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うまく言語化できないかもしれない、たぶん生き方の話

うまく言語化できないかもしれない話をさせてください。初っ端から予防線を張っててすみません…。ずっと何だか気になってて、引っかかってて、一度アウトプットしてみたいのです。オチもちゃんとつかない可能性大。

他の方の書いたnoteに言及しています、その方の考えを否定する気は一切ないです!(批判か…?)と嫌な気持ちになった方がいらしたら本当にごめんなさい!そういう意図ではないです!


何ヶ月か前、ファッションや学問など、人生を懸けて取り組むものを『山』に例えてお話しされている方を見ました。その方はその山々に対して「頂上までいけるか」「自分が登り切るべき山は何か」と仰ってい(ると私は思い)ました。
…あのね、本当いっさい言葉を選ばずにね、言うとね………ま〜〜〜〜じでもんんんのすっっっっごいびっくりした。まじのマジのまじで。そんな風に見えてる人もいるんだって。すごいびっくりしたんです。だって私、三十数年生きてきて、山なんて見えたことないもの…。

言いたいイメージはちゃんと読み解けたと思う。何かを極める、何かとじっくり向き合う、その頂点を知る「山登り」のイメージ。すごくストイックで、真剣に生きている方なんだなあと思いました。ちょう格好いい。(ストイックは私の中で最上の褒め言葉です。)
じゃあ、わたしは何の山を登りたいんだろ、何の山を登ってるんだろ、と思うじゃないですか。自然に。思うわけです。考えるわけです。

いやいやお前、大学の専攻とかさ、いまの仕事とかさ、割と専門性の高いことしてきてる方じゃない?その辺に何かないの、頂上目指さないの??と自分で自分にツッコミを入れるものの、ま〜〜なんもイメージが湧いてこない。像を結ばない。
そもそもテキスタイルなんて極めるも何も旧石器時代からの技術ですからね、有史以来の先人たちが築き上げてきたものをほんの少し分けてもらうくらいのもんです。
仕事もなあ、自分にできること・どうも得意っぽいを続けていたら縁あっていまの仕事をしているので…数年先、どうなってるかは未知数だしなあ。

Wikipediaより 古代エジプトで描かれた織

では、山をイメージできないわたしはどうするのか、というかどうやって生きてきたのか。そんでどういう風になりたいんだか。ここ数ヶ月、なんとなく、ず〜〜っと考えて、やっと掴めてきたイメージがこれです。

誰もみたことのない素敵な箱庭を創ってそこでご機嫌に暮らす人です。
どんだけ思い描いても、山を登り続ける姿は自分の在り方に結びつかなかったんです。時には山を登ってみることもあるけれど、それは永遠じゃなくて、どこかに自分だけの大切な場所を持っていて、そこにいるのが常だと思いました。山を登る、頂上にたどり着くことが目的じゃなくて、山で得たものを集めてとびきり幸せになることが、目的。

あちらこちらの山に顔を出し、良いなあと思う草花や石や、山で暮らす人たちが造ったものを持ち帰り、自分らしく美しい場をつくりたい。
だから色んなことに興味があるし、気になることは全部やってみたい。気になることの中から「その中でいま自分がいちばん良いと思えるもの」を見つけ出せればいいから、その山の頂上を見たか、どこまで登ったかは気にしない。何度でも登って下っていい。よく行く山もあれば、時々しか行かないけどすっごく大事な山もある。

なんとなくそんなことを思い続けていて、先日の月報の最後で触れた「好きなものがいっぱいありすぎるので、何がいちばんなのか知りたくて自問自答してる」という言葉が口をついたような気がしています。色んな山からいったい何を持ち帰るのか、その絶対的な審美眼をもっともっと鍛えたくて、いま自問自答ファッションに臨んでるんじゃないかな。


ここしばらく、自分ひとりで「どうかな?」「こうかな?」と捏ねていたことをやっと外に出してみました。自分の中で明らかなキッカケだったので、他の方の言葉をお借りして話出す形になってしまって申し訳ないです。
でもこうやって思うと、たとえば「絵を描くのが好きなの?イラストレーターになりたいの?」「ネイルが好きならネイリストを目指したら?」「服が好きならファッション業界にいったら?」という他者からの投げかけがずっとしっくりこなかったのも分かる気がする。何かを極めたプロになりたい訳じゃなくて、何をやっても私らしいものになるようにしたいんだ。…まあ、結局それは一体なに屋さんなのだ…?という新たな謎もあるのですが…。まずはアウトプットしてみた、またこれを反芻しながら向き合っていきたいと思います!





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