記憶のカケラ
近ごろ頭の片隅にある煤けた記憶が
本当に自身の体験した事なのだろうか
あるいは、いつか見た夢と現実とが
絡みついているのではないかという
よくわからない不安に苛まれている
このような事を認知の歪みというのかな
私も義父と同じ病の「け」があったりして
考えてみれば、自分の記憶が真実であると
一体何を持って証明すればよいのだろう
私は本当に私なのだろうか
虚構船団のコンパスのようにとっくに
気が狂ってしまっているのかもしれない
別にそれでも何ら構わない、この記憶が
真実でも虚偽でも何の影響もありはしない
しかしそれでは少し虚しい気もする
私はGoogleマップのストリートビューで
以前住んでいた街を訪れた。
すっかり再開発されて面影すらもない
コレはなかなかに優秀なサービスで
クリック一つで10年前の景色すらも
遡って見ることができる。
画面に映る通い路が鮮烈にあの頃を
思い出させた、駅前まで進んだ辺で
私は自分の自転車を見つけた。
いつもこの場所に停めていたっけ
なんだ、私は確かにそこに居たんだ
本人すら覚えていない記憶の欠片が
こんなところに落ちていた。
ふう、この欠片を拾い上げたところで
やっぱり何も変わりはしない
バカバカしい、追想なんてものは
聞こえは良いがてんで前向きではない
きっと今この欠片を拾ったせいで
この先まだ見ぬ出来事の記憶が本来
入るはずのスペースを埋めてしまった。
この時ですら瞬きの後には過去になる
無駄にできる時間がないほどに
私は歳を重ねてしまった、過去に縛られて
呆けているような時間はもうないのだ