Monark クロムウェルの書記周り関連の考察 キャラクター編
タイトルそのものでネタバレを防ぐためにこういうタイトルにしていますが、実際の記事の内容としてはクロムウェルの書記の著者周り全体の考察になっています。
こちらの時系列に整理した記事と一緒に見てもらえればわかりやすいかと思います。
こうしてみるとクロムウェルの書記自体でも言及していますが、ネタバレ回避に気を遣う行為ってミーム汚染回避みたいですね。
目次そのものがネタバレになりかねないため目次までのスクロール画面を稼ぐためにも少し捕捉しますが、このミーム汚染っていうのは大変説明が面倒くさい概念です。
なので詳細説明はアニヲタwikiや渋百科にでも投げます。
ざっくりした例を出すと「百合」や「薔薇」という単語を見ると堅気の方はお花のことしか思い浮かばません。
でもサブカルにどっぷり浸かってしまうと同性愛の隠語だと脳内補正が即座に働きます。というか下手すると本来の意味や花の形状を忘れる可能性すらあります。
こういう事例をミーム汚染と言います。
ここまで文字数稼げば大丈夫だと思うので、本題に入ります。
【■■のモナークと、その契約者】
目次ネタバレをそれでも一応考慮して伏せていますが、ここまで来たら配慮は無視していきます。
通常のモナークとその契約者は
モナークは自分の住処である異界からは動かない(動けない?)
契約者に対しても契約時に会話程度で、後は契約が破棄されそうになる時の助勢くらいでしか関わらない
とその関係は非常に希薄で「契約者に権能を貸与し、その代償としてエゴを糧とする」以上から逸脱する例は極稀です。
その極稀な例外ケースがこの憂鬱のモナークとその契約者である二人……二人と形容していいのか?
これは憂鬱のモナークの権能が「存在操作」というほぼ万能の力であるため、
生前の本物の神宮ソラの姿を模した人形を生み出し、そこに憂鬱のモナークを取り込ませた状態にしており、現実世界に顕現することが可能になっています。
※※※
いつから神宮ソラを模した人形に憂鬱のモナークを取り込ませたのかは不明で、解釈が分かれるところです。
私的解釈としてH.Cは婿入りした神宮家の役目である「悪魔による世界のユガミの抑制」を大事にしたいという欲求も強かったため、一度実験として人形を作ってからはできるだけ現実世界で権能を用いなかったのではないかと考えています。
とくに言及されていませんが、怠惰(未来予知)強欲(時空間操作)といった強力な権能はその分反動のユガミも大きく(そもそも現実世界の理を異世界の力で捻じ曲げているため、大きな力はその分歪みも大きくなるのは当然のこと)、憂鬱の権能の燃費は極悪と考えて良いでしょう。
また、1978年に契約したばかりの憂鬱のモナークは精神的に未熟な存在で、契約者たるH.Cへ依存性が強く妻を亡くしてばかりで精神的に弱っていた彼にとって、情が移りそうになるのを自戒するような内容を書記にしたためています。
以上のことを考慮すると「距離を置いておきたい憂鬱のモナークを、最愛の妻を模した人形に取り込ませる」という彼としても嘆かわしい手段は全てを諦めた1982年6月以降ではないかと考えています。
※※※
そして1982年6月以降「神宮ソラ」という人間を模した憂鬱のモナークにH.Cは契約者である自分自身に記憶操作の命令を下し
憂鬱のモナークは契約者の想う「神宮ソラ」を演じるため、神宮家の役目である「悪魔による世界のユガミの抑制」のため学園長として振る舞う
契約者であるH.Cは異界関連の全ての記憶を消し「神宮家に婿入りした『神宮優悟』という男」として自他共に認知される存在となる
という劇中での状況になります。
なお、H.Cは元々新御門学園の調査を依頼した組織からのエージェントだったはずなのに、その組織が一向にH.Cが成果を上げてこないのを不審に感じ新御門学園に手出ししてこなかった事実を考慮するとおそらくH.Cは自分に依頼した組織の人間にも憂鬱のモナークの権能で洗脳を行ったと解釈してよいでしょう。
「新御門学園はそんなに危険な所じゃないから、現地の管理者である神宮家にこのまま任せておいた方がいいよ」とかなんとかそのくらいの穏当な洗脳だとは思いますけどね。
【H.Cのユガミを映した鏡】
