ペルソナ5R プレイ感想
160時間かけてやっと一週目クリア。
なおプレイ時間の1/4くらいはペルソナシリーズ恒例で全ての人の魂の詩を聞いている時間でした。
ソニックとかヴァンガードとかドラクエとか東方とか遊びたいゲームがたくさんあるのにこいつのせいで渋滞起こしています(現在進行形)。
逆に言うと最優先で遊びたいくらいに一番肌に合うゲームだということで。
【三学期シナリオの感想に換えて】
三学期シナリオは様々な感想を抱くことには抱いたのだが、とくにジョーカーと吾郎ちゃんのライバル関係が予想以上にシビアに描かれていて、ここに関してのみはSSにでも変換するかと書くことに。
この拙作「黒猫と鴉の取引」ではゲームシナリオ中で一月九日に迫られるシナリオ分岐選択肢で、私自身が覚えた感想が核になっています。
つまり、(私自身が動かしている)ジョーカーはこの時だけ最初にして最後の、個人のエゴと欲望を理由に反逆の翼を広げた。
本当に、あの瞬間だけは今まで戦ってきた怪盗団のみんなより、横にいる吾郎ちゃんに格好悪い所を見せられないというのだけしか考えなかった。
※※※
あくまで個人の感想ではあるけれども
ヤルダバオトを倒すまで他人のために戦い続けてきたジョーカー
ジョーカーに負けるまで自分のためだけに戦っていた吾郎ちゃん
この利他と利己を突き詰めた正反対の二人のワイルド能力者が三学期では
他人の幸せを踏み躙ってでも自分の信念を貫くジョーカー
自分が死ぬとわかっていても自分とライバルのために戦う吾郎ちゃん
と利他と利己のベクトルが反転している。
また、別記事で語りたいが三学期吾郎ちゃんの反逆の翼たる「他人の操り人形になる人生なんてもうまっぴら御免」は、ある種三学期のストーリーの裏テーマに通じるところがあると思う。
↓別記事書きました↓
【丸喜拓人について】
個人的には、丸喜先生の理想は大部分で賛同できる。
恐らくあんな世界が現実化すれば遠からず人類は緩やかに滅びていくのだろうが、幸福なまま足掻かず喚かず何も知らずに滅びるのならそれはそれで別に構わないだろうと、反逆の心を持たない私には思える。
ただ同時に、丸喜先生自身の幸福はあの世界にはない。
そんなみっともない、人間が人間自身に緩やかで不恰好な揺り篭の終焉を突きつけるのなら、P3の時のニュクス降臨を受け入れておけば良かったとPシリーズをプレイしていたなら思ってしまう話だ。
P2でニャル様の試練を見て、P3で「命の答え」を見て、P4で「真実を追い求め」るのを見て、P5無印で大衆の怠惰を撃ち抜いたのを見てきた以上は、神ならぬ個人が頑張らなくたって、人類は終わりたい時には勝手に終わるだろうさとある種の諦観を覚えてしまう。
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丸喜先生は最後の最後で拳に込めた万感の想いを、怪盗団とジョーカーにぶつけて真っ向から受け止めてもらうことでやっと救われた。
彼が本当に求めていたのは、他人の楽園なんかじゃなくて自身と恋人の下に降りかかった理不尽に対する怒りの矛先なんだろう。
みんながみんな、怪盗団のように他人や社会に対して反逆の牙を剥くことができるわけではない。
自分自身に牙を剥けて拗らせて歪んで暴走してしまうこともあるだろう。
それを受け止めるのが、彼の教え子で救ってきた患者でもある怪盗団と芳澤であるのなら素晴らしいグランドフィナーレだと賞賛したい。
【子供はやがて大人になる】
P5は「腐った大人を改心させてやる」と掲げた少年少女たちのジュブナイル物語であるが、どんどん怪盗団の手段と目的が逆転し始め奥村社長の件でハメられたあたりで「君たち怪盗団は将来、改心されない立派な大人になれる自信があるのか?」と疑念を抱いたプレイヤーは私だけではないと思う。
というか、明らかに夏休みや修学旅行あたりの調子づいた竜司の言動などはプレイヤーにそう勘付かせるための前フリである。
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その答えとして用意されたのが丸喜拓人だというのが私の解釈である。
