バズレシピ序論(2021/05/24)
■日記
「サイゼリヤのアーリオ・オーリオに、半熟卵・野菜ペースト・ガルムソースをトッピングすると、500円で油そばが爆誕します」「ニンニクの風味がガツンと押し寄せる」「これはガチ」
などのツイートを目にし、500円で油そばが食べられるなら良いよね!とウキウキしながら、意気揚々とサイゼリヤに足を運んだ。
トッピングし終えたものがこちら。
生活圏内にサイゼリヤがあるので普段使いしているのだが、毎回同じようなメニューだと、どうしても飽きてしまう。
たまにはこういう、アレンジレシピが食べたくなるもの。イタリアンのお店で油そばなんて、面白いじゃないの。
食べた。普通に美味しい。
普通に美味しいけど、油そばではなかった。かも。
あーーーーーーーーーーーーー!!!!!
こういうのを食べるたび「バズレシピとして出会いたくなかった」と切に思う。美味しいアレンジレシピ、みたいな立て付けで出会えていれば……。
何が違うんだと思われるかもしれないが、バズレシピという触れ込みで紹介されるとなんというか、"妙"みたいなものを勝手に期待してしまうんです。
「ちょっとした工夫で、あの味になるor爆裂に美味くなる!?」のような、ただのアレンジレシピには無い"何か"を求めている節がある。バズ、という言葉のあやふやさに甘えてしまっているのかもしれない。
どうか分かっていただきたいが、バズレシピそのものに罪があるわけではない。罪があるとすれば過剰な期待をし過ぎている、僕に非がある。
古くからある「プリンに醤油をかけるとウニの味がする」とか「きゅうりに蜂蜜をかけるとメロンになる」とか、そういうものなのだ、バズレシピは。それ相応の楽しみ方をすべきだし、バズレシピは悪くない。
……と頭では分かっているんだけど、まだ心では「こんなにバズってるってことは、とんでもない化学反応が起きて美味くなるのか?」という希望が捨てきれずにいる。みなさんはバズレシピと、どう付き合ってますか?
■いつもの質問箱
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?