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小説の資料+3 ミイラ、屍蝋、即身仏

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1.お品書き

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 本話は主に別所で書いている学園ホラーの関連資料(このエッセイで言うところの本編)です。……いくつか持ってきたほうがいいのだろうか。
 明治幻想奇譚の『狂骨紅籠』はこの関連の話なので持ってこようかな。
 このエッセイは小説を書くのにあたって、色々調べたところをブッパするお気楽エッセイです。にわかなので間違いが見込めますので、発見された方はお気軽にご指摘くださいませ。


2.永久死体の分類

 では早速。ミイラ、屍蝋、即身仏は「ミイラ、即身仏」と「屍蝋」に分類されます。最初はその違いから。
 法医学で「永久死体」という概念があります。
 これは死体自体というよりは死体の現象を指す言葉ですが、特殊な状況下で死体の腐敗が止まり長期に現況をとどめる現象を指します。特殊死体現象とも呼ばれます。「ミイラ、即身仏」と「屍蝋」は永久死体となる原因が異なります。

 なお、上記2分類の他に、「浸軟」と「第三永久死体」の分類があります。
 浸軟は晩期死体現象という、死後時間が経ってから起こる現象に分類する本もあります。分類は色々揺れ動いている感はある。
 そもそもの話、腐敗は細菌がいないと発生しません。無菌状態の子宮内で胎児が死亡し、自家融解等で柔らかくなった状態が浸軟です。正直この状態で留め置かれるわけがないし、「長期的」という要件を満たすのかよくわかりません。
 第三永久死体はつまるところ、その他の原因で生じる永久死体です。
 水銀中毒で死ぬと死体が腐りにくいことはよく知られることですが、ヒ素やホルマリンといった強力な殺菌作用を及ぼす方法で腐敗を止めた状態や、エンバーミングとかプラスティネーションといった人工的に状態を固定された状態もここに入る、と理解しています。
 エンバーミングは簡単に言えば、死後に体内の血液、体液、未消化物等を防腐剤に置き換えるもので、プラスティネーションは死体の水分と脂肪分を合成樹脂に置き換えるものです。

3.屍蝋の作り方

 続いてミイラ・即身仏と屍蝋の違いですが、腐敗を止める方法が異なります。
 ミイラは乾燥。高温で乾燥して風通しが良いところで水分を50%以下にすると腐敗は止まります。……干し肉の作り方に似ている。
 屍蝋は逆で、酸性度やアルカリ性度が高かったり通気性が悪かったりで、菌がいない水中や泥の中に埋まっています。腐敗の原因となる細菌を遮断する。そうしてるうちに、細菌が分解するはずの脂肪が周囲の水分で加水分解されて脂肪酸に代わり、体表面がチーズ様になる。そのうち筋肉も脂肪酸塩となった結果、いわゆる鹸化、蝋やワックスのようなものに変質して腐らなくなる。脂肪の変質によるため、ふくよかな人のほうが死蝋になりやすいです。

 ヨーロッパでは泥炭地が多く、死蝋が多く見つかっています。デンマークやアイルランドなどの少し寒い沼地で植物が分解しきらないまま堆積すると、泥炭層が形成されます。泥炭は石炭の一種で、近年でも燃料に使われています。ウィスキーのビート香のビートは泥炭のこと。麦芽を止めるための乾燥に泥炭を使います。
 これら泥炭層に埋まってる遺体は「泥炭遺体」とも呼ばれます。泥炭遺体を第三永久死体に分類してるところもあるけれど、仕組み的には屍蝋と思う。

 ただし屍蝋は自然発生のため完全なものばかりではありませんし、置かれた状況に左右されます。泥炭等の自然環境下では、酸性度が高ければ骨が溶けるしアルカリ度が高ければタンパク質や脂肪が溶けて骨しか残らなくなる。
 そのため完全に残ってるものが少ない。浅いところに埋まっていれば地表の環境変化で劣化するし、空気に触れると崩壊しやすい。泥炭地は酸性度が高いことが多いから骨がもろいようです。
 だから欠損のない完全なものは、自然環境下ではなく密閉された湿った墓とかのほうが残存確率は高いのかもしれません。日本でも、福沢諭吉がお墓移すとき掘り出したら屍蝋化してたというのはわりと有名。

