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「苦労は若い内に買ってでもしろ」は真理だけど信用しちゃいけない

えー今回は三億円高校生を読んでいて抱いた感想ないし妄言です。


【若い内の苦労で買えるもの】

上述の三億円高校生は、最近よくある貧困にあえぐ若者がなんとか現代社会で生き抜くというお話ですが、とある事情でパパ活女子を助けなければいけない事態になった時、彼の雇い主である探偵、今畑との間で行われたやりとりで

  • Q:パパ活(ママ活もアリ)最悪のリスクは何か?

  • A:この先一生の金銭感覚が狂う

であり、まぁそれはそれとして差し迫ったリスクに対処するのですがそこらへんは本編を読んでいただくとして……。

この答えの詳細は本編ではハッキリと明言されないものの「若さ」という資本によって、将来ではそれほど安易に得られないほどの金額を唐突に稼げてしまうことで、若さも美しさも衰えた後でも若い時分に稼げた金銭感覚が抜けず、破滅してしまうというお話ですね。

【金銭感覚は若い内に買っておけ】

なんかありきたりな眠気言たわごとですが、実際コレ大切だからこそ大人たちは若者に口を酸っぱくして言うわけでござんして。
ただアプローチが違うんですね。ま、個々の大人たちの金銭感覚が個々人違うだから当然だよな。

そして若者たち自身の間でも金銭感覚は当然違う。
金銭感覚とかいう個々人違うものを比べても仕方ねぇやって投げたらそれこそ今後の人生で痛い目を見る恐ろしいモノです。
だから若い内に苦労してでも買うべきは金銭感覚であると。苦労を買うのではなく苦労を対価にして買うべき概念がある。

それを得やすいのが真っ当な労働による報酬、給与というわけです。

それができたら苦労しねぇ(画像略)

【買える苦労と還る苦労とただの徒労】

真っ当な労働ってなんだよ!それで真っ当なお給料もらえるんだったらそもそも「苦労は若い内に買ってでもしろ」って言われねーわ!
今の景気や労働環境うんぬんもまぁ健全とは言い難いですが、ンな誰でも愚痴っていることを垂れても仕方しゃーねーので省略するとして(そもそも弱者が搾取されていない時代が人類史にあったのか?)、買える苦労とは何か!?

金で買える苦労です。

【お金で買える「経験」という人生資本】

皆さん自分の可能性を信じて、未成年の内に、色々なことにチャレンジしたでしょうか?しているでしょうか?
勉学、部活動、スポーツ、創作、その他諸々。
その中でお金のことで保護者と揉めたことはありませんか?
自分には才能が無かったと諦めて止めた時「あれほどお金をかけてやったのに」と言われたことはありませんか?

辛いですね。
それで金銭感覚が養われるわけでもないのでなおのこと辛いです。
そうして挑戦すること、自分の可能性を信じることを奪われてゆく。
悲しい話ですね。
で、世の中の底というものは底抜けで、そんなチャレンジを得るチャンスすら無かった若者たちだって、常に居続けている。
まぁその手の話は他の誰だってしているのでそっちに投げます。

とまれ「挫折や辛さという経験」をお金で買えたのですら、人生資本の一部なのです。
そういう世界が世の中にはあると知れた。それは財産です。
まぁそれを得るための対価が等価とは限りませんが……(金出した親に数十年経ってもまだ言われるとか)。

※※※

もっとポジティブなお話をしましょうか。

お誕生日に美味しいごちそうやケーキを振る舞ってもらえた。
夏休みや長期休暇で旅行やレジャー施設に連れて行ってもらったりしてもらえた。
欲しいゲームや服に食べ物を買ってもらえた。
ワガママを言ってもダメな時はダメだときちんと教えて叱ってもらえた。

全て財産です。
財産ですよ?

【いずれ還る苦労】

上述のような、一見当たり前と思われるモノすら与えられなかった若者たちは買う必要すらなく苦労しています。
それがいずれ還元するものだと信じて――いるかどうかは、個々人次第ですが。

彼らの苦労がいずれ人生の財産として、資本として、たとえお金という形でなくとも還元され、報われる日が来るかどうかは――わかりません。
いやだってマジでケースバイケースですし、偶然巡り合った人や時機とか色んな運も絡んで来るので無責任に「報われます」とも「報われません」とも断言できゃしません。

ただ、この手の苦労を若い内にしていると確かに上述のような「お金で買える経験」という資本とはまた別種の経験資本が得られます。
あるいは負債が得られます。
まぁどっちもどっちでどっちに転がるかもやっぱりケースバイケースだから断言ry

※※※

この手の苦労をして成り上がった人はしっかりとした金銭感覚を持っており、頑強な精神力を持っている場合が多いです。

ただ、同時に硬いモノほど折れると致命的というのは人間の心でも一緒で、そうではなく柳のようにしなやかで、樫のように硬い柔剛併せ持ったメンタル持っている若い内に苦労した人とか……それこそ超レアケースです。
この手の成功者は目立つから「いずれ自分も……」という目標に良くも悪くもなっちゃうんですよね。悪いとは断言ry

【ただの徒労】

それを決めるのはあなた自身です。

これだけは断言できます。
徒労だと決めつけたら徒労になる。
財産だと思ったら輝けるものになる。
傷だと思えば痛む。
筋肉のように傷も超回復すると思えば――ドーピング剤にはなる。

実らなかった努力はただの徒労という言葉は真理です。それを認めなけば本当にただの自己満足に終わってしまうから。続く道が無いから。
心というモノは一度罅割れたら二度と元の形には――というのも真理です。ずっと同じ形で在り続ける心の方がただの頑固であり不健全ですから。

【『苦労』なんて一言で済ませるんじゃねぇ】

まぁ結局ここに行き着きます。
同じ経験でもそれを苦労だと思う人とそうでない人もいる。
想像を絶する苦労を越えた凄惨たるモノを「苦労」に分類せざるを得ない人もいる。

それらを全部『苦労』なんて一言で済ませるんじゃねぇ。
買ってでもしろなんて言うんじゃねぇ。

間違いなく断言できるのは、私自身含めてこんなことをのたまう大人と若者たちの間には時代と年齢という絶対なる壁があるから。

ディスコミュニケーションが起こるのは当然です。
だからこんな一言は言っちゃいけないのです。ましてやこの一言を免罪符として若者に苦労押しつけるようなことはしちゃいけないのです。

いずれ、若者に期待して圧力をかけるのは大人の悪い癖です。
まぁ若い人は我々を生暖かい目と多目に見てください。
青春というものは、青春している時には気付けないものなのです。
ちょっと羨ましくって妬ましくってちょっかいかけたくなる大人の悪い癖です。

いずれ君たちも大人こっちに来るから。

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