呪いと祝いの環状線 呪術廻戦と水星の魔女を呪詛と祝福の巡回から見る
突然ですがこの夏、足の骨折りました。
というか未だに治療中です。不便です。バリアフリーの有難みがよくわかるようになった昨今です。
弱者にならずば弱者の気持ちはわからない、とは言われますがいやはや身を以て知ることになろうとは。
さて、自由に身動きできない状況で暇を持て余していた私はようやく呪術廻戦を二期の初っ端から見ることにしました。
ハイ、懐玉・玉折です。
作中時系列順に見ることで、それはそれで面白かったです。
さて、今回の記事はこの懐玉・玉折の主人公とも言える夏油傑の語る「弱者」と呪術廻戦のテーマである「呪いは巡回する」に、最終回感想を語り忘れていた水星の魔女まで全部ドッキングした記事です。
しっちゃかめっちゃかだけど私の中では筋が通っているからいいんだよ!
【夏油はいつだって弱者の味方】
懐玉の序盤での夏油は、悪友にして親友である五条に対して、このように正論をぶっちゃける生真面目な少年でした。
夏油傑と五条悟。
二人は最強。二人なら最強。向かう所敵無し。
そう思っていた青い二人は、薄汚れたクソみたいな大人の権化である伏黒甚爾の作戦にまんまと引っかかり、任務の護衛対象である天内理子の殺害を許してしまった一件から、五条は自分の潜在能力に覚醒、一方で夏油は自分の甘さと弱者の汚さを噛み締めることに。
【守るべき弱者】
天内理子は日本を呪術的に守る要である「天元」の引継ぎ役と言うべき「星漿体」であるため護衛対象であったわけですが、天元と同化してしまうと彼女の自我は取り込まれ、そして外の世界にも干渉できなくなる――個人としては死も同然ですね。
この事情から、夏油は五条と事前に「理子がもし同化に拒否をするなら」という可能性を相談しており「そうなったら同化無し。現呪術界全てを敵に回しても俺とお前なら余裕」という五条の返答に同意しています。
先ほど引用した「弱者生存。それが社会の有るべき姿」と語る夏油の持論は「理子の同化拒否に味方する」と、この時点で破綻しているんですよね。
天元が呪術的に日本を守る要石なのですから、一人殺して1億2千万以上の人が助かると考えれば安いもんです。
それこそ正に夏油が五条に説教していた内容です(後に灰原の件で自覚したように、多数の弱者のために少数の強者たる呪術師は常に死線に立っている)。
なのに、夏油は天真爛漫で、意地っ張りで、寂しがりやのごく普通の女の子である理子や、互いに家族として慕い合うメイドの黒井に対しても常に優しい言葉を投げかけ、不要なリスクを負ってでも彼女たちの意志を尊重していました。
かくして夏油は、理子に「愛する人たちと生きたいのなら、そうすればいい」という道を提示し、一緒に歩もうとしていました。
※※※
そんな普通の少女である、なんの罪もない理子を殺したのは「ガキ一人を殺せば大金になる」というクソみたいな理由で動いた非術師の大人。
さらにその元を辿れば、非術師の一般人の宗教団体が依頼者。
この敗北、挫折、何より「弱者を守るのが強者の務め」という大義を掲げていた夏油に突き付けられた女の子一人の死を万雷の拍手で祝う「多数の弱者」というこの世の醜悪を見せつけられたことをきっかけに、夏油の「弱さ」と向き合う葛藤が始まります。
【守るべき弱者の選別】
己の術式である呪霊操術に必須過程である、嫌悪感を伴う取り込み作業。
そんな自分を慕ってくれていた後輩である灰原の死。
九十九由基との対談で得た「非術師を皆殺しにして、術師だけの世界になれば呪霊は生まれない」という極論。
そして、非術者が迷信と偏見と見えざる力への恐怖で呪術師を監禁、虐待するという現実を目の当たりにしたことで、夏油の『弱者』の概念は覆ります。
数が多いということはそれだけで強みです。
圧倒的多数である「弱者」。次々呪霊を生み出す「弱者」。
圧倒的少数である「強者」。呪霊を祓うために死ぬ「強者」。
