忍者と極道 第94~96話感想
休載期間もあって久々に忍者と極道感想記事になります。
ようするに美陀戦の感想になります。
【バトルとは言っても……】
実際のところ、長こと神賽惨蔵の回想がメインでアクションシーンバリバリのドンパチはほぼ無し。
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このためたぶんSNS上の感想は長の過去、とくに伊太さんこと幡随院長兵衛との関係、ひいては幡随院孤屠との関係性考察が盛んに交わされているのでは……と勝手に思っている。
そのためこのあたりの考察や感想はわざわざしなくてもいいだろうということで、まぁやるとしてもいずれ別件でまとめて。
そういうtwitterを主とした感想記事は
つのさんがやっているからそっちに任せればいいんだよ!
【美陀と歪罹井の対比】
先の斗女たんVS歪罹井から続いたこの美陀戦だが見事にこの二人の過去や信念は対照的になっている。
歪罹井さんの抱えた闇については前の感想記事で書いたのでそっちに投げるとして、
寄り添わないことで患者の居所で在り続けんとする美陀
寄り添うことで患者の悩みや苦しみを理解し、世に赤ん坊を送り出す歪罹井
仕事とプライベートをきっちりと分けていたが故に、唯一心の拠り所としていた母親が老いてしまったことで壊れてしまった美陀
患者の気持ちに寄り添いすぎて、世に送り出した赤ん坊の悲惨な末路からその責任感に押し潰された歪罹井
【患者との距離感】と【生の始まりと終わり】でどちらも全く対照的な方向で極道へと堕ちてしまったわけである。
全ての道は極道に通ずとか嫌過ぎる。
赤ん坊の時点で希望が無く、老いてしまえば美点も失う。
寄り添おうと距離を取ろうと、どちらにしても壊れる時は壊れる。
そりゃまぁこんな連中が集ったのが救済なき医師団であるのならば、強制天国への回数券無料体験会実施とかやるのも理屈ではわかる。
【長の優しさ】
逢魔賀戦時は長が逢魔賀のガチファンだったゆえに、彼に野球愛を取り戻してもらいたかったというのがあったのだろうが
初期の頃にこのような厳しい意見を言っておきながら、この漫画の忍者の中で一番情深い極道の気持ちに寄り添った優しい殺し方をしているのは毎回長である。
大体長は身内の忍者にもとくに情深い。忍者はみんな優しい人たちばかりだが、長の優しさは度を過ぎて甘い。
それでも死なないのは忍者の中でもマジもんチートのスペックゴリ押しできているからである。だからこその余裕とも言えるか。
長本人は自分の優しすぎるが故の甘さに気づいていなさそうなところが死亡フラグビンビンなわけであり、極道との抗争が300年以上にも渡って終わらないのは長のこの冷徹になりきれない性格のせいじゃねーのかとかすら思える。
しかしやはりでも、この漫画の登場人物は極道側の破壊の八極道ですら「優しい」と表現せざるを得ない人物が多く、忍者側の頭領が飛び抜けて優しいのはメタ的にも必然であり、そしてやっぱり長の魅力だと思う。
【壊れた時計】
美陀のキーアイテムであった壊れた時計であるが、これはちょっと別記事にしたいくらい濃い考察ができそうである。
だが今回は美陀に絞ってこの時計関連でちょっと考察。
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この時計の振り子の音の「カッコッ」はしつこいくらいにずっと美陀戦で鳴り続けていたわけだが、振り子の規則正しい音と
この音程やリズムの波で催眠するという技巧ということから、たぶん時計が催眠補助アイテムなのだろうなと95話までは考えていた。
先にも挙げた「いけませんよ暴力は」という台詞のコマでも太字になっている部分がまるで時計の数字盤のようになっている。
ここまであからさまな演出だったので、同じ考察をしていた人も多いのではなかろうか。
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のだが、実際に決着がついた96話ではこれらのことに一切触れられず、壊れた時計という象徴的なアイテムのままブッ殺完了。
とくに否定する材料も無く、長は長で睡掌髑路の補助を使っていたので美陀側も思い出の時計を補助アイテムとして使っていたというのは肯定しても否定してもどっちでもいいという感じなのだろう。
忍者と極道のこの「説明しすぎない」「クドくない」それ故のテンポの良さはやっぱりこの漫画を面白くしてくれている大きな長所であると再確認。