しかしこの「悪魔の力を使って『伴侶の死』から現実逃避する」行為は、その期間が約四十年近くという長期間に及ぶことと、そもそも「悪魔がこの世を歪める権能を使って、この世のユガミを生む悪魔と契約者の管理を行う」というマッチポンプ、自己矛盾、ダブルスタンダードは憂鬱のモナークそのものにユガミを産むことに。
言ってしまえば「エゴを貫ききれず、それでも伴侶の死という現実を受け入れられなかった弱い自分」から生じる精神的苦痛をヒューゴは全て憂鬱のモナークに押しつけていたわけです。
これらを省みつつ、H.Cと契約したばかりの頃の憂鬱のモナークは契約者数が少なく精神的に未熟な存在であったことを考慮すると憂鬱のモナークにとって糧となるヒューゴ・クロムウェルのイデアから得られるエゴは精神形成への影響が強く、劇中で登場する「神宮ソラ」は実質的にH.Cアバターとも言える存在だったのではないかと私的に解釈しています。
※※※
神宮ソラの口癖と言えば「承諾か容認を」ですが、同じくらい「嘆かわしい」もしょっちゅう言っています。
そしてこれはクロムウェルの書記や、記憶を取り戻したヒューゴもまた「嘆かわしい」と言及していることから元々はヒューゴの口癖だったと受け止められます。
つまるところ、ヒューゴという男はイマジナリーフレンドならぬ妄想嫁をイデアの中に形成し、それを憂鬱のモナークに演じさせていたと解釈できるわけです。
死別というやむを得ない事情があったとはいえ
まぁそれを自覚しちゃったら
なお、これを養子である信哉を味方側に口説き落とす時に言うのだからヒューゴがどれだけ、目の前の相手の気持ちを考えない独善的な人間かを暗に物語っています。
自戒は大事ですけど、TPOはわきまえましょう。
※※※
劇中での「神宮ソラ」というキャラクターが
学園を異常事態から解決するため主人公に契約者退治という仕事を拒否権無しで押し付ける
そもそもこの異常事態はソラとヨルの二つの憂鬱のモナークが起こした事案であり、人間は全て契約者含めて巻き込まれた被害者しかいない
契約者退治が終わった主人公は用済みなので消す
自分のアイデンティティである契約者の優悟を失った途端、相手の拒否無視で自分の考える世界の平和と安全のために、結果的に全人類を取り込むか消失かの道に走る(第二部ソラルート)
という非常に独善的で心に棚を幾つも持っている邪悪な性格をしているのは、ヒューゴという人間が結局はそういう人間になってしまったということなのでしょう。
【そもそも新御門学園自体がユガミの温床?】
モナークは、異界関連の情報を知っている人間としか契約できない。
このことを考慮すると、わざわざ因果律が高い人間を見定め多感な少年少女を異界関連の情報のお膝元である神宮家由縁の学園に集めるのは、神宮家の目的である「悪魔による世界のユガミの抑制」と正反対に悪魔との契約者を量産するのに都合が良い環境になっています。
契約者を増やさない素直なやり方は、徹底した異界関連の情報管理だけで十分です。
まぁどんなにがんばって管理しても多少は漏れるでしょうけど、漏れたところで因果律もエゴも高い人間が異界関連の情報に触れる機会は少ないでしょうから、契約者が出てから後手後手で対処するやり方の方がまだユガミが生まれる頻度は低いような……。
さらに次の書記を読み解くと
このカーターという牧師はクトゥルフ神話大系に登場するランドルフ・カーターが元ネタだと思われますが、この書記の赤線引いた部分を読むと大体こいつのせいで悪魔が誕生したと受け止めることもできます。
さらに因果律の高い人間を見定める乱数発生器とやらもカーターが提唱し作られた模様。
……これは妄想ですが、神宮家及び新御門学園創立はカーターが銀の鍵の門を越えるための、実験場だったのではないかと私は考えています。
オマケにややこしいことに当時の神宮家当主が銀の鍵の門の向こうにいるヨーグルトソースさんを自分のエゴで封印及び力の分割=悪魔の誕生という事態に。
カーターさんは直接銀の鍵の門を越えたかっただけなのに、思い通りに事態が運ばず頭抱えたかもしれませんね。
※※※
神宮家がこの矛盾に気づかなかったのは「地獄への道は善意で舗装されている」例かもしれませんし、先祖代々の信仰を守る使命感が強かったのかもしれません。
まぁ普通に素朴に先祖代々祀っていた神様がヨーグルトソースとか言われたらそら否定したくもなりますわな……。
