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忍者と極道 忍者は割れた子供たちと紙一重なのではないか

毎度のことながら忍者と極道の記事です。

今回は既読の方にも未読の方にも意味不なタイトルつけていますので、前置きからお話したいと思います。

【前置き】

忍者は極道被害に遭った子供たちの成れ果てた姿である。

今回の記事はこれが大前提にある。

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堅気時代の斗女たん

最後に登場した忍者である斗女たんの過去が判明した時点で確定したことだが、現世代の帝都八忍は全員極道によって日常や家族を奪われた被害者遺族たちである。

陽日のいた孤児院は児童臓物(ガキモツ)牧場だったし、色は両親を極道の抗争に巻き込まれて失っている。
左虎右龍の忍者兄弟は実父と養父を共に華虎ちゃんにブッ殺されているし、斗女たんや忍者(しのは)は上記引用した画像の通り。

前世代である炸羅や戦前生き残りの壊左などは不明だが、ともあれ現世代の忍者は極道を許せぬ正当な理由を持っている。
ちょっと話はズレるが、犯罪者への復讐者であるダークヒーロー、社会に否定され堕ちたヴィランという構図はバットマンに似ている。
私はアメコミにあまり詳しくないのでこのあたり突っ込んだ記事を書けないのが少し残念である。

※※※

ここで、割れた子供たちNo2である舞踏鳥の過去を参照する。

天国への回数券(ヘブンズ・クーポン)を購入した兄の手によって金も両親も奪われた少女、幽華の成れ果てが舞踏鳥だったわけだが、その天国への回数券を販売しているのがガムテの親分である極道(きわみ)なのである。

舞踏鳥は一段階クッションを挟んでいるものの、間違いなく極道被害者だ。というか家族が極道の仕切る麻薬の中毒者になってしまったなんて忍者たちより下手にリアルだ。
そして極道被害者なのに、身持ちを崩してその極道の下で働くことになるなんていうのはもっと悲しいことにやっぱりリアルでそれこそ数百年は前からありがちな話だったりする。

で、あるならば。

舞踏鳥になる前のただの少女「偉藤幽華」の時点で、お兄ちゃんブッ殺そうと決めた彼女の前に現れたのがガムテではなく忍者であったのなら、幽華は忍者になっていたのかもしれないという発想が湧いて出た。

堅気の時点でマサクゥルポイント500という常人より五倍くらいの凄まじい数値を誇っていた幽華なのだから、忍者になれるだけの素質はあっただろう。
まぁ実際はどちらが幸せだったかはなんとも言えない所なのだが……。

【忍者のスカウト考】

忍者の仕事と状況を考えると極道の悪事(ワルさ)をしている現場にカチコミ、極道ブッ殺して生き残った被害者遺族の中に素質がある者を見つけたらスカウトしているというのが常なのではなかろうか。

子供を選んでいるのはそれだけ伸びる余地が大きいからだろう。

この割れた子供たちというシステムを採用した理由は忍者にも適用できることではなかろうか。
ただ、割れた子供たちと違いスカウトされても実際に忍者になれるのは10人の内たった1人で9割方死ぬという正に鬼の所業が行われている。
まぁ色のスカウトシーンを見る限り、まずスカウトする時点で相手の意思を確認しているのでスカウトされる子供側も死を覚悟……というよりもう何も失う者がない「無敵の人」状態になっているので、あまり冷酷な所業とも言いきれないところがある。

極道側は面の皮厚く忍災孤児とか無敵の人対策とか言っているが、彼らもまたそういうのをたくさん生み出していることに気づいていない……ような連中だから極道になったんだよ!!

【差し伸べられた手の違い】

現世代の忍者たちは、忍者に発見されて忍者に鍛えられたから忍者になった。
割れた子供たちの多くは極道と関係なく心が割れ、また忍者の縄張りでない地方出身者も相当数いると思われるので、忍者に救われることなく極道に堕ちた。

このため割れた子供たちの多くはやはり忍者に成り得る可能性は低いが、しかし忍者側の人物たちは一歩間違えれば割れた子供たちになっていた可能性も十分あると思う。
それこそ斗女たんに移植された臓器の中には、下手をすると児童臓物(ガキモツ)牧場由来のモノもあったかもしれず、また斗女たんに生きる力を再び与えたと思しきおさげの少女は高確率で殺戮歌MAYAの少女時代であろうことからむしろ忍者側に転がったのが奇跡的なことかもしれない。

※※※

また、以前の記事でも述べていたことなのだが忍者もまた孤独な者が多い。
そして誰もが抱える寂しさや辛さにつけこんで来るのが極道なのである。

今でこそ極道ブッ殺すの恐るべき忍者たちも、最初に出会ったのが言葉巧みで尚且つ真剣に孤独な者の味方であらんとする極道(きわみ)であったのなら、あっさり極道堕ちしていた可能性がものすごく高い。
陽日なんかも児童臓物(ガキモツ)を抉る対象ではなく、その異能を見初められ、認められていたのなら孤独を癒され極道に昇格していた可能性だって十分ある。
とは言っても少々裏稼業をするには優しすぎる陽日が、非道を日常的に行う極道が務まったかどうかは怪しいところがあるが。

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幸せを失ったがばかりに結局幸せを奪った当の連中と同じ存在に成り果てたというのは、なんとも理不尽でマッチポンプ感溢れる話なのだが負の連鎖というのは起こるものである。
忍者と割れた子供たちの分岐路は、差し伸べられた手の違いでしかなかったというのは身も蓋も無い話だがそういうものかもしれない。

【結局のところ】

忍者が真っ当に生きられた人間かどうかは大変疑問を覚えるところだが、やっぱり忍者はハッピーかどうかはともかくとしてラッキーな星の下に在るのは間違いないとは思う。

逆に割れた子供たちは現実逃避でハッピーになってアンラッキーな星に生まれたことに冷笑しているようなところがある。

※※※

忍者もまた、心が割れた子供であったのかもしれない。

この直後に忍者(しのは)が「わかってんじゃねーか」と返しているように、極道に殺された心は極道を殺さなきゃ正気でいられないというのも一つの真実なのではあろう。

そんな壊れた心に差し伸べられたのがガムテープか忍者の手か、それを決めるのが運命だとかなんだとか、そんなものでしかないというのはあまりにも悲しい話ではある。

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だからね、現実的な話になるのだけれど、傷ついた子どもにはちゃんと福祉や我々一般人が手を差し伸べるのが一番なんですよ……。

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