狂骨紅籠 明治幻想奇譚 第七話 袖の行方(全30000字)
1話目と目次
第七話 袖の行方
浅井了意の御伽婢子には嫌な予兆を抱いたものの、それ以上の情報は得られなかった。つまり髑髏の所在は未だわからない。そもそも舞台の京都に伊左衛門は縁がない。伊左衛門の店に詰めてその帳簿を追っても、京都に関係ありそうな案件も客もなかった。
まさに八方塞がりだ。
だが俺もそろそろ限界だった。伊左衛門から髑髏を引き受けて1ヶ月ほどが経過した。髑髏は連日俺の枕元に現れ、俺を見つけられないまでも俺の匂いの出どころの方向には当たりをつけたらしく、現れてからずっとぶつぶつと呟きながら俺が寝ている布団の際に張り付いている。時には結界を乗り越えてさわさわと布団に触れさえするのだ。
死神の鎌のようなその冷たい骨で。魍魎の涎のように着物から腐汁を垂らしながら。
いつ取り殺されるかと気が気じゃない。寝ても覚めても、というより寝不足で体が重だるくて仕方がない。まるで土砂降りの雨に振られ続けているような、泥田の中を泳ぐような、そのような疲れがじっとりと蓄積している。
「哲佐君、起きてくださいな」
「んぁ」
「歩きながら寝るとは器用ですね。流石にこんな往来で祝詞を唱えるのは、私でも少し恥ずかしいのです」
左右を見ればしょぼくれた目にも確かに明るく、人並みに溢れている。
そんなわけで俺は最近、日中でも朦朧としてしまい、ちょっとした隙にウツラウツラしてしまう。そんな隙間に髑髏は白昼夢に這い出すようにやってくる。夜中に出張って結界の中で俺を探すより、無防備な昼間を襲うほうが確実だと気付いたのかもしれない。
流石の鷹一郎でも歩きながら結界を張り続けるわけにもいかないし、昼日中に不意を突かれると鷹一郎の結界が間に合わない。その少しの隙間に髑髏は逢瀬を求めて俺の体を撫で回す。
皮膚を這い回る硬い骨の感触は俺の意識を曖昧にして、此岸と彼岸の境界を踏み越えさせようとするのだ。とうとう触覚がイカレてきた。朦朧とした意識でそのへんの家具や物を触るより骨に触られる感触のほうが生々しい。髑髏もさすがに陽の光の中では俺を墓に連れ込めるほどの力はないらしいが、ふらふらとした頭でどこかに引きずられそうになるのをなんとか踏みとどまっている。
そのころには朝起きて顔を洗おうとしてその手水に映る深いクマが刻まれた目元とげっそり痩けた頬に毎朝ギョッとするようになっていた。俺の方がお化けといわれかねない。ズシリと重い肩とひっくり返る胃の腑。飯ぐらいは俺が作ろうと思っていたが、すでに俺の胃は鷹一郎の用意する薬粥しか受け付けぬ。
そんな調子だから鷹一郎からは離れられない。いないところで取り憑かれたら死ぬより他に仕方がない。だから重い体を引きずり、幽鬼のように鷹一郎に付き従うのが俺の毎日だった。
それで結局の所、解決の糸口となったのは伊左衛門の絵だった。
「てめぇのそれ、イケてんな」
しょぼしょぼと目をあけると、アディソン嬢が興味を隠さない顔で俺とその肩を凝視していた。
鷹一郎について外国人居留区にあるレグゲート商会を訪れた帰りのことだ。
アディソン嬢はレグゲート商会の用心棒だ。嬢と呼ばれてはいるものの、その性別はわからない。くすんだ麦の穂のような髪色に赤みがかった茶色の目の西欧人で、骨格は太いが男性にしては小柄。声は透き通っているが男性のように低い。胸元に大きな|池田対い蝶(向かい合った蝶)の入れ墨を入れ、だいたいは胸の空いた亜細亜人女性の服を着ている。右足は妙な義足で、背には不釣り合いに大きなサーベルを負っている。
