忍者と極道外伝「獅子の華」紹介と考察
「忍者と極道」その外伝である「獅子の華」の紹介と感想考察的な記事になります。
そもそも全話無料公開が終わった今更なタイミングでハマっている私自身が世間に乗り遅れている気がするのだが、気にしないことにしよう。
【忍者と極道入門にぴったり】
なぜ「獅子の華」を推すのかというと、これが忍者と極道の入門作品として非常にオススメしやすいから。
以上が理由。
基本的にこの獅子の華と、常時無料公開中の1話を読めば忍者と極道の世界観や作風、テーマが伝わるはず。
逆に言えば1話と獅子の華を全部読んでなお合わなければ無理に読む必要はないかと。
万人にオススメできる漫画ではないモノが無闇に流行る必要はない。
【内容紹介】
ネタバレにならない程度にざっとした内容紹介。
【あらすじ】
1945年東京。戦火に焼けた後のその地で、人々はたくましく生きていた。
食糧物資あらゆるものが欠乏し、誰もが貧しい東京で慎ましやかながらもたんぽぽコーヒーを商品として、喫茶店を営む青年がいた。
彼の名は「瑠刃 壊左(あきば かいざ)」。青年の裏稼業は堅気を極道から守る「忍者」であった。
そして青年とたんぽぽ畑で出会う、もう一人の男がいた。
男の名は「輝村 獅門(きむら しもん)」。男の裏稼業は「極道」の殺し屋だった。
出会ってしまった二人は、お互いの正体に気づかぬまま友愛を育むことになる。
その果てに待つ結末を知らぬまま……
【基本設定】
・忍者
江戸幕府が倒れた文明開化後、どこにも属さず自らの意志と力のみで民を守る武装集団。
この時代の忍者は鍛え抜かれた心身を持つが平成令和の時代に比べると比較的常識的な身体能力……いやどうだろ。
極道死すべし慈悲はない。
しかし文明開化から半世紀以上、弾圧してきた極道の憤懣やる方なく戦争中に謀られた一件で狩られ、1946年時にはたった二人しか東京に忍者は残っていない。
そのため自警活動をやむなく停止しており、情報収集と鍛錬に勤しんでいる。
・極道
ヤクザ。
現実の戦後間もない頃のヤクザは、国力が弱まり治安が不安定だった市井を、自発的に取り締まっていた側面がある。
もちろん自分たちに都合が良い形で、暴力を用い、それぞれの組の縄張り争いなどもあったうえでだが。
本作の極道は積年の怨みを抱いていた忍者を一掃することができ、さらに上記の通り国力も弱まっていた頃なので黄金時代の幕開けであった。
【ネタバレ有りの考察】
ここから先はネタバレ込みスクショ込みで書くので未読で興味がある人は引き返した方が無難。
【極道の倫理】
獅門は表層的には無愛想なだけでそれほど人が悪く見えないのだが、親友(ダチ)へのプレゼントを強盗殺人で調達してしまうあたりが実にこの作品の極道である。
一応闇市で見つけた瞬間の思考は購入→無理→妥協→悩むという手順を踏んでおり、発見即強盗ではないあたり躊躇はあった模様。
内心の葛藤はあったのかもしれないが、それでも無二の親友に血で汚れたプレゼントを贈るのは良くないことと断念してしまわないのがやっぱり極道なのである。
※※※
なお闇市を仕切っているのは極道なので、同業である獅門は強盗殺人に及ばずともなんらかの圧力で調達はできたのではないか?とも考えたのだが、贈答先が堅気(だと思っていた)なのでアウトである。
コーヒーミルを使うような趣味人は、戦後間もない東京で少ない。すぐに壊左の店が贈答先だとバレ、壊左になんらかの迷惑や暴力が振るわれることは想像に難くない。
もっとも、強盗殺人なんて派手な真似で調達した高級品はすぐに贈答した本人である壊左の知る所になってしまうことも、たやすく想像できることなのだが。
壊左が本当に堅気であったとしても、この一件を境に二人の関係は修復不可能に壊れてしまったことであろう。
つまるところ、堅気と親交を深めるという行為にあまりにも不慣れな極道の不器用さが滲み出ているエピソードである。
極道が孤独である理由は自業自得の面もやっぱり強い。
また、この状況をある程度操作して導いた長ではあるが、元より短い間しか保たない親交であったことは火を見るより明らかであったわけなので、誰の邪魔も入らない二人だけの決着をつける場を提供しただけ長は忍者なりの情があったと言える。
【二秒ほどサボった】
獅門攻略のキーとなったのは、二人の絆のきっかけとなったたんぽぽ珈琲そのものだった。
これを攻略の鍵とすることに、当然壊左は躊躇があったであろう。
