島、ロシアの関係(日本の場合北方領土)。これらについて調査し、番組を作ったという。

これらのことを聞きながら、徐々にスロバキアでの生活、我々の活動について話をシフトさせていった。3人の中で一番うまくインタビューでき、どうにかレポーティングできそうだと安堵した。

16時。せっかく来たし、もう少し粘りたいところだったが、イルマに「もういいか」と聞かれセンターを後にした。
まっすぐ帰るのかと思っていたら、2箇所ほど立ち寄り、帰宅したのは22時半だった。

本日の移動時間、11時間半。現地滞在時間、3時間半。
車移動で日帰りだと、割に合わないなと思った。

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