忍者と極道 第四章の輝村極道のデザイン変遷について
毎度毎度の忍者と極道記事ですが、今回はあまりテキストが多くなく引用画像がメイン。
ツイッターで呟ける程度の内容なのですが、わたくしROM垢なので……。
【裸の自分を晒して】
百聞は一見に如かず。第四章「幼狂死亡遊戯」での極道(きわみ)の名乗りシーンを主として時系列順に並べていく。
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こう並べるとわかりやすいのだが、名乗りの内容とその時の姿がきちんと対応しており、そして全てのシーンで衣服に手をかけている。
プリキュアだって変身するんだから極道だって変身するさ。
ネクタイを締め直して普通の会社員と名乗り、
防弾スーツを脱いでただの個人にして友達二人であることを名乗り、
そして上半身裸になって刺青を晒しながら、破壊の八極道であることを名乗る。
人には多面性があるものであり、創作ではそれをキャラデザで表現することが多いが本作でもその手法を用いているというわけである。
二つの勢力のシンボルとなっているのが、忍者側は忍装束と覆面、極道側はサラシ褌に刺青、であり極道(きわみ)は素肌に刺青を彫っている関係上、脱げば脱ぐほど本性に近づいていくという構造になっている。
【黒のスーツ姿】
脱ぐだけ脱いだら後は全裸になってしまうので、舞踏鳥戦を終えた後の極道(きわみ)は死体から服を剥ぎ取って身に纏っている。
ストーリー的には、見るからに極道もんである刺青を晒したまま友達の忍者(しのは)と出くわすわけにはいかないので、服を再調達したというのが理由だろう。
メタ的には白い清潔な貴公子然としたスーツ姿から、黒き極道の振る舞いにふさわしい姿に着替えたという演出である。
この後第二幕での極道(きわみ)は黒がメインの縦縞スーツという大変ヤクザらしい衣装を纏っている。
それにしてもなんでも着こなせるしなんなら褌だけでもカッコいい極道さんはだがイケメンに限るを地で行っているな……。
【裸が本性の極道、衣装を身に纏う忍者】
脱ぐことで本性を露わにする極道と対比して、忍者は忍装束と覆面を纏うことで忍者としての仕事を果たす。
片や着る者、片や脱ぐ者。
これは本人たちの社会に対するスタンスも表しており、忍者は素顔を隠し、社会に応じた格好を出来る者であり、極道は本性を隠そうとしても隠しきれず、社会のお仕着せに叛逆する者であると言える。
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(7/20追記)
この記事書いた後に気づいたこと。
忍者は着る者と上述したばかりだが、上記引用画像のように忍者(しのは)君の私服姿は忍者装束の上にパーカーを着るというものである。
90話までそのようなシーンが無かったので盲点だったのだが、つまり忍者(しのは)は忍者として出撃時はパーカーを脱いで忍者に変身し、極道をブッ殺しに行くということになる。
何度もファンの間では考察されているが、やはり忍者(しのは)は他の忍者よりかなり極道寄りのキャラ造形がされている。