夏油の「強弱」がひっくり返る過程は実に見事に描かれています。
※※※
この後、夏油は呪術師のみの世界を作るために呪詛師に堕ちましたが、上述したように始まりの一件である天内理子の護衛案件の時点で、結局のところ夏油は「目の前にいる尊い弱者を守るためにこそ、自分の力は在る」という点は全くブレていません。
上述画像の少女ミミナナはその後家族のように可愛がっており、劇場版の0では敵対しているというのに乙骨憂太はじめとした呪高専一年生のみんなが、互いを守るために庇い合い、慈しみ合い、強敵へと立ち向かう姿に感涙するほど、身内想いで感受性の強い性格は十年経ってもまだ変わってませんでした。
そして、自分の行動理念に「意味」や「大儀」などの「客観的正義」を求める性格も。
互いに全身全霊全力全開乾坤一擲を込めた一撃のぶつけ合いは純愛の乙骨憂太の方に軍配が上がります。
【強弱という呪いに蝕まれた夏油】
持って生まれた「強い自分」ということに意味を求めた男、夏油傑。
彼は生真面目で強くありながら自制力という美徳を持つ少年でした。
その優しさは黒井や理子にミミナナには感謝され、
その高い実力と実行力を灰原やミゲルは尊敬し、
五条はおそらく自制力や一般論、弱者に寄り添える感覚といった自分には無いモノを持っているのに己並みに強い夏油を親友として戦友として誰よりも大切に想っていました。
でもコレは夏油の「自分の行動を自分のワガママだけで決められない自我の弱さ」から生じる「大義名分」「強者は弱者を守らなければいけないという一般論」という呪いに始終縛られていたが故の、美徳だったと言えます。
もちろん、一般論は大事です。
みんながみんな五条や宿儺みたいな天上天下唯我独尊だったら社会は成り立たない。夏油のような強者は社会に必要です。
でも、彼は自身にかけられた呪いを「弱者救済」という祝福へベクトル変化させる際に非術師の一般人を「猿」と蔑まなければ、両親殺しまでしなければ、できなかった。
夏油は弱者に寄り添える強者だったのですが、彼の弱い部分に気付いて寄り添い手を差し伸べてくれる相手がおらず、最後の最期に再会した親友である五条悟が最期に言葉を投げかけたことで、彼を蝕んだ呪いはようやく祝いへと本当の意味で変わることができたのでしょう。
【目一杯の祝福を君に】
エアリアルの嘘つき!!!!!
となった場面でした。
「祝福」であれほど「共に生きる」「共に闘う」と言っておきながら『これから先は呪われた魔女の道』と突き放すこの仕打ち。
そしてガンダムという呪いを地球で焼き払うために家族から祝福を受けていたことに気づくスレッタ。
一方で、自らの選択ミスでエアリアルが地球に撒き散らした呪いの責任を一身に負うことになったミオリネ。
一期ではミオリネが田舎娘で人見知りのスレッタを引っ張っていましたが、二期では呪いと怒りで暴れ回る地球の魔女たちのテロの事後復興に働き、傷心したミオリネを励まし、呪いによって暴走する家族を止めるため、スレッタは動き回っていました。
それは、学校に通えるように苦心して働いた母プロスペラの
母が抱く復讐心に気づきつつ、妹の明るい未来を願ったエリーの
最初は利害の一致だったけれど、共に心を通わせる間に無二の伴侶となったミオリネの
波乱万丈はあったけれど、スペーシアンのスレッタを暖かく迎え入れてくれたアーシアン寮の皆の
今までスレッタが出会ってきた人たちが、スレッタにくれた祝福のお返し。
力技で無理矢理ハッピーエンドに持っていった水星の魔女ですが、魔女という呪いの刻印を貼られた女性たちが、その呪いを祝福へとベクトル変換させてガンダムという忌まわしい兵器を消失させ、ガンド技術という医療のみを残したので私的には文句無しのハッピーエンドでした。
【プロスペラの呪いの始まりは祝福】
サマヤ母娘以外皆殺しとなったヴァナディース事変は、娘の誕生日を祝う「ハッピーバースデートゥーユー」を父娘ともに歌うことで終わりを告げました。
