芸術ってなんだ 感性ってなんだ 前編
残暑厳しいですが少しずつ秋めいてくると思われます。
芸術の秋と言いますが、私はこの芸術ってーのがよーわからん。
前々から記事に書こうかと思っていたらフォローしている猫アイコンには言われたかないさんが書いてらっしゃったので便乗する形で。
【美術館行ったらモノの前に解説文から見る奴】
私は完全にコレである。
実を言うと芸術というものに関して私はちょっとコンプレックスがある。
というのも、私の姉や母方の親族はかなり芸術的センスを持っており、そういう感性に恵まれた血筋なのである。
とは言っても祖父が洋服縫製の仕事(デザインはしない)をしていたくらいで、仕事ではなくもっぱら趣味なのだが。
とくに姉は直球で感性型の芸術センスを持っており、暇があれば寺社仏閣巡りをし茶器始め陶磁器を美術館で愛で、太陽の塔が好きで岡本太郎のファンであり、聞いたこともない絵師やミュージシャンを引っ張り出してきて「今私コレにハマっている」とか言い、ルームコーディネイトの仕事をしているわけでもないのに知人仕事仲間からその手の仕事を依頼されるほどセンスが良く、トイカメラで風景画を撮影するのを趣味としており、銀魂のジャスタウェイやらムーミンのニョロニョロが好きとかいうそういう人間である。
理屈屋の私とは正反対の性格であり、姉に何がいいのか何が面白いのかと何度か聞いたのだが要するに言語化できない何かを姉は愛しているように思える。
そもそも言語化する必要があるのか?っていう態度にも見える。姉にそう言われるとなんか頷かざるを得ない。
【感性は磨くものではなく感得するか天性のもの】
そんなこんなでやたらとアートなセンスに溢れた家族に囲まれて育った私は、劣等感もあってなんとか芸術というものを理解しようと努めた時期がある。
美術や音楽の書籍を読み込み、シンボル学や西洋絵画に使われる小道具からいわゆる属性というのは昔っからあったのだと学んだりした。
ほーら結局理屈地獄に落ちていると気づいたのは三冊目あたりからである。
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以前書いたゲーム音楽の記事だが、これも全く理屈のみで書いている。
音楽はまだギリギリ感性のみで『好き』がわかるのだが、しかし語るとなると理屈のみでしか語れない。
絵や像に陶磁器に至ってはさっぱり何もかもわかんない。
ちなみに先述した姉を以てしても「壺って何がいいのかわかんない」だそうである。私は姉や母が皿と茶碗はOKで壺がわからんという基準が本当に全くさっぱりわからない。本人たちもよくわからないらしいが趣味嗜好で片付けている。
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そして暫定して現状出した結論は「感性は磨くものではなく感得するか天性のもの」だというわけである。
センスというのはどう足掻いても後天的に得られるものではないのではなかろうかという……ようするに諦観の領域である。
創作者側のことは知ったことじゃないが受け手側としては「ピンと来る」「なんかいい」だけでいい。というより、それに理屈をつけると別の何かに変質するのである。
そういうわけで「俺は全力でオギャれるバブみ溢れるロリ巨乳キャラが好きなんだ!」とかなんとか自分の性癖と属性を定義してそれを求めてコンテンツを漁りさまようのはある種の本末転倒のように思える。
推しキャラや推し作品を、好みの属性の加算点で決めるのはオタクにとっての無間地獄じゃないのかと思うんですよね。
果ては推し作家、推し俳優に推し声優とまで行くと……自分の好きの定義と対象が生きた人間であるが故のブレに思い悩むハメになりかねない。
故に、「好き」「良い」という感性をあまり理詰めにするべきではないというお話になるわけです。
そういう意味で感性というか、初印象というか、理屈抜きの「好き」という気持ちは大切だと思います。
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感性の話題で始終してしまったので、芸術そのものの話題は後編で。