名前の由来

昔々、山奥の村に、ある神秘的な池があった。この池は海からはるか数十里も離れた丘の上にあるにもかかわらず、潮の香りがし、中には海水が満ちていた。

池の底には非常に大きなモズクが自生していた。その優雅な揺らぎはまるで竜宮で織られた羽衣のようであり、見る者に安らぎを与えた。人々はこの摩訶不思議な池を、そのモズクと潮水から「竜宮の涙」と呼び、やがて信仰の対象として崇めるようになっていった。
ある日には畑で取れた作物を供え、ある日にはその池を囲って皆で歌い、踊ることもあった。池の中のモズクは神の所有物であるとされ、その採取はどんな者であっても固く禁じられていた。


ある時、村に大きな災いが訪れた。草木、作物は枯れ、家畜は病に伏し、村人たちは飢えに直面したのである。必死に虫や木の皮で食いつないでいたが、一人、二人と倒れていき、村の壊滅はもはや目前となっていた。

そんな最中、一人の村人が「竜宮の涙」に自生するモズクを食べることを提案する。いくら神様の所有物であっても、このような状況ではそんなことも言っていられない。村の長も、村人たちの命には代えられないとし、食することを許可した。

人々は池の前に立ち、祈りを捧げる。慎重に池に入り、モズクを手に取り、そして恐る恐る口にする。すると、段々と辺りに霧が立ちこみ始めた。神の祟りか、祝福か​─────今更そんなことを考えても仕方がないと思っているからか、あるいは飢えを満たすことに夢中になっているからか、人々は無言でモズクを食み続けた。

霧は一晩中続いた。山は白いもやで覆い尽くされ、その光景はまさに雲の中にいるようであった。村人たちは身を寄せあい、互いに励ましながら夜を過ごした。

やがて霧が晴れ、日差しが山肌を照らす。草木は青々と茂り、動物たちは生き生きと走り回っていた。以前のような死にゆく山はそこにはなく、生命の溢れる自然が広がっていたのだ。

それ以来、村人たちはより一層「竜宮の涙」を信奉するようになった。人々の命を救ったモズクは、あの時の不思議な霧に準えて「陸の水雲(モズク)」と呼ばれるようになり、神の恩寵に皆感謝した。村には笑顔が溢れ、人々は平和に暮らしたとさ。



なるほど、ここにはかつて人が住んでいたのか。
そう呟き、誰かが残したと思われる書物を閉じる。

彼はスーパー柳田國男、現代のスーパー民俗学者である。日本に散らばるあらゆる伝承や伝説を検証するため、日本中を駆け巡り、例え火の中水の中々々どこへでも馳せ参じる超人である。
彼が今いるのは山の奥深く、大昔に村があったと思われる廃墟群である。そこは柳田が「竜宮の涙」と呼ばれる伝承を聞きつけ、多年にわたる調査の結果、たどり着いた地であった。

しかし、彼が発見した書物の中の描写とはまるで違う。陽も差さない鬱蒼とした木々に覆われ、見たこともない奇妙な謎の黒い植物が地を這い回っていた。

柳田は村を出て、丘を見つける。恐らく、この先に「竜宮の涙」があるはずだ……草を掻き分け、削れた山肌を登っていく。スーパー民俗学者にとってこの程度の登攀など、余裕も余裕である。

山頂に着く。さて、どんな神秘的な池が待っているのだろう、柳田の心拍数が上昇する。

しかし、そこに広がっていたのはまさに異様という他ない光景であった。

円を描くように不自然に枯死した草木に囲まれた中央に円い空間があり、そこにどす黒い水が溜まっている。池の前には、村が栄えていた時に使われていたであろう祭具や祭壇が打ち捨てられており、その多くが黒く腐食している。
そして最も目を引くのが、そこに生えているモズク……いや、かつて「モズク」と呼ばれていたと思しき巨大で歪な海藻である。波も風も一切ないにも関わらず、ゆっくりと揺らめいている。

柳田は震えながら乾いた唇を舌で湿らせ、こう呟いた。

……当たりだ。

これはモズクなどではない。地球外寄生型生命体「超危険クソデカ海藻・ブラックアニーくん」である。この生物は水が存在するところであればどこでも自生が可能であり、一度根付くと周囲のあらゆる生物から生気を奪いとり、決して枯れることがない。

しかし、真に驚くべきはその繁殖方法である。この激ヤバアニカスは繁殖期になると、周囲から奪う生気をコントロールし、そこで生きる知的生物たちに自らを食べるよう誘導するのだ。そうして自分を食べさせることで、内部から神経を侵し、その栄養を以て陸で生活することを可能とする新たな個体を生み出すのである。
さらに、食べられた際に今まで奪い取った生気を解放することで、将来芽吹く子どもたちの宿主の健康をも保証し、その繁殖を確実にすることも知られている。

見た目が真っ黒で歪なため、その異常さには地球人であればすぐ気づいてもおかしくはないが……ここで生活していたのは山で生き、海を知らない人間である。噂に聞く「モズク」とはまさにこれのことだ、と思ってしまったのだろう。


さて、柳田の仕事開始である。スーパー民俗学者であるスーパー柳田國男が伝説や伝承を調べるのは、なにも研究のためだけではない。伝説など、普通は有り得ないから「伝説」なのである。そういった話には大抵の場合、"裏"がある。それを処理するのも、彼の担う大きな任務なのだ。

彼は懐から超高火力火炎放射器を取り出す。この山はブラックアニーくんと、"元"人間​──​─この村の言葉で言えば、「陸の水雲ズ」​───で溢れかえっている。もはや元の状態に自然に戻ることはない。

柳田は静かに祈り、そして引き金を引いた。

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