極めつけ、因果律の高い人間を集めるという結果からか学園の経営は上手く回ってしまい、各界で活躍する著名人を多数輩出する有名校になってしまっていました。
これらの事情から、余計に引っ込みがつかなくなったのかもしれません。
……神宮家に察知されず、こっそり契約者になって卒業してから少ない頻度で権能使って著名人になった人とかも混じってそうですね。
そんな歪んだ学園だったからこそH.Cはエージェントととして送り込まれたのに、当時学園長だった神宮家当主と恋に落ちてしまい逆に取り込まれる結果になってしまったという……。
【■■のモナークの分裂体】
上述した通り「世界のユガミを正すためにユガミを生む権能を使う悪魔」という神宮ソラが抱える自己矛盾によって生まれた、憂鬱のモナークのもう一つの人格。それがヨルです。
負の感情や意識を請け負う役割を得て分裂した人格のためか、自己中心的でとても悪辣で残酷な性格をしており、そして憂鬱のモナークそのものの精神性が未熟で生まれたてでもあるためか、幼稚。
ようするにほぼ全能の力を持つ悪ガキという、非常に危険で不安な存在です。
でもだからこそかえって全モナークの中で一番悪魔らしい性格と振る舞いをしているとも言えます。
【全ての元凶にして……】
本作の事件――というより、神宮ソラが新御門学園の学園長として振舞ってからの四十年間において、当学園の異界関連の諸々はヨルが暗躍していたというのが私的解釈です。
というのも、なぜクロムウェルの書記が学園内のあちこちに散らばっているのか?
これは学園七不思議にも挙げられているくらい、生徒間でクロムウェルの書記を目にした人間が多いことを示唆しています。
劇中で明言されていないですが、書記は十中八九時々ヨルがわざと学園内にばら撒いていたのでしょう。
その理由は上述したように、モナークは異界関連の情報を知っている人間としか契約できないためです。
劇中での七人の契約者を一度に生み出すなんてことは初めてでしょうが、それまででも一人でも多く契約者を生み出すきっかけを作っていたのだと思います。
契約者が権能を振るい始めれば秩序と安寧のために神宮ソラは自らの権能を使わざるを得ず、自己矛盾が起きてヨルの力は増していくため効果的な作戦だったと。
なお書記の回収は信哉君がやらされていた模様。お疲れ様です……。
七不思議で書記の続きを読もうとすると消えてしまう、というのはいずれ契約者になって神宮ソラに消されてしまう、という意味なのかもしれません。
※※※
このようにして徐々に神宮ソラから自己確立を確固たるものにしていったヨルは、劇中での事件を発生させます。
明言されていませんが、契約者全てがヨルの声を聞いてから各々に契約対象のモナークと契約したということを考慮すると、元々各契約者は学園長として生徒情報を確保できる立場にもあるヨルに以前から「候補者」としてリストアップされており、権能によって強制的に異界とリンクさせられ各種モナークと面会させたのではないかと考えています。
契約者の中でも一橋や遠野姉妹なんかは異界関連の情報に目を通しそうなキャラじゃありませんしね……。
あとは神宮ソラに行動権を返し、即座に結界を張らせてある程度契約者が暴れ回った後に、全ての契約者を倒す手駒である主人公を放ち、劇中での状況に。
一言でまとめると、自分自身を産み出すために、自分自身にストレスかけていたのが劇中でのヨルの暗躍です。
バカみたいな行動に見えますが、自分自身にストレスをかけることで意図的に生み出した普段の自分とは違う自分を自在に使いこなす「人格変換スイッチのONOFFを自在にできる」人間は実際にいますからね。
スポーツアスリートなんかが顕著で、過酷なトレーニングと儀式的行動によって「闘争心に満ち溢れた精神状態」を造り、引き出すことができる選手は珍しくありません(本作の発狂覚醒はこういう状態だと思っています)。
これが人間じゃなくて悪魔なので、脳内人格分裂に留まらず実際に分裂してしまったと。
【被害者でもある存在】
ヨルが被害者である、という私の主張は受け入れ難い話だとは思います。
このSSで書いた話なんですけど、主人公とヨルは
人間ではないモナークで
偽者(ソラ)から分裂し自己確立したヨルと
ヨルから流出した虚飾のモナークの紛いものである主人公は
