2024.10.10 いかに脆弱層に手を差し伸ばせるか
ウクライナ避難民のためのコミュニティセンターが、閉鎖した。
以前Noteにも記録した、ブラチスラバ市・NGO・国際機関が共同運営してきた場所だ。医療や保育なども充実しており、画期的だった。
だが、建物に問題があった。
ブラチスラバ随一のバスターミナルが、道路の反対側にショッピングセンターも併設する形で作り直された。移転に先立って建設されたであろう、バス会社の掘立て小屋の事務所が、その跡地に残されていた。全て移動が完了した時、ウクライナ危機が起き、急遽コミュニティセンターとして再利用した。
しかし、元々大きなバスターミナルがあるような、広大な敷地。更地のままにするはずもなく、今後高層マンションが建設される予定だ。つまり、この小屋もいよいよ立ち退きとなった。
これまで館内で活動をしていた友人のイリナ(仮)は、場所を移動し、なんとか支援を続けているとの情報を聞いたのは9月頭だった。
移転早々は忙しいだろうと思い、9月に行くのは避けた結果、10月になった。
指定された場所は、旧市街の中にあった。
ミハエル門のすぐ近くで、各方面から人が集まりやすい、いい場所だと思った。
重厚な扉の横にある呼び鈴を鳴らし、イリナが出てくるのを待った。
10分ほど待って戸が開くと、疲れ果てた彼女の姿があった。よほど大変なのだろうと思いながら、新居での様子を聞くと、「あまり良くないわ、まぁ見ればわかるよ」と言われた。
私は、60代以上の年配の女性たちが、9割を占める部屋に通された。バスケットコート半分程度の広さに、20人ちょっとが敷き詰められていた。今日は、パンの配布も行っているようで、絵に描いたような大きなパンを袋に詰めている。旧市街の昔の石造りの建物だからか、非常に声が反響していた。
イリナの息子のペトロが近づいてきた。ADHDを持っており、14歳には見えない小柄な体型をしている。英語が非常に堪能で、ものすごいスピードで話しかけてくれる。今日は、彼の好きな食べ物について語り始めた。だが、声が聞こえづらい。
反響した女性たちの声によって、かき消されてしまうのだ。聞こえないから、さらに音量を上げることを、各グループが行うため、部屋の中は騒がしくなる。なるほど、イリナの言っていたことの意味を理解した。
30分ほど立った時、活動が落ち着き、イリナが声をかけてくれた。
「確かに、立地はいいけど、建物の中に問題ありそうだね」
「反響だけじゃないわ。他にもたくさん課題があるの。例えば、目の前の道路は、車両が通れないから、物は全て手で運ぶしかない。
それに全くバリアフリーじゃない。この間、車椅子に乗った方が来てくれたんだけど、本当に大変だったの。裏口からだと階段なく入れるはずなのに、そこのレストランが勝手に段差付きのテラスを作っていて。一苦労だったわ。」
障害を持った息子を持つだけあって、彼女のバリアフリーに対する視点が垣間見える。私も気になっていたポイントに話が流れていったので、すかさず聞いてみた。
「スロバキアの障害者支援ってどうなっているの」
「消して充分だとは言えないわ。基本的に障害者手帳を持っていないと、何も支援を受けられない。年に1回病院で診察を受け、証明書を発行してもらう必要があるんだけど、これが関門なの。
ブラチスラバでこの診断を受けられる病院は、2つしかない。予約必須で、電話のみの受付。だから、毎月15日にブラチスラバに住んでいる、すべての障害者とその家族が必死になって電話をかけるの。私もこの間挑戦したけど、7月と8月は予約が取れず、先月にようやく取れたわ。
障害者手帳をもらえると、経済的支援や公共交通機関の無料化、美術館などの公共施設の割引が受けられる。学校に関しても、障害者学校に通える。
ただし、この学校には課題があると、個人的に思っている。それは、障害者しかいない、閉鎖空間であることだ。子どもたちがいずれ、社会の中で生きていくことを考えると、健常者と一緒に勉強することが大事だと思う。だけど、今は完全に隔離状態にあり、そうなると健常者は障害者の存在や、関わり方を知らないまま生きていくことになる。その結果、障害者も生きづらい社会になる。そう思うから、私を含む多くの障害児を持つスロバキアの家庭は、ホームスクーリングの選択をしている。
障害者を分けるのは、共産主義時代の影響だと思う。当時、障害者たちは隔離施設で生活させられていた。家族からも離れ、完全に見えない存在として扱われてきた。だから、残念ながら、今もこの国では障害者に対する理解が乏しい。
そんなスロバキアだから、ウクライナ避難民の中で障害を持っている人は、非常に生きづらいと思う。障害者手帳を持てない人も、多くいると思っている。」
一般的に、脆弱性を2つ以上抱えている人の方が、支援を必要とするケースが高い。例えば、男性の避難民と女性の避難民では、後者の方が支援が求められる。生理用品などの物資支援が必要なのもそうだが、レイプ、売春などにさらされる危険性もあるからだ。(※決して男性に支援は不要と言っているわけではなく、支援の優先順位や視点の話である)
イリナのセンターでは、週に2回、ウクライナ避難民児童を対象に、教室を開いている。今のところ7名ほど参加しているが、リーチできていない人もいるだろう。その人たちが、どういう状況下にいるのか全くわからない。
「支援の枠からこぼれ落ちる人は、こぼれ落ち続ける。」
長年国際協力の業界で働いてきた、同僚の言葉である。スロバキアでも日本でも、助成金が減らされている中で、いかに、脆弱な層に手を差し伸ばせるかは、私たち一人一人にかかっていると実感した。