そもそも、丸喜先生は「モジャ頭」「眼鏡」「そのせいでパッとしないがよく見ると中々ハンサム」とジョーカーに似たキャラデザなあたり、怪盗団がやがて暴走して行き着く果てに成りかねなかった「暴力的な独善に満ちた大人」を意図しているのではないかと。
もっとも丸喜先生の厄介で難儀なところは、一見すると暴力的には見えない独善というところなのだが。
【子供を搾取する大人】
これはP5無印のテーマの一つである。
鴨志田にしろ、斑目にしろ、金城にしろ、奥村社長にしろ、そして極め付きが獅童で彼らは子供をあらゆる方向角度から搾取している。
また、クエストでもかなり子供から搾取する大人がたくさん出てくる。
双葉の叔父しかり、一二三の母親しかり。
上京してきたばかりの頃の千早は未成年だったと思われるので、やっぱり彼女も搾取されていた側の人間だ。
ここらへん、最近では水星の魔女でもテーマに取り上げているのでいずれ個別で記事にするかもしれない。
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丸喜先生はそんな悪い大人から子供たちを守ってくれる、そういう意味では理想的な大人である。
だが、彼は彼で子供たちから「反抗心」「独立心」の芽を摘み取り「可能性」という花を開かせる機会を奪う過保護な大人という意味で、やっぱり悪い大人ではあるのだ。
保護される側からしてみればとてもやりにくい相手ではあるのだが、しかしそういった相手にすらも中指おっ立てて信念を貫くことができなければ、怪盗団はダブルスタンダードだと言わざるを得ないというところにシナリオ展開を持って行くあたり、本当に全くペルソナスタッフは性格が悪い(褒め言葉)。
【怪盗団は立派な大人になれるのだろうか?】
そんな丸喜先生の作る楽園すらも奪い取り、ペルソナ能力無しでジョーカーを奪い返したラストは無印ラストの意味合いにさらに強い意義を与えており、大変上手いシナリオ運びだと手放しで褒め称えたい。
新島冴の一件でもそうだが、本当は心の怪盗団ですら心を盗まずに話し合いで心を掴むのが一番良いのである。
それではどうしようもない理不尽があるから異能力に頼ったのが怪盗団の始まりだったが、一年間の活動の中で視野と人脈を広げた彼らはもう異能力無しで社会に立ち向かえる大人への第一歩を踏み出した。
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けれども、残念だがそれでも怪盗団のメンバーが決して「腐った大人」にならないとは言い切れないと思う。
どんなに今は立派でも、やがて一番輝いていた時の志は色褪せて暴走することがある。
とくにジョーカーは好敵手の吾郎ちゃんを救えなかった証とも言える手袋を見ながら「まだ決着はついていない…」と想っていたあたり、アレが将来ジョーカーの「オタカラ」になってしまう可能性を感じてしまった。
でも、だからこそEDで丸喜先生の言う「大人になってからでもやり直せる」反逆の意味があるのだと思う。
丸喜先生は口では「僕の現実を受け入れて欲しい」と言いながら、ヤルダバオトよりはるかにフェアなゲームをジョーカーに対して提示していたあたり、「誰か僕を止めてくれ」という悲痛な叫びにも似たものを感じる。
アダムカドモン撃破後に自分よりずっと年下の子供に諭されて、甘える丸喜先生はめちゃくちゃカッコ悪かった。
それでもたくさんの自分の教え子たちに手を差し伸べられて生きていこうと決めた丸喜先生はめちゃくちゃカッコ良い。
彼はあらゆる意味で、怪盗団のメンバーがどんな大人になってもどうにでもなるということを提示したキャラクターである。
独善の暴走を始めたとしても、『世界』から、他人から切れなければ思いもしない誰かに止めてもらえるかもしれないし、どんなに惨めで今まで積み上げてきたモノを無に帰す失敗をしでかしたとしても「それでもまだやり直せる」と示してみせたのは「安易な死や幻想に逃げずに現実に立ち向かう」という意味であり、本当に意地の悪い反逆だ。