鷹一郎はアディソン嬢について、あれはなかなかの達人ですよ、と言っていたが一般人の俺にはわからん。亜細亜人種を見下しているのがその視線や態度からわかりやすく透けて見えるのは商会の一員としてどうなのかとも思ったが、用心棒としては怖がられたほうがよいのだから問題はないのだろう。
商談は滞りなく終わり商会を出ようとした時、油断しちまったのかフッと気が遠くなった。その瞬間に現れた髑髏に絡みつかれ、流れるように鷹一郎が祓った。そんなルーチンが出来ていた。だから入り口に立つアディソン嬢には、俺に絡まる髑髏を見られたのだろう。
「……勘弁してくれよ」
「そいつが祓ったりしねぇのか」
アディソン嬢はよくわからんものが見える類で鷹一郎の家業も知っている。
「祓いはするんですけどね、戻ってくるんですよ」
「へぇ、いらねぇならくんねえか?」
「やれるもんなら進呈してぇ」
「アディソンさんは霊の類とは相性悪そうですからねぇ。哲佐君とは逆ですね」
鷹一郎は首を軽く傾げながら、他人事のように呟く。
アディソン嬢が何故こんなものを欲しがるのか心底わからねぇと思いつつ改めてその姿を眺めると、今日も胸の空いた妙な満州服を纏っていた。こいつは亜細亜人を馬鹿にするくせにこんな服ばかり着るのだ。
……亜細亜服。
アディソン嬢なら服からひょっとしたら髑髏の出自がわからねぇかな。
「アディソン嬢、髑髏の着物に心当たりはねぇか」
「着物ぅ? 一瞬だったからなぁ」
「姿絵ならこちらに」
アディソンは鷹一郎から受け取った姿絵を眩しそうに日に透かして眺める。さらさらと潮っぱい海風が抜ける。
居留区は神津湾に面した小高い丘にある。レグゲート商会の商館の出入口は真っ直ぐ東に向いていて、丁度港に停泊する黒船から多くの積荷が降ろされる様子が眺めおろせた。
「これ、着物かぁ?」
不審な声に目を戻せば、アディソン嬢は伊左衛門の姿絵を日に透かしている。
「違うのですか?」
「着物ならジャケットの袖がこんな短くねぇだろ」
「経年で千切れたのでは?」
「そうかねぇ。それにしてはねぇ。おい哲。もっかい見せろや」
もう一回? 髑髏を?
「冗談じゃねぇ。なるべく近寄らせたくねえんだよ」
来るたびに俺の寿命が縮む勢いなんだよ。死神の噺の蝋燭みてぇに、吹けば勢いで消えちまいそうだ。少しでも遠ざかりたい。そんな俺の表情を見てとったのか、アディソン嬢の口がへの字に曲がり眼光が鋭くなる。
「見せろっつってんだろコラ」
その声とともにパカリと頭が叩かれた。結構痛い。少しばかり目が覚める。
「そうですねぇ。心当たりがあるようでしたら見て頂くのが早いでしょうか」
「おい、俺は嫌だぞ」
慌てて反論するが、こいつらが俺の意見を聞いた試しがないことを思い出す。
「祓うには対象の特定が不可欠ですよ。哲佐君はそのまま髑髏になりたいのですか? それに哲佐君は寝ていればいいだけです。ちゃんと結界は張りますからご安心ください」
安心って言ってもよ、と口を開こうとする俺を無視して、当然のように話は続けられてしまった。
「アディソンさん、どこか横になれるところはないでしょうか」
「少し先の噴水にベンチがある」
「結構です。ではご案内ください」
「Hei. Menen ulos hetkeksi!」
そう中に声をかけ、アディソン嬢はひょこひょこと歩き出す。小柄な体に刃長一メートルほどはあろうかという刀。昼日中に見ると妙にバランスが悪い。けれども以前、義足だと大変だろうと思って何の気なしに持とうかと声をかけたら商売道具を預けられるか馬鹿野郎と酷い勢いでどなられた。
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