だが共に堅気の人間ではない忍者と極道の間に、生ぬるい情を挟むことを互いに良しとはしない。
それでも悔恨としか思えぬ様子を画像の壊左が見せたのは、獅門の母との思い出を踏みにじる行為であったからではなかろうか。
自分たち二人のみで完結していることなら良い。
だが、極道と言えど母子というかけがえのない絆の思い出を愚弄するような行いは、勝利のためとはいえ忍ばれる。
故人にならんとする獅門に、勝者である壊左は申し開きのない悔恨の念を今後の人生でずっと抱え続けることになるだろう。
それを恐らく、今際の際で壊左の言葉を耳にした獅門は全て悟った。
獅門のこの台詞は、真実八割虚偽二割くらいなのではと私は考えている。
嗅覚は記憶と密接にリンクした感覚である。
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そのため、味覚が異常に過敏な獅門の隙を生み出すために、味覚を嗅覚=思い出で塞ぐという作戦は大変利に適っている。
これで蘇る思い出を、壊左は「母との思い出」だと思っていた。
しかし獅門は引用した台詞で「二人の思い出」に摩り替えた。
こうすることで、二人の決着は「獅門の母」という第三者を除き、純粋に二人の間でのみ完結するものとして終着した。
あまりにも身も蓋もない言い方をすれば獅門は勝者にして親友の壊左に気を遣った。
※※※
実際、獅門が動揺した一番の理由は二人が育んだ友情の記憶だったのだろうとは思う。
二人が仲良くなったきっかけは確かに獅門の母の味であったのだろうが、二人が意気投合して無二の親友となれたのは、互いが互いの人格を気に入って尊重し合った結果であってやはりそこもまた二人の間だけで完結しているのである。
……しかし、本当に二秒ほど煎りが足りていなかったのかどうかに関しては、これはわからない。
超人的な忍者である壊左のスペック的に、一度注意されたことを短期間に何度もヘマをやらかすとは思えないというのが私的な感想。
なので「友との思い出が獅門を殺した」という言外にした意図は真実であり「二秒ほど煎りをサボった」という口にした言葉そのものは虚偽だったのではないかというのがこのシーンの意味なのではないかと思っている。
※※※
あまり書くのも無粋かもしれないが、じゃあなぜストレートに「このコーヒーの味はもうお前の味だよ」的なことを言わずに、わざとヒネくれた言い方を獅門はしたのか。
これは友人同士ならではのふざけあいや、今後も切磋琢磨し続けてほしいという願いが込められた親愛のジョークだからではなかろうか。
親友同士ならば、言外に込められたそれら無数の想いが必ず伝わるであろうと信じて。
【小道具について】
この記事を書いていて気づいたことがいくつかあるので最後に書き連ねようと思う。
【二人の絆のきっかけとなった珈琲】
先ほども書いたように、たんぽぽ珈琲が壊左と獅門が仲良くなるきっかけとなった。
そして書いている途中で気づいたのだが、コーヒーミルと一緒に本物の珈琲豆を獅門は調達している。
そもそもコーヒーミルは本物の珈琲豆がなければ無用の長物なので当然ではあるのだが。
つまり、たんぽぽ珈琲という代用品の偽モノが二人の間を繋ぎ、本物の珈琲が二人の間を決裂させるきっかけとなった。
なんという皮肉か。上述した獅門の最期の言葉も考えると、この二人の間では表向きの真偽が逆転しながらも、互いの真意は伝わるというとても尊い関係を結んでいる。
また、最後の最後にたんぽぽ珈琲がまた二人の間の終着点となり、友情を結び直すモノとして機能しているのも美しい。
【ダンデライオン】
本編でやたらとBUMPの曲題がタイトルになっており、58話ではそのまんまダンデライオンがあるように、近藤先生はたぶん間違いなくBUMPのファンであろう。
歌詞を全部載せるのは憚られるが、この歌は本作「獅子の華」のモチーフになったと思しき内容なので、聴いたことがない方は調べてもらうと感慨深さが得られると思う。
【華=鼻】
極道の殺し屋として振舞う時の獅門は、戦闘装束の意味合いや面割れを防ぐためか能面の獅子口を被って仕事をしていた。
口を常に開けているため、防具的な意味合いもあったのかもしれない。
返り血を舌に浴びたりすると感覚が鈍るだろうからね。
そしてこの仮面を着けていない時の素の獅門が、たんぽぽの花で鼻をくすぐられ、友情が結ばれ終結するというお話になっているダブルミーニングなタイトルになっている。
最後にたんぽぽの花言葉を書いてこの記事を締めようと思う。
「真心の愛」
「別離」