ただ、外の世界で自由に生きたかった
のは一緒なんです。
Monarkという作品のテーマというか、プレイヤーへの呼びかけですが
「君はここにいていいんだよ」
「君はこの世界で生きていいんだよ」
「君は君らしく在っていいんだよ」
という言葉を求めていたのは、主人公やバディたちだけじゃなくヨルも一緒じゃないかと。
でもヨルは生きて外の世界に出られなかった。
それはなぜかというと、拙作でも書いた話ですが「他者への愛が欠けた欲求は自己を滅ぼす」から。
自己愛による欲求で起こした行動は、自他を傷つけるだけだから否定され排除されても仕方ない、というのは傲慢、憤怒、嫉妬、色欲の契約者との戦いでも描いていることです。
「大切な妹や仲間たちを守りたいし、自分も死にたくない」
という利他的で利己的な欲求を抱えた主人公と違い、どこまでもヨルは他者を踏み躙る悪辣な悪魔ですから消えてしまうのも仕方ない話……ですが、
それでも私はヨルが好きで、
ヨルが自由に生きていたっていいじゃないかと言いたい。
だってそれが私の共感だから。
※※※
水星の魔女ではテロリストの地球の魔女に思いっきり共感した記事書いてますし、後に死んだノレアを見た時は「死ぬのなら地球の魔女たち二人のように死にたいなぁ」という物騒な感想を抱いてしまったくらいです。
自分勝手に、好き勝手に、他人を傷つけて、それでも生きたいと願い、世界に爪痕を残して排除されるはた迷惑極まりない生き物ですが、そんなキャラに共感を覚えてしまうのは私の抑圧している欲求の代弁者でもあるから。
【ヨルの残酷さと、優しさ】
私がヨルが大好きな理由は、こころちゃんルートを最初に選んじゃったのも大きな理由だと思います。
このルートの終わりでは、大切な先輩を失って絶望するこころちゃんにヨルがらしくもない言葉をかけます。
自慢の子供(主人公)の残した者に愛情をかけられる、劇中で唯一と言っていいヨルの優しさが垣間見えるシーンです。
このルートは唯一ヨルの一人勝ちなので精神的余裕が大きいというのも理由なのでしょうが、ともあれヨルにも利他的な愛が芽生える素質はあったのだというシーンでもあります。
※※※
一方で、自慢の子供が独占されるのもそれはそれで嫌だという面倒くさいママでもあるのがヨル。
千代ちゃんをなぶり殺しにした理由がコレですからね……。
こころちゃんを容認したのは、こころルートでは主人公&こころタッグがソラを倒す刺客としてちょうど良かったからであって、内心ムカついていたともちゃんと言っています。
でも自慢の子供が大切に思った人は、ヨルにとっても大切になってしまったというのがこころルート。
一方で千代ちゃんは、ヨルにとってはまぁスクショの言葉通りで……。
自慢の子供がどれだけ特別で大切なのか、価値もわからない千代ちゃんが独占している状況に遂に耐えかねたとか、そんなに大切にしている妹が死んだらこの子はどんな反応をするのだろうとか、まぁロクでもない理由ばかりが想像できますね。
この支離滅裂ながら、我が子への歪んだ独占欲が強いのが本当に大好き。
※※※
ちなみに、ヨルのバトルモード形態と発狂覚醒した主人公は結構シルエットが似通っています。
ヨルの赤子を抱く姿がバトルモードというのは、主人公への偏執的な愛が滲み出ていてナイスデザインだと思っています。
万能の権能を持ちながらにして、ヨルが独占できているモノって実は主人公だけですからね。
ようするに、この二人(?)似た者親子であるというところがあるわけで。
最終部で共感によってヨルにも今までの記憶が蘇ってきた時、ソラに負けたり愛する息子に殺されたりした記憶だけでなく、こころちゃんに優しい言葉をかけた時の記憶も同じくらい大切にして「地獄に堕ちる時は一緒だよ!」じゃなくて「私も君たちと一緒に生きたい!」とヨルが利他的で利己的な愛に芽生える可能性は無かったのかとちょっと願ってしまいます。
それこそSSで消化しろって話ですかね……。
【悪い親(オトナ)の振るう銃身】
ラスボスがヨーグルトソースさんなので、Monarkで明確に悪役と言えるのは憂鬱のモナークとその契約者たちだと思います。
契約者たちも被害者である、というのは上述したとおりで。
それで思うのが、憂鬱のモナークの契約者であるH.Cとモナーク二体は三人とも、抑圧する親や大人のメタファーだよな、と。
