『魔女』という属性あるいは烙印 【前編】

「水星の魔女」のオンエアが始まり、現状とても楽しみに視聴している。
本稿はこの「水星の魔女」の魔女としての側面から見た拙作記事の補足記事である。

なお補足記事だが前編後編構成で合計一万文字くらいあるので本当に暇な人だけ読んでください。

私はガンダム(というよりアニメ)をあまり見ない方なのだが、水星の魔女は珍しくタイトル発表の時点で期待していた。
というようなことを、数カ月前のタイトルのみしか情報公開されていない時期に友人と話したら「お前って昔っから『魔女』好きだよね」と言われた。

自覚は無かったが、言われてみればそうではある。

【まどかマギカの魔女】

『魔女』というモノに私的に生涯最大の衝撃を与えたのはまどマギの魔女たちである。

薔薇の魔女ゲルトルート
お菓子の魔女シャルロッテ
委員長の魔女パトリシア

※※※

劇団イヌカレーのトンがった感性で生み出された、この禍々しくおぞましいながらも、どこか愛らしさと、そして何より生前の希望と絶望のエッセンスが散りばめられた秀逸なデザイン。
この視覚的デザインと、それを支える設定の双つに私は魅せられた。
ギリシャ神話のスキュラやローレライを現代風に解釈するとこうなるのだと思う。

まどマギの設定上

  • 少女たちは希望を抱いて契約し魔法少女になる

  • 魔法少女になることで、一つだけ願いが叶う

  • 契約代償として戦う中や、日常生活の中で抱いた負の感情を浄化or消化しきれず魂に穢れが溜まる

  • 穢れがキャパシティーオーバーした時に、魔法少女に成った時に抱いた「希望」「絶望」へと相転移し、魔法少女魔女へと成り果てる。

昨日思い描き心に抱えた、美しき希望。
それが明日心の内で腐敗し、悲しき絶望となり周囲にさらなる呪いを撒き散らす。
その希望と絶望が、まどマギの魔女のデザインの中では巧みに両方取り込まれており、あえてまどマギ世界のファンタジー的な設定を取り除き現実的な面のみを抽出するのであれば魔女というのは大人になるということであり、「大人になった君は美しさも醜さも兼ね備えており、過去の傷も今日振りまく呪いも在るからこそ、君は君自身なのだ」と言える。

ある意味その究極版が悪魔ほむらということになり、女神まどかも含めて彼女たちは「大人になる」ことを辞めた「永遠の少女」という別件のややこしいテーマもあるのだがまぁまどマギの話はこのへんにして……。

【現実の歴史的に見た魔女】

これは大変難しく、真剣に取り組んで書いたら1000ページは優に越える本が書ける恐るべきテーマである。

少々とっちらかるかもしれないが、私的に知る限り且つ時系列的に【魔女】と呼ばれる女性たちの古今東西のシロモノを羅列していこうと思う。

【ギリシャ神話の魔女】

このあたりは

あたりが代表的な魔女と言えるか。
実は私もこの三人でも知識量に差異があり、竈の女神ヘスティアがぐるぐる鍋をかき回すのが、後々のヤモリの黒焼きだのカエルやコウモリの干物だの蛇の抜け殻だの怪しげなモノを煮込む怪しい魔女のテンプレ的イメージの原型となっているとかそういうところは変に覚えている。

個人的に、後々の論に展開する魔女裁判にかけられた「一般家庭の女性」や欧州の童話に登場するテンプレ的魔女の原型に一番近いのがヘスティアだと思っている。

※※※

メーディアのドロドロとしたラブロマンスや、女性的な魅力を駆使しながら屈強な男たちを手玉に取り、私心丸出しの好悪で他人の人生をハチャメチャにしてしまい、その報いを受けながらもエゴの塊そのものの人格を貫徹するという「正に魔女」という女性は好感を持つのだが、昨今のジェンダー論からするとおもいっきり叩かれる趣味嗜好だと思うのでおおっぴらにはできない。

