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【連載】狂骨紅籠 明治幻想奇譚 第十二話 頭のおかしい説得(全30000字)

1話目と目次

第十二話 頭のおかしい説得

 萬物の病災をも立所に祓い清め給い萬世界も御祖のもとに治めせしめ給えと
 祈願奉ることの由をきこしめして六根の内に念じ申す
 大願を成就なさしめ給えと恐み恐み申す

 声に釣られて視線を動かせば、棺の外に立つ鷹一郎と目が合う。
 いや、そのやけに透き通った目は俺を見ていない。鷹一郎が見ているのは俺ではなく麗卿なのだろう。
「麗卿。あなたはすでにご認識されているのでしょう? そのままではまた、あなたのご主人がいなくなってしまうことを」
 ……旦那、さまは、こちらに……
「大事な人をもう失いたくはないでしょう?」
 優しげに聞こえる声に、今も俺に絡みつく麗卿がわずかに動揺する。
 麗卿は繰り返してきたのだ。喬生が随分前に死んでからも喬生を探し続け、麗卿に優しくした男を喬生と思い込んで逃げられるたびに取り殺して、そしてすべてを失ってここにいる。鷹一郎がいなければ伊左衛門もそうなっていた。
 何故か忘れていたその事実の恐ろしさに、ぶわりと鳥肌が立つ。その一方で、あの真っ暗闇の孤独を思えばかける声も思い浮かばん。
「本当の喬生は随分前にあなたを残して亡くなりました。あなたが抱きしめている人は喬生ではなく私の友人です。優しいでしょう?」
 ……わたくし、は……
「喬生というのはそれほどいい人でしたか? その人より?」
 俺にしがみつく力が強くなり、そして逡巡するように僅かに離れた。
 おそるおそると探るような空気が流れる。初めて麗卿の視線が、直接俺に向けられた。それとともに俺に重なった麗卿から薄っすらとした記憶がにじみ、涙のようにぽたぽたと俺に降り注ぐ。
 なんだ、なんだこれは。
 その記憶の中で喬生というのは確かに糞野郎だった。
 少し休んで行けと世間を知らぬ麗卿に告げて家に連れ込み無理やり襲い、良家の子女だろう、バラすぞと脅して毎日来させて何くれと命じた。それで金の無心に昼間に麗卿の眠る湖心寺を訪れ麗卿が金を持つどころか打ち捨てられているのを見れば、なんでぇ、と吐き捨て自宅に札を張って入れなくする始末。
 それからは棺の中で泣き暮らす毎日。
 思わず抱きしめようとして踏みとどまる。それでも麗卿はこの世のものではない。こちらから縁を作ってはならないのだ。心がキュウと痛む。
「そんな男よりその人と一緒にいたいでしょう?」
 わずかにうなずく気配にギョッとした。
 麗卿にすっかり同情しちまっていたが、途端に複雑な気分に陥る。哀れとは思うが、さすがにずっと一緒にいるのは……ちょっと勘弁してもらいてぇ。
「あなたはただ、その暗闇から逃れるために人と一緒にいたいだけです。けれどもあなたはすでに人ではなく、そばにいるだけで生気を吸い取る人とは相容れぬ存在なのです」
 ……旦那、様……と……。
「お気づきでしょうが、その人が死なないようにしているのは私です」
 ……。
「だから私と一緒に来ませんか? その人は見えなくても私は見えていたでしょう? 私はその人の友人です。あなたが私のものになって私を助けて頂けるのであれば、あなたの陰気を