【■■のモナークの契約者】
ヒューゴはこのように、エゴによって生じる世界のユガミを守り、秩序と安寧を願う大人……という自己愛にまみれた負け犬です。
彼は結局、自分が失ったモノを、自分が取り返せなかったモノを、自分が大切だとは思えなかったおぞましい悪魔を、大切で特別な人だと言って、自分ができなかったことをやり遂げようとしている真生徒会メンバーが羨ましくて疎ましいだけに過ぎない、という妬ましさがこのあたりの台詞で滲み出ていますね。
それならそうとハッキリ言えばいいのに、今までこの記事で述べたように自己分裂起こしてより世界の秩序を乱しておきながら「自分は世界を守っているんだ」という思い込みに逃避し、そしてそれを理由に主人公に「死ね。お前が死ねばみんな幸せだ」と理屈で抑圧してくる、実にダブルスタンダードな悪い大人です。
【■■のモナーク(青)】
神宮ソラに至っては学園長という立場を使い「承諾か容認を」が口癖というあたりからしてもう悪い大人そのものです。
また、契約者である神宮優悟を失った凌太郎ルート、失いかけたこころルートでは
・幸せでない者に生きる権利は無い
・自分の中に全てを取り込めばみんな幸せ
という独善そのものな行為に走りますが、結局それは「神宮ソラ」という自分を消したくないがための言い訳にすぎない面が強いです。
とくにこころルートはより象徴的で、まるで人類全てを己の子宮に取り込もうとする狂ったグレートマザーのような有様です。
ヒューゴが老いた大人らしく「若者への嫉み」が垣間見える言い訳を使うのに対し、二部で暴走するソラは割と真剣に心の底から「これが皆の幸せ。私の愛する子供たちの幸せ(そして実は自分の幸せが最優先)」と独善100%なあたりが、暴走した母性愛そのものですね。
【■■のモナーク(赤)】
ヒューゴ本人と、ヒューゴのイデアの影響が強いソラは「盲目的な独善で子供の自我を抑圧する大人」という面が強いのに対し、
ヨルは「自分の子供は自分のもの。だから子供に自由権利なんてないし、自分のためだけに働くもの」というタイプの悪い親ですね。
大人というほど精神性が成熟していないのもありますが、劇中でも信哉君の実母がそんな感じでしたし、現実にもこういうタイプの親は呆れるくらいたくさんいますし……。
ただ、既に書いたように狂って歪んで独善だけど、ヨルの我が子への愛情は本物というのが難儀なところです。
優先度が自分>子供なだけで子供を愛しているというのは嘘ではないせいで、利用されていることを子供本人が気づいていないというのは正に信哉君が証明しているところです。
【最後に】
ネタバレ回避のためにこういうタイトルでしたが、実態としては本アカウントでは恒例のヴィランをテーマとした記事でした。
記事内でもボロクソに書いているように、ヒューゴの心情は理解も納得もできるけれど、私には決して共感したくない(できてしまう)嫌悪感の強いキャラクターです。
なお、悪役として嫌悪感を抱かせるのはむしろいいキャラであるという褒め言葉と受け取ってください。
一方で、憂鬱のモナーク二体に関しては理解も納得も吹っ飛んでいるけれど、共感してしまって好きなキャラクターと言えます。
マイナー気味の作品なので、ここまでヨルが大好きとかいう人もたぶん稀でしょう。
※※※
Monarkにおいて、主人公は「エゴに従ってもいい」のはなぜなのか?
ヴィランたちが「自分のエゴに従った結果破滅した」のはなぜなのか?
結局のところ、そういう比較記事でもあります。
以前の記事でも締めとして書きましたが
行動は利他的
動機は利己的
が幸せを掴むコツというか、エゴに従ってもいい理由なのですが、さらに大切なのは「動機が利己的であることを自覚しているか否か」も重要だというのが、憂鬱のモナーク周りのキャラクターたちの示唆しているところだと思います
何せ、ヒューゴもソラも「行動は利他的で、動機は利己的」なのは一緒ですからね。
ただそれを自覚しておらず、行動が独善で暴走するからエゴに従うことが許されなかった、と。
もっと遡れば、ヒューゴは一度曲げたエゴをうじうじといつまでもこねくり回していたのが良くなかった、と。
……だからエゴを貫くのは難しいんだよ。
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