魔性の女というのは男女共に嫌われる人間ではあろう。
ただ、男である私から見る魔性の女とはあえて誤解を恐れずに言うのなら「篭絡されたいほどに美しい」から魅力的で、そして己が持つ男性だからこそ許された権力を裏から横取りしてしまうので、恐ろしいと思うのである。
もっと噛み砕いて下品に言ってしまえば個人の中のチ〇コと脳ミソがケンカするような女。

女性から見た魔性の女を嫌う理由は色々察することができるが、男性の私が憶測でソレをとやかく言う権利は無いと思うので省く。

ただ、魔性の女というのは男性優位社会だからこそ成立するというのが私見である。
いやまぁ社会的に見た話であって個人レベルではそうではないのだが。
でもそれって、現代でもヒモとか性格クズのホストとかそういう男もある意味では魔性の男ではあるので……。

とまれ、私的に知識量がそこそこあるのがこのヘスティアとメーディアであり、申し訳ないがキルケーについてはあまり詳しくないので省くとして。

※※※

ギリシャ神話の時点で「家庭的な魔女」=「『母』の魔女」→「老婆の魔女」という童話的テンプレと「男をたぶらかす魔女」「男性権力社会の裏で暗躍する魔女」というこれまたテンプレ的な二つの魔女観はあったと思われる。
と言っても、現代に伝わっているギリシャ神話とは古代に語られたギリシャ神話そのものではないので、後世これらの属性が捏造付与されていった可能性は否めないのだが。

【東洋の魔女】

女子バレーボールの異名ではない。
このあたりは魔女という概念自体が西洋文化圏内のモノなので、括りに入れてしまうのは乱暴だという意見もごもっともだということは承知のうえで、いくつかラインナップさせてもらう。

ギリシャ神話で述べた概念的に言うと、卑弥呼は家庭的な呪術を扱う魔女の系譜であり、妲己は魔性の女であり、鬼子母神は童話の中での人喰い魔女の系譜と分類できるか。

※※※

卑弥呼というか、呪術を扱う女王の女権中心世界というのは人類史的には実はこっちの方が男性権利社会より大分長かったのではなかろうかと私は思っている。

というのも、人類は群れ社会で生きる生物である。
そして「群れ」というモノの最も根源的でシンプルに信用できる要素は、「血族」であるということである。
ところが、男は自分の子供が本当に自分の子供であるのかということを確信できるようになったのはつい最近のことで、一方で女性は確信を以って己の子供は己の子だと言える。

結果として、血族を束ねる信頼性のおける個人というのは原始的には女性であり、男性優位社会が成立したのは諸々の要件が重なった結果であると私は考えている。
このあたり詳しい研究をしている学者先生や書籍もあるのだが、正直私の勉強不足で確信を以ってコレと言える説は残念ながら無い。

話が大分逸れたが、つまるところ卑弥呼が呪術を扱う女王だったというのは別に人類史的にはおかしくもなんともない、魏志倭人伝が書かれた時代の大陸では古臭い程度の存在だったのではなかろうかというお話である。

【ホモ・サピエンスとしての生態から読み解く】

卑弥呼のように、母から娘へと受け継がれる呪術というのは次に展開する論の魔女狩り時代の魔女のお話に繋がるので、詳しく書こうと思う。

人間の妊娠期間の長さや、赤ん坊の育児の大変さを考慮(※)するとどうしても女性と男性で仕事を分ける必要は生じた。
人間は他の動物基準で比較すると生まれてすぐに自分で歩くことすらできない未熟児状態で誕生する。このため、子供の世話のリスクとリソースが他の動物より格段に高く、社会的な支えが無いと事実上繁殖が不可能な生物といえる)
これは男女差別ではなく得意分野の区別だと言うべきところなのだが、やはりここが差別の原点の一つというのは間違いないことでもあるのだろう。

