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2024.08.15 雨のハイタトラス

スロバキアでやりたいことリストの一つに、ハイタトラスに登ることを入れていた。
山脈はポーランドとの国境に面し、冬になるとスキー場にもなる。
下から見ても、その岩肌のゴツゴツした雰囲気が分かり、かっこいい。

ケジュマロクのヘルプセンターは、その麓に位置するため、出張の帰りに寄れないかと密かに企んでいた。だが、まだコーディネーターとの仲を深みきれていない段階で、連れて行ってくれとは言えない。今年は、厳しいかと私は二の足を踏んでいた。

しかし、その機会は想定より早く訪れた。

昨日から出張で、6月ぶりにケジュマロクに訪れていた。活動は、仕事をする裨益者の都合に合わせて午後3時から開始する。そのため、今日は日中ほとんど自由時間だった。ホテルやカフェで仕事をしようかと思っていたが、センタースタッフのエレナが周辺を案内すると申し出てくれた。
デスクワークは週末に帳尻合わせをすることにし、せっかくケジュマロクにいるのだからと観光に出かけた。スタッフとマネージャーとしてだけでなく、人と人の関係を深めるのも重要な仕事だと自分に言い聞かせた。

運よくヘルプセンターの裨益者であり、ボランティアをしているユリア(仮)も車を出してくれた。彼女は2人の息子と1人の娘を持つ母だ。まだ30代前半だが、長男は10歳ぐらいなのを見ると、若くして母になったのだろうと想像する。また、具体的な理由は聞けていないが、旦那さんも一緒にスロバキアで生活している。

ハイタトラスのロープーウェイ乗り場までの道中、ウクライナの言語教育について話を聞いた。
ウクライナ北部や東部のロシアに面している地域では、第一言語はロシア語になる。そのため、2人とも気楽に話せるのはロシア語だ。だが、学校ではウクライナ語で授業を受けたという。1991年に独立して以降、政策上、教育機関ではウクライナ語での指導が定められた。第二言語(彼女たちの場合第三にあたるが)は、英語やフランス語などの言語が学校では指導される。
これが、40歳以上の人たちになると異なる。共産主義時代は、ロシア語一色だった。そのためロシア語を理解する人が多数いる。

しかし、現在は状況がさらに異なる。
たとえ第一言語がロシア語のウクライナ人だったとしても、今はロシア語を話すのはタブーとされている。家族など安心できる相手を除いては、ウクライナ語を話さないと白い目で見られる。

ロシア語とウクライナ語の類似性と問うと、同じキリル文字を使っているものの異なる部分が多いという。ロシア語よりスロバキア語の方が、ウクライナ語に近いという話には、私も驚いた。

話に熱中していると、山々に近づいていた。キャンプするのに最適な、コテージのような宿が増えた。
駐車場に車を停めて荷物を整理していると、ユリアが私のカバンの上にチャイルドイートを被せた。防犯対策のようだ。ウクライナ人は、日本人と同じような感覚を比較的持ち合わせているように感じる。それが心地よい。

最初は6人乗りの横長のリフトに乗る。3人で貸し切れるのは贅沢だった。
そこから、ゴンドラに乗り換えて5合目付近まで行く。なんとなく、麓にいる時から雲行きが怪しかったが、途中から大雨と風に見舞われた。側面の窓が1箇所開いていて、雨が入ってくる。ゴンドラは左右に大きく揺れ、柱にぶつかるのではないかとヒヤヒヤした。
上までたどり着くと、すぐさまレストランに駆け込んだ。中は人でごった返していた。ゴンドラも乗客を全員地上に降ろすと止まったようで、どこにも移動できない人たちが、二階建ての建物の中で、少しでも身体を休められる居場所を探していた。私たちも、4人席の場所を無理言って6人で座った。

エレナは、天然でよく私たちを笑わせてくれるムードメーカーである。カプチーノを飲もうと思って、ミルクだけを入れて戻ってくるような子である。
だが、この日はいつもより真剣な顔で話をしてくれた。彼女はウクライナにいた時、地元のチェルニヒウでツアーコンダクターの仕事をし、2022年1月には、年上の彼氏からプロポーズを受けた。公私共に順調だった。2022年2月14日に正式に婚約した。その10日後ロシア侵攻を受けた。
エレナは、婚約者を残し姉家族と避難を余儀なくされた。今も毎日連絡をとっているものの、会えるのは年に一度程度。エレナはウクライナに戻りたいと懇願しているようだが、彼が認めていない。彼女がいつも使っていた道も今では攻撃の痕が残り、彼もいつ徴兵されてもおかしくない状況だからだという。
まるで、映画のような話だと思った。幸せの絶頂にいた2人が、今は一緒に生活できる日を夢見て離れて暮らしている。表面的な関わりしかしていなかったら、見えてこない部分だっただろう。

1時間弱雨宿りをすると、徐々に窓から晴れ間が見えた。小雨だったが、我々にはタイムリミットがあるため、歩き出した。
雲の隙間から見える街が見えるスポット、近くの天体観測所、池の周りをぐるっと歩いた。ユリアは生物学者だったらしく、植物に詳しく一つ一つ教えてくれた。

午後13時を過ぎ、私たちは下山することにした。その頃には、青空と山の頂上が見えるようになっていた。

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