カルド・ナボ刀自が夢見たGUND技術がもたらすであろう希望は、本編の地球の魔女二人で見られたように、年端もいかない子供をプロ軍人パイロットをも越える化け物兵器に載せる使い捨て消耗品にできる絶望と血みどろの未来を開き得る可能性もあったわけなので、この弾圧も仕方ないと言える部分があります。
目一杯の祝福を、未来に。
ヴァナディース機関が抱いた崇高な理想は本物でしたが、それを実現するための兵器転用という資金繰りが、恐怖と嫌悪と偏見という呪いを生むことに。
※※※
姉妹の魔女が起こしたデータストームの最果てで再会したヴァナディース機関の仲間たちに、初めてプロスペラが零した弱音と本音。
仲間を、恩師を、夫を、そして娘までも喪い一人「魔女」という烙印を押されて生きていかねばならない呪い。
サマヤ母娘だけでも、罪のない少女であるエリクトだけでも助けたかった、その未来が明るく希望に満ち溢れることを祈った故人たちの行動は、呪いを生みたかったわけではないのですが、結果としては生き残ったエルノラに強い罪の意識という呪いを刻むことに。
でも
エリクトが死に瀕した際、計画に必要だから造った二人目の娘、スレッタ。
誰よりもプロスペラの苦労を知り、彼女から本物の愛情を受けて育ったスレッタは、プロスペラの起こしたエアリアルとクワイエット・ゼロによるテロ行為を、ベネリットグループへの復讐ではなく娘の自由と未来のために起こしたモノだと理解し、彼女を20年間蝕んできた呪いを独善によるものではなく肯定することで「娘への愛情による祝福」なのだとベクトル変化を起こさせました。
それでも、スレッタの言葉だけではプロスペラはまだ自分を許せなかった。
だけど、愛娘であるエリーの言葉で、彼女はやっと呪いから解放された。
祝いと呪いをクルクルと螺旋状に回転して描いたプロスペラとガンド・アームとの20余年に及ぶ魔女の道程は、スレッタという末娘の魔女が祝福という形で結んで、愛情を家族たちに返す形で円環を閉じたわけです。
【『祝福』を謳うのは第一話では「エリー→スレッタ」から最終話では「スレッタ→母と姉」に円環している】
かくして、水星の魔女は世間から受ける「呪い」を受け止めながらも家族内で回る環状線の中で「祝福」へと変換して互いにバトンタッチリレーしていった物語とも言えます。
ここで重要なのが、環状線の間に途中乗車して魔女家族の中に加わった、ミオリネ・レンブランというスレッタの伴侶。
呪い呪われ、祝い祝われる環状線は途中乗車も下車もできるものであり、グルグル回るそのベクトルを呪いと祝いどちらにでもレール変更できるモノなのです。
ミオリネはエアリアルが起こしたテロ行為の責任者という罪を背負うことで、皮肉にも真の意味で魔女の家族の仲間入りを果たし、それでもプロスペラとエリー、そして地球までをも救おうとする「祝福」のバトンをスレッタと一緒に持って走る道を選び「水星の魔女」は終わりを迎えます。
【社会という途中下車を許さない環状線】
でも、社会という大きな枠の環状線は、よほどの覚悟をキメないと途中下車できません。
この恐るべき環状線で巡る呪詛と祝福の感情線は、見方一つ、言葉一つ、差し伸べてくれた手一つでいくらでもレール変更します。とてもとても恐ろしいことに。
愛という、本来なら尊ばれるべき感情をたくさんの呪いを祓ってきた経験則からか、五条はこうバッサリしています。
何せ、親友の夏油は仲間の呪術師たちに「呪霊の無い未来」という祝福を届けるために「非術師は皆殺しにする」という呪いを撒き散らす呪詛師に堕ち、敵対する道を選びましたからね。
でもやっぱり、水星の魔女で描かれたように、そして乙骨にはこう説いた五条自身が結局は夏油に親愛の感情を向け続けていたように、愛ほど狂った祝いも無いでしょう。
個人の中の感情戦と、社会の中の環状線。
これら二つの巡回ルートを決めるのは、やっぱり愛なんじゃないでしょうか。