その気になれば、はじまる。
焼き物屋が、薪の窯のために何かをこしらえる。薪の窯という特別感は、どうしてもあるし、必要以上に意識してしまう。でも待てよ。何かを作るために窯があるのであって、窯が先にあるのはおかしくないか。
そう。おかしい。順番が逆。
作りたいものが先にあるものだろうに。ねえ、陶器の作家さんよ。
恥ずかしながら、ここまでこんな感じでやって来たんだ。若かりし頃を思い出せば、焼き物つくりの前に薪割りがあったし、メラメラ薪の火と付き合うという強烈な「あそび」があった。器やオブジェへの真摯なあこがれがあったのかどうか、正直自信がない。でも、とにかくもこの世界でやってこれたのも事実。それなりにやってきたという自負も少しはある。が、ここに来て、今現在ネット等で知る新たな世界。
そうだったのかと、目が覚める瞬間がある。
で、薪窯の話にもどれば、この窯とても我が夫婦だけでは焚けません。ずっとそう、助っ人を呼び集め焚いて来た。何泊かの長丁場だから。そして人が集まると、それだけでなんか楽しくなってしまう。だろ。俺だけ?結果お祭りのような気分が先行してしまう。これが、いままでの俺。
そんなだから、窯の中にある作品のことも忘れる瞬間もあったかも。どうしたら、どうなるという結果にこだわりがあったかどうか。陶芸家であっただろうか、と自問するのだ。
そこで、今回は違うものを追っかけようと、何を入れるべきかを考えている内に、時間ばかりが過ぎてゆく。さあ、造り始めるぞ。
先回の反省に立って薪は十分用意できたと思う。ネットでみつける、かの面白いかっこいいモノたち。おいらも、その仲間入りしたいものだと、そんなことを思っている。
陶芸歴、ざっと35年。もうじき64歳になる男のひとりごと。
きょうやっと、2回目のスイッチが入る。
2020.12.15.典栄