原始社会において、女性は女性同士でグループを作る必要があったであろうということは、人間という動物の生態上自然な流れであると思う。
というのも、先述したように人間の赤ん坊の育児は大変世話がかかる。
常に母親がつきっきりでおぶったりしながら、採集や原始農耕などの仕事をする必要が生じる。
この時、仕事場に同じ女性同士の仲間がいるのならば、互いの育児の経験則を情報交換しながら助け合うことができる。

仲間の子供の授乳をすることも、母乳の出が良い女性ならばやることだってあったかもしれない。
ある程度成長した少女は、母や祖母や近所のおばさんお姉さんたちの仕事の手伝いをしながら知識や技術を教えられる。
少女が弟や妹、他人の赤子とて世話を任されることで、将来母になる時の予習をすることもあるだろう。
かように、原始社会においては助け合わなければ育児というのは不可能だったと言える。
というか、現代でも形は全然違うものの育児の大変さから福祉などの形で助け合っている点は変わらない。

※※※

以上のことから、生態的理由から生じる女性集団社会において、男性は女性の社会から締め出されることになる。
現代的感覚で言えば、別に男性が女性の仕事を手伝ったっていいような気もするのだが、乳も出なければ子供を絶対に産めない男がその社会で諸々の知識を学んでも、あんまり将来役に立たないのである。
誤解されたくないので書いておくが、現代においてそれは違う。確かに男は未だに子供を産めないが、育児という仕事をするだけの道具や福祉が現代社会には備わっている。これはあくまで昔のお話ということを念頭に置いてもらいたい。

そういうわけで、人類史の根源を考えていくと男性と女性の間で伝達する情報や継承される知識や技術に隔たりが生まれるのは必然であった。
それは共同社会の中において、男と女という別々の考え方が生まれることに他ならない。
それはつまり

【そして生まれる『魔術』】

女性集団の内では女性にだけ受け継がれる知識や技術が在ったと思われる。
これは近所で採集できる薬草や毒草などの知識、使い方といった技術や採集可能時期に簡易的な栽培方法なども含まれていたかもしれない。

原始的な村社会においては、これは女性だけではなく男性にもある程度受け継がれるものではあるだろう。
だが、文明が発展することで専門職などが生まれ、男女の仕事の区別化がよりハッキリさせられるようになると、知識と技術の偏りはより広がる。

理解できないものを人は恐れる。
夜闇が恐ろしいのは何も見えず、危険が傍に迫っていても対処ができないからだ。
狩りに、遠征採集に、他部族との戦いに、原始貿易に明け暮れる男たちは、村で家で帰りを待つ女たちが普段何をしているのか、どんどんわからなくなっていく。

彼女たちがどうやって美味しく温かい料理を作ってくれるのかわからない。
彼女たちが子供をあやす歌やおまじないがなぜ効果があるのかわからない。
彼女たちが施す病気や怪我に効く薬やまじないがなぜ効くのがわからない。

怖い。

いやいや、男たちは思うだろう。
あんなまじないは効きやしない。現にオレんトコのボウズはカミさんが効くっつった疳の虫を除く鍼とか高ェ金出してやってもらってもよ。全然ダメで、オレぁ夜中ボウズがピーピー泣く声で眠れやしなかったぜ。

疎ましい。

わからないモノを、神秘として昇華できればそれは信仰に繋がる。
わからないモノを、迷信や邪な術だと排斥すれば、それは弾圧に繋がる。

信仰となれば、家を守る女たちは巫女となり神子となり尊び畏れる者となる。
かしづき託宣を乞い、未知を解き明かしどうしようもないことをどうにかしてくれる敬う対象となる。

恐れたならば、家を守る女たちは、母たちは、妻たちは、娘たちは、頼もしく愛しいパートナーではなくなる。
支配し管理しなければ、よくわからないことをして、よくわからないことをぺちゃくちゃとのたまうこの穴に何か突っ込んで黙らせなければならない。

魔女とは、かようにして生まれたのではないのか。

↓続きは後編で↓

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