 泥炭遺体が何故湿地に埋まってるかというと、理由は色々です。
 生贄っぽい形跡があるもの、殺されたっぽいもの。一番最近発見された遺体は第二次世界大戦のときのロシア兵士の泥炭遺体が発見されています。古いものでは紀元前2000年ごろ。
 一番有名な泥炭遺体はトーロンマンと名付けられた紀元前4世紀の遺体です。地元民がストーブ用にピートを切り出したときに埋まっているのを見つけ、最近発生した殺人事件だと思って警察に通報しました。現在も博物館に展示されていますが、指紋もはっきりしていて無精ひげまで残っていて、胃からはおかゆが検出されたとか。……おかゆも鹸化したのかな?

 他の違いはミイラ及び即身仏の多くが人為的に作成されるのに対して、屍蝋は自然発生することが多いのが特徴です。

4.ミイラとエジプト神話

 本論のミイラに行く前に高地ミイラのお話。
 エジプトのミイラは乾燥の過程で水分が抜けるため乾いていますが、ミイラと言っても必ずしも乾燥しているわけではありません。
 例えばアンデスミイラ等の高地の乾燥を利用して作られたものは瑞々しい場合があります。氷河や高山なら寒いところでもミイラになることがあります。なおヒマラヤとか高地の有名な登山ルートはミイラだらけと聞いたことがある。遺体を持ち帰るのは困難だから。
 ユーヤイヤコ山というところで見つかった500年前の女の子のミイラは、凍死したそのままの姿で保管されていて、心なしかふっくらしている。発見時に血液がまだ残っていたようです(ググれば写真出るけど死体注意)。

 エジプトミイラについては、何故作るのかから見ていきましょう。
 死後に蘇るためと言われますが、その蘇るの感覚が結構違う。
 エジプト人の死生観について。
 エジプト人は死後にイアルの野という死がない永遠の楽園に至ると考えていました。イアルの野に至るために、ミイラを作る必要があると考えられていました。何故ならイアルの野はものすごく遠くて、たどり着くのが大変だったからです。
 エジプト人は人を構成する要素が「バー」「カー」「イブ」「レン」「シュト」という5つあると考えていました。「バー」は幽霊に近い。個性とか人格とか独自性とか精神っぽいもの。人が生きるには呼吸が必要ですが「バー」は生きてても死んでても不変のものですが、肉体の呼吸が停止すれば肉体から離れます。「カー」はもっと説明が難しい。生死を分ける本能的な魂、なのかな。永遠の肉体の表彰というか、生命力を司る。死んでも活動にはエネルギーを得る必要で、カーはお供え物(の魂)を受取って力を維持する。「イブ」は人の徳を表す心臓。死者の審判で必要。「レン」は名前で「シュト」は影。いずれも人間の存在に必要なもの。
 これが日本だともっと精神寄りで神道でも一霊四魂といって人の魂を和魂とか荒魂とかに分けるけれど、これは精神の働きによる分類。エジプトの魂感はより物理寄りな気がする。
 そもそも大昔、砂漠で自然ミイラがちょくちょく発見されたことから、死者は生者と同じく肉体をもって暮らしていると考えられた。日本とは気候というか出発点が違う。
 最初は砂漠で野ざらしにしてミイラを作ってた時代もあり、墳墓を作り祀るようになったからこそ墓内で湿度が保たれ腐敗し鳥獣害が生じるようになった。だからこそミイラづくりの技術が発展した。

 エジプト人の死後の世界観も独特です。
 日本神話でもキリスト教でも、死後の世界は現世と明確にわかれています。けれど、エジプトでは現世の死と来世の生はつながっている。
 ちょっといいわけですが、エジプト文明ってすごく歴史が長い。
 その中で最初の方と最後のほうでは王朝も変わるし宗教観にも結構違う。以下は死者の書という「冥界ヒッチハイクガイド」ができたと言われる紀元前2000~1000年前後を想定しています。なお、このガイドブックもVerとお値段によって中身が変わります。

