文明発展の終焉
ここ数百年で人間の文明は劇的に成長した、車は蠢き、スマホは必需品となり、明日の飯に困ることはかなり減った。
素晴らしきかな、人間の発展により生物とは到底思えないような場所に自分たちは生きている。未来はこれより素晴らしいのだろう。
いや、本当にそうだろうか。
この世界にはあまりにも普遍的、絶対的な法則がある。それはエネルギー保存則である。物理学の難しい話ではあるが、よく噛み砕くので諦めないでほしい。
エネルギー保存則はエネルギーは系の中で総和は常に一定であるという話である。いろんな捉え方ができるが、今回は無からエネルギーを生成することはできないという話だ。人間は生きるのみでたくさんのエネルギーを消費する、好きなことに生きるならなおさらだ。だが、エネルギー保存則は無情にもそんな生活を否定する。石油が無くなってしまったら、今いる人間の何割が死んでしまうのか、どんな生活をして生きていくのだろうか、もちろん太陽から降り注ぐエネルギーはとんでもない、だがしかし人間の文明的な活動が消費するエネルギーもとんでもないものだ。
さて、物理学の普遍的な法則の話をした、ここで言いたいことはもう、人間が発展する余地は本当にあるのか?である。
人間の文明発展は素晴らしいものであって、教育、研究、競争によってこれからも行われる資本主義の根本的な行動だ。だがいつかドラえもんの道具はできるのだろうか、夢のデバイスはできるのであろうか、あれは文明が発展していないからできないのだろうか。いや違う、根本的にこの地球では作ることができないのだ。工学をやっている人間なら、製品を作る際のスペックというのは制限が多いというのは当たり前なのかもしれない、資金、そしてエネルギー問題は死活的であって、無限に動くスマホなんかは作ることができないのは当たり前だ。上限があるというのは大事な話で、CPUなどは爆発的な性能向上してきたが、いつか終わる。上限まで人間が文明を発展させたとき、人間はなにをしていくのだろうか。
文明的発展の終焉は近い。研究によって素晴らしい発見は為されるが、流石にもうネタ切れなんじゃないかとは言いたくなる。そして何より兆候として大事なことは人工知能への期待度の高さである。
人工知能は、エネルギー的に見るとそこまでのコストはかからない、なおかつ人間の話し相手にはちょうどいい。文明発展の終焉に対抗するのは芸術なのかもしれない、もっと言えば人間というどこかしら欠陥のある生物種を楽しませるもの全てに人間が移っていく。今までは生活のための発展や、物理的な発明も多かったが、それらが為されない時、人間を楽しませる、そんなものに移行していくのではないか。
もちろん、古より常にその分野は発展し、ボードゲーム、テレビ、スマホと向上しているが、最近のこの分野への期待は相当なものである。
人工知能はその最たる例と言えるのではないか。もちろん、農業工業への従事による無人化も恩恵の一つではあるが、それ以上に芸術や、趣味趣向への影響も計り知れない。人工知能による影響の良し悪しはここでは論じないが、もう人間ができることは終わったのではないかと思ってしまったのだ。
現代の教育ではなにを教えるべきなんだろう。もう数学や物理を教える意味はあるのだろうか、広大だと思われた世界の地図は偉大なる先人によって書き込まれていく、地図が埋まり、新しい場所に辿り着くことが段々と困難になっていく、超巨大エネルギーでの実験や、超高速のコンピュータによる大量演算のシミュレーションにはいつか限界がくる。地図が埋まることはないのかもしれない、だが、人間の、地球での、観測領域、行ける範囲には限りがあるのだろう。私たちは地図を読み、今の地図の果てを理解できるのだろうか。
今、私たちは文明発展の終焉にいるのかどうかなんて、全くわからない。iPhoneの新作がどうでも良いものであったかどうかではまだわからない。歳をとり、クソジジイになった時、文明発展に取り残されるかもしれない。
まあ、ただ、文明発展の終焉はそこまで酷い話ではない。長く文明が発展しないからこそ、知的活動が盛んになった例は幾つも存在する。ギリシャや江戸、またカースト上位のコミュニティもそういう色がある、平安時代や宗教もそうだろう。絵を描き、歌を詠み、研究に熱を出す。こういった行動を楽しむのは人間の根源的なものと言える。
そして、これらを人間の根源的な行動というなら、文明発展はそれの邪魔であったとも言える。鉄や石油の扱いが向上することで、剣や銃、戦車、戦闘機などこれらの文明発展は逆に知的活動を阻害してきたとも言える。人間は争うことで能力を拡大していくが、同時に大事なことを忘れていくのかもしれない。
恋をして、ゲームをして、スポーツをして、酒を飲み、歌を歌い、漫画を読み、エロに没頭する。これが続く時何が起こるのだろうか、また、新しい革命的な文明発展により、知的活動がおわり、文明発展になっていくのだろうか。