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2024.08.31 コシチェ旅行

スロバキア第二の都市コシチェ。
首都の規模の小ささから、大して見どころがない地方都市だろうと想像していた。だが、観光名所が限られていると言えども、片道5時間半かかる。当日向かうと、それだけで大幅のタイムロスになる。
そのため、スロバキアの鉄道ZSSKを通じてオンラインで切符を購入し、金曜日の夕方、仕事終わりに移動をしておいた。

「コシチェに出張行った時、朝食にスタバ行ったんだけど誰一人座っていなかったんだよね。地方だとグローバル企業のチェーン店より地元に根付いたカフェの方がいっぱいでさ。」
以前大使館の方から聞いていた話を思い出した。実際に、スタバと地元のカフェを比較すると、後者の方が人が多く座っていた。せっかくだしと、私もGoogle mapの評価が高そうな店に腰を下ろし、簡単に朝食を済ませた。

快晴の中、とりあえず聖エリザベス大聖堂へと向かう。
道中、歌う噴水と呼ばれる場所で数分立ち止まる。昨晩も、ライトアップされ音楽が流れながら、水飛沫をあげていた。今朝も、アップビートな洋楽や歌詞のないメロウな曲がかかっていた。



教会の麓では、熱い日差しの中、3on3のバスケ試合が開かれていた。背景の重厚感ある建物とのギャップを感じつつ、地元の人にとっては教会が生活の一部であるように見受けられた。
教会の中は、無料で入られるゾーンと有料ゾーンで分けられていた。前者は5メートル範囲しか入れなかったため、有料チケットを購入。星の数ほどあるヨーロッパの教会は、どこを見ても息を呑む。ここも例外ではない。上を見上げると荘厳なパイプオルガンがあり、目線を落とすと、地面に赤や青などのステンドグラスは輝きが反射して映っている。
聖エリザベス教会は火災に遭い、再建したものになる。そのため、壁は、現代建築の雰囲気が隠しきれず、“綺麗すぎ”だった。だが、ブラチスラバの聖マルティン大聖堂より大きく、重みのある外観は悪くないと思った。

その後、隣に併設されている塔にも登った。石畳の螺旋階段は、幾人も通った痕跡として滑らかに削れている。一人が通るのがギリギリの幅のため、運悪く上から人が降りてくると、爪先立ちで交わさなければいけない。比較的小柄な女性の体型である私でも、ヒヤヒヤしながら登らざるを得ず、「誰も降りてこないで〜」と内心叫び続けた。
だが、息を切らしながら頂上に着いた時には、ご褒美の風と一望できる街並みが身体を冷やし、癒してくれた。

正午。コシチェの主要観光地を、早くも見終えた。だが、昼食にするほどお腹は空いていない。とりあえず、気になるシナゴーグに足を運ぶが、残念ながら閉まっていた。行き場を失い、とりあえず近くのauparkというショッピングセンターで、休みながら次なる行き先を探した。

旧市街にあるスロバキア料理屋に入り、ハルシュキとマチャンカというスープを選んだ。羊のチーズでニョッキを絡めた白い食べ物は、ブラチスラバで食べる時より塩味が薄くちょうどよかった。一方で“traditional”の言葉に惹かれ、初めて見聞きしたスープは、キノコの味がしっかりした濃厚あるものだった。

その後、検索して出てきたJakob palaceの外観を見て、Hrnciarska通りを歩き、旧市街の西部も歩き回った。石畳に、ピンクや水色のカラフルな建物が乱烈してる様子は、まるでユニバーサルスタジオの中を歩いているようだった(本来はUSJが西洋の建物を真似しているのだが...)。

気がつけば時計は16:30を指し、そろそろバス停に向かう時間となった。1時間ほど前まで続いていたバスケの試合も終わり、人がまばらになっていた。
可愛らしいコシチェの街に別れを告げ、バスへと乗り込む。

Flixbusで1時間ほど揺られると、予定通り窓からスピシュ城が顔を出した。
城の麓に広がるSpissky Prohdnieという街に辿り着いた。

宿まで歩き、看板に記載されている電話し、鍵を開けてもらう。駐在だからいいものの、旅行者で電話するのは少々ハードルが高いだろうと想像する。だが、宿の人は英語が話せて、鍵の開け方から近くの観光地なども事細かく説明してくれた。

「庭のベンチから、スピシュ城が見れるから堪能してね。あ、でも夜はウクライナ軍の関係で、ライトアップが今はされていないんだ。」
ウクライナ戦争がどう関係があるのか、深掘りしたいところだった。だが、私の職業を聞かれ、ウクライナ支援だと答えると顔が曇った。
「今スロバキア政府は、ウクライナ人にお金を配っていて、彼らはいい暮らしをしている。だけど、スロバキア人はその分資金カットされて貧しい。」
スロバキア東部や田舎に行くほど、ウクライナ支援に否定的な人が増えるのは知っていた。実際に、東部にはロマなどの貧困層も多く住み、街中で賃金を求められる機会も多い。コシチェに1日滞在しただけで3回は声をかけられた。
だが、ウクライナ避難民の状況も知る手前、彼らに対する否定的な意見を直接聞くと、なんとも心が傷まれた。

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