 死者はイアルの野では現世と同じような生活を続けます。
 だから副葬品に死後の世界で使う家具、化粧道具や楽器とかを入れておく(ただ、初期はイアルの野に至れるのは王だけで、貴族は地上で暮らすみたいな考え方だったから、時代による)。
 それで、死後にどのように魂が動くかという話。
 まず人が死ねば、「バー」はイアルの野を目指して旅に出る。でも夜になったら体に帰ってくる。死んでもご飯を食べたり寝ないとしないといけない。「バー」が旅をしている間、「カー」はお供え物を受け取って、食べて体の栄養補給をする。で、死後もご飯がおいしく食べられるようにするには体を保全しないといけない。そのために儀式を行ってミイラを作りました。体がないと、ご飯が食べられないもの。
 ミイラが作られる際に腐敗の防止のために内臓は抜かれますが、オシリスの審判で心臓を用いるので、心臓、つまり「イブ」だけはミイラの中に残されます。他の臓器はゲームによく出るカノープスの壺に保存されます。鷹の頭を持つホルス神の4人の息子が肝臓、肺、胃、腸のそれぞれの臓器を担当しています。
 それで、ミイラの口を開ける儀式という、ミイラが死後に食事をとるために五感の機能を復活させる儀式を行います。目、耳、口、鼻にちょうなという手持ちサイズの鋤みたいな道具を当てて、死後使えるようにする。これがミイラづくりにおいて最重要。尻は開けなくていいのだろうかと少し思ったのだけど、「カー」が食べるのは物理的な食べ物ではなく食べ物の「カー」だった記憶だから開けなくてもいいのかもしれない?

 つまりミイラ作りはイアルの野に至るために必要な宗教儀式でした。エジプトのミイラ技術はかなり体系化されています。
 お葬式と一緒で全然ホラー感はありません。後期のほうではお値段によって施術が変わるという商業色が強くなる。他にも貢物が多い(葬儀屋に大金を支払う)と、イアルの野に至るまでの苦難をショートカットできたり抜け道が記載された死者の書が一緒に納棺されます。葬式商法感。

 さて、「バー」はイアルの野を目指して様々な旅をします。「死者の書」には困った時のお祈り文句、呪文や秘密のルートなんかも書いてあって、最終的には死者の審判に行きつきます。日本でいうと閻魔大王みたいなもの。
 43の禁忌を犯してないか質問され、最後に犬頭のアヌビス神が天秤に心臓、つまり「イブ」をのせてダチョウの羽より軽いかどうかを判断し、軽ければオシリスの待つイアルの野に行けるし、重ければアメミットっていう頭がワニで体が獅子の化け物に食われてしまいます。
 それでイアルの野にたどり着けば「バー」と「カー」が統合されて「アク」という存在になり、イアルの野で生き続ける。でもここで終わりじゃなくて、エジプト後期の方ではミイラが管理されずに祀られなくなると、「アク」は死霊になる、という話が出てきた。
 でもそもそも何千年もミイラを守るなんて無理なんだと思うよ……。
 天国に至るにはハードルが高すぎるんじゃないかなと思う。エジプト人はこの宗教にどうやって救いを見出したのか……。
 そんなエジプト神話ですが、そもそもエジプト神話はミイラだらけです。
 先程出てきたオシリスも神なんですが、死んで最初のミイラになって死者の神になりました。ホルスの4人の息子もミイラのはずで、全体的にミイラで溢れている。そもそも生者と死者の区別がゆるい。多分死は老いとかの延長にあるのではなかろうか。

 エジプトの神様は姿も面白いし、多神教ライクにキャラ立っています。太陽神ラー自身も頭がフンコロガシで体が人という謎形態がある。ろくでもない神様も多いし全体的にバイオレンス。
 みんなが大好きなメジェド様も死者の書に出てくるんですが、死者の書にはチラっとしかかいてなくてよくわからない。目から光を放って口から火を吐いているらしい。謎めく。

