どう考えてもnoteが書けない理由
下書きが10枚、下書きにすら書けなかったものが5倍はある。何がどうなってしまったら俺はこの子らを公開しないという選択が取れるのだろうか。とっても大事な自分のオリジンが詰まってる、思いのあることばかり書きたくなっているのにも関わらず、どうしても書き終えることができない。
色々と原因はあるのだろうけど、いつのまにか腐ってしまってるのが良くない。腐るという表現も良くないが。一回書いたこと、また書こうとするときにはもうどうやって進めればいいのかわからなくなってしまう。言葉の海は荒れる。海路はちょっとしたら全く違う。最初に必死に見つけた目印も既に沈む。沈んでいった下書きという船は帰ってくることがない。
やっぱり推敲という行為はカスだ。いままでの文章を読むと何が言いたいのかわからない。文章構成を海路と喩えてキーワードを目印としてるなら最初の「腐る」とは何だったのだろうか。随筆みたいなものだから仕方がない。
怖いので推敲をせずにそのまま公開する。