自分の変化

最近ちょっとずつ、自分の人格が変わっていくのを感じる。というより、行動的になったと言うべきか。
大学行くのもそうだし、バイト、ランニングなんか9月には一切していない。

こういうときに前の自分だったら、怖くなって本当にこの道を進んで良いのか、怯えてしまっていたが、今はとりあえず前に進む勇気がある。

それはアイデンティティが自分の中で確立されてきたのがとても大きい。自分はどんな人間なのか、なにに喜び、なんのために生きるのか。そして、岐路に立った時、どちらを選ぶのか。

自分がわかってきたのは、自分と違う人間と関わることができたからであろう。どんな人間で、なんのために生き、どんな選択をするのか。特に飲みの場で聞けたのはとても大きかった。

鬱のときに封じてしまった自分の過去を思い出し、自分の選択してきた道を見て、自分は大して変わってもいないんだなと、あっけなさとともに、安心感が広がる。

俺がいま元気に行動力を強く持ち、活動し続けるのも、疲れてしまって休んでしまうのも、どうにもならなくて止まってしまったとしても、それは俺なんだなと思う。

でもね、正直なところ、こうやって自分の変化に寛容になって、全て自分なんだ!って思うことって諦めなんじゃないのかなって、高校生の俺は思ってた。だから、陳腐なカタチに落ち着いてしまった自分をどこか悲しくも思っている。

だから、そんな過去の俺を納得させるためにいろいろ考えてみた。

まずもって、高校生の時点で、俺の思考や選択は軸が存在してたってこと。自分は何者なのか、わからないって言いながらも、選択をし続けていたし、好き嫌いなんていくらでもあった。自由な思考はアイデンティティでブロックされることはない。自分が考えたことはいつの俺も尊重してきた。だから、安心して。俺はアイデンティティのぬるま湯につかる。

アイデンティティは自分の形を型にはめるものじゃない。自分の種のエッセンスだから、そこから自由に育てれば良い。

アイデンティティの喪失は自分の中でずっと思ってた課題だけど、最近はようやく決着がつきそうだ。

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