5.即身仏

 さて最後の即身仏。即身仏も分類的にはミイラの一種です。
 但し、これは他の2種とは大きく違うところがあります。それは自分でミイラになるところ。日本では飢え死にしただけでは即身仏になれない。

 ミイラは前述の通り、乾燥させることによって腐敗を防いでいます。ところが日本は高温多湿。乾燥できないから、そのままじゃミイラになり難い。
 即身仏には「木食修行」と「土中入定」という過程があります。
 「木食修行」は山籠もりして穀物を食べずに、木の実や木の皮、草を食べて修行をする。これを3~15年くらい続ける。腐敗とは脂肪やタンパク質が細菌に食べられることで起こる。ところが草木じゃ栄養が得られないから、生体からまず脂肪がなくなる。その次に筋肉が糖化されて消費される。そうすると水分もなくなる。この時点で生きたままほとんどミイラな状態になります。
 最終段階で「土中入定」といって空気穴だけあけた深い穴に入り、鈴を鳴らしながら読経します。音が聞こえなくなってから1000日たって掘り出すと、ミイラになっています。いや、入る前からほとんどミイラなんですけどね。けれども「木食修行」に失敗して脂肪が残り、即身仏になれず腐敗する僧侶も多かったようです。かように即身仏になるのは厳しい。
 エジプトのミイラのように、わざわざ腐りやすい内臓を抜くとかの加工しなくてもミイラです。要するに、ミイラになってから死ぬ。
 日本で確認されている即身仏は18体(明治以降の方一体含む)で、試みた人は多いけど、最後まで成し遂げられた人はほとんどいないようです。
 
 即身仏になる理由はいくつか考えられます。
 真言密教に「即身成仏」という考えがあって、これは大日如来と一体化して人のまま仏になる、という考え。ただし「即身成仏」の本来の意味するところは、人のまま悟りを開いて仏になるということで、即身仏になりなさいっていう話とは違う。真言密教の僧侶が悟りを得る手段として即身仏になろうとしたんだろうか。
 他には弥勒菩薩が下生するまで体を残して待ちたいと即身仏になった僧侶もいるようです。「劫」という単位があります。寿限無の「五劫の擦り切れ」の劫です。
 仏教では「1辺4000里の城に芥子粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に1粒ずつ芥子粒を取り出していって、城の中の芥子粒が完全になくなっても一劫に満たない」とか「天女が羽衣を40里四方の石を100年に一度払って、その石が摩滅して無くなってもなお一劫の時間は終わらない」とか言わています。物凄く気が長い。
 それで弥勒菩薩がお釈迦様の救いきれなかった人間を救いに来るのは、お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後。なお、今は地球が誕生してからだいたい46億年目くらいです。人を救う……?

 なお、今は即身仏は違法です。
 即身仏になろうとする人自体は特に罪に問われないですが、手伝ったら自殺幇助罪になるし、埋まった後に掘り出すのも墳墓発掘罪となります。なので、最後の明治時代に見つかった即身仏の方が掘り出されたのは、昭和になってからのようです。

6.おわり

 最後に「死体」全般の話。
 1800年代のヨーロッパ、もっと言えばヴィクトリア朝の銀盤カメラができた黎明期に「遺体記念写真」が流行りました。亡くなった方の写真を撮って、記念に残すもの。遺影ではなく記念写真として作るもので、当時は最高の遺品として考えられていました。
 横たわっている姿や棺に入っている姿、遺体をスタンドで立てて家族で一緒に写真を撮ったりしています。写真の雰囲気はなんとなく穏やかで、ユーモラスなものも結構あります。
 今はこんなことすれば不謹慎っていわれると思う。不謹慎と思いながらこの前これで短編1本書いたんですけどね……。

 昭和中期くらいまでは日本でも戦争や飢饉、災害などで死体っていうのは生活の中で普通にあるものでした。この間の仏教と神道の違いもそうですが、時代の断裂があると大きく常識が変わることがあります。
 今は有史以来最も死や死体が縁遠い時代で、正直、現代人の死体感は有史以来極めて特殊な状態にあると思っていて、その変遷についての資料をあさっているので参考文献とかあったら教えてもらえると嬉しいです。。

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 ではまた。

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