狂骨紅籠 明治幻想奇譚 第四話 俺と髑髏(全30000字)
1話目と目次
第四話 俺と髑髏
俺の出番、つまり伊左衛門からの使いが鷹一郎を訪ねたのは、およそ一週間の後だった。
再び訪れた商家の端では、ぼろぼろに千切れた札を握りしめた伊左衛門が震えていた。やはり自分で障子を開けてしまったのだという。
「明るくなって朝と思って開けたら満月だったんだよう。もう昼も夜もわからねぇ」
そう言って伊左衛門は哀れに泣き崩れた。一度は助かると思った分、その絶望はより深いのだ。
伊左衛門の部屋はお天道様の下でも昏きに沈む。畳の目地からうぞうぞと虫が這い出るようなおぞましさ。
伊左衛門は間近で見た髑髏の姿を報告する。
長振袖と思われた着物は最近流行りの和洋折衷、牡丹の切子灯籠を下げていた。近くでよく見たその顔は、ぱかりとむき出しの歯を開いてへらりと笑うその姿は、この世のものではなかったそう。
伊左衛門はさらさらと姿絵を書いた。商売先に大きな家具の現物を持ち込むのは難しい。そのため整理によく絵を描くそうだ。
中々にうまく、その衣服は確かに伝統的な和装とは少し異なっている。和洋折衷は近頃の流行りだが、このような衣装に作らせたのだろうか? 違和感があるな。
「やはり来ましたね」
「せ、先生ぇ、な、なんとかしてくだせぇ。あの骸骨、再び見つけたからにはもう離さねぇなんていいやがるんだ。あの鼻の曲がりそうな腐臭、もう我慢ならねぇ」
「腐臭? 骨なんじゃねぇのか? なんで腐臭がするんだ?」
鷹一郎が耳元に口を寄せる。
「それはね哲佐君。骨は腐らなくても周りに腐るものがたくさんあれば、匂いは骨や着物に染みるんですよ」
きっと黄泉に引き摺り込んでたくさん殺しているのです、と俺の耳元で鷹一郎の鈴を鳴らすように囁く声。
ヒィと漏れる伊左衛門の呻めき。
たくさんの、死体。死体にまみれた女の骸骨。闇の中で蠢うごめく白い骨。そこに新たな、死体。
その陰鬱さはまるで地獄の釜のようで、首筋がぞわりと揺れる。
「さて哲佐君の出番です。伊左衛門さん、これから取り憑かれる対象を伊左衛門さんからこの哲佐君に移します。もう暫く頑張ってくださいね」
「み、身代わりになって頂けるんで?」
すがる表情で俺を見るな。やりたくてやるわけじゃねぇ。それにこれは、身代わりなんてもんじゃねぇ。言うなれば身売りだ。
怪異を遠ざけるには主に2つの方法がある。
1つは結界を張って立ち入らせぬようにすること。けれどもこれは伊左衛門自らが開けてしまった。
1つは身代わりを立てること。守り人形や鷹一郎が伊左衛門に持たせた式神札がその典型だが、おそらくこいつには一時凌ぎにしかならねぇ。結界を張って出会う前に戻しても、髑髏は伊左衛門を訪ねてきた。ということはきっかけは扉を開けたこと・・・・・・・ではない。不特定多数ではなく明確に伊左衛門を狙ってやってきているのだ。
つまり何かの原因で伊左衛門は髑髏に取り憑かれた。けれどもその原因がわからない。だから原因を解消しない限り、鷹一郎の札で誤魔化したとしても、偽物と気づけば伊左衛門をまた探し始める。身代わりの一時凌ぎは意味がない。本人ではないとバレてしまうと再び本人を探して訪れるからだ。
だからその更に例外的な第三の方法。
鷹一郎は何も言わず俺の肩をぽんと叩いく。
碌でもない俺の出番というやつだ。この仕事で俺はいつも鷹一郎から破格の金をもらう。
世の中には憑依体質だとか不幸体質だとかが存在するらしいが、俺はいわゆる『生贄体質』という奴らしい。怪異にとって、俺はやたらと美味そうに見えるらしい。だから怪異の方から俺をとって食おうと押し寄せてくる。
今取り憑かれているのは伊左衛門。
だから取り憑き先を俺に移す。
俺を伊左衛門と誤魔化すのじゃなく、対象を伊左衛門から俺に付け替えるのだ。伊左衛門自身に心当たりがないということは、伊左衛門はどこかで縁を作っただけで、必ずしも伊左衛門本人の魂でなければならないというわけでもあるまい。原因である伊左衛門自体よりも俺を取って食いたくなるように、俺にその矛先を変えるのだ。そうして俺は金をもらう。それが俺の陰鬱な仕事だ。
その日から、俺は伊左衛門の家に泊まりこんだ。最初は伊左衛門の服を着て伊左衛門の布団に横たわる。本物の伊左衛門は、部屋の隅で札を抱きしめ、目をきつく瞑って震えている。
髑髏は夜に現れる。
匂いをたどるのか、最初は俺と伊左衛門の間をぞろりぞろりと迷うようにウロウロしていたが、そのうち伊左衛門ではなく俺の周りをぐるりぐるりと回るようになってくる。だんだんと近づくその感じは、あたかも真綿で首を絞められるよう。毎日毎日少しずつ、腐臭が近づくその感覚は、生きた心地もありはしねぇ。
けれどもそのくらいになれば、伊左衛門が他の部屋で寝ても髑髏は見向きもしなくなってくる。ようやく伊左衛門は安眠できるようになり、鷹一郎は大感謝されて謝礼を受け取った。
そして俺の仕事はここからだ。俺は伊左衛門に代わって祟られている。鷹一郎がこれを祓うまで。
鷹一郎は鼻歌交じりに立てた茶を俺の前に置く。
「おい鷹一郎。これはいつまで続くんだ」
「そうですねぇ。哲佐君が骸骨になるより前には髑髏の居所を掴みたいですね」
「巫山戯ふざけんなよ」
「けれども哲佐君が取り憑かれ続ける限り、お給金はお支払いいたしますよ」
給金。その言葉に俺は酷く弱い。金があれば大抵のことは解決できる。
鷹一郎の仕事はいつも破格だが、今回も何もせずとも普通に働くのに比べて5倍の日当が懐に入る。そしてこの件、上手く髑髏を払えればそれに加えて成功報酬八〇円だ。大卒銀行員の初任給が十円の時代、破格に過ぎる。まあ、既に髑髏は俺についているから祓ってもらわなきゃ死活問題なわけだが。
鷹一郎は今、髑髏を払うためにその原因を調べていた。この髑髏を完全に祓うには、この髑髏が何で、本体がどこにいるのかを突き止めなきゃならねぇようだ。
だが俺にも一つ、心当たりがあった。
髑髏、障子を開ければ陽光のような満月の光、そして牡丹の灯籠。
「なぁ鷹一郎、この話って牡丹燈籠じゃねえのか?」
「そうですねぇ。似ていますが明確に違う部分もあります」
怪談牡丹燈籠。
俺が生まれたころに三遊亭圓朝が発表した有名な新作怪談噺。
けれども落語ではお米は最初、というより死人と見破られるまでは美しい人の姿だった。そして祟り殺す相手の新三郎と生前恋仲であった。
けれども伊左衛門の前に現れたのは、縁もゆかりもない髑髏。お米が着るはずもない和洋折衷。せめて人の姿がわかればそれが誰か、何故伊左衛門を狙うのかがわかるのかもしれないが。
そうして随分重く感じる身体を引きずりながらまだ明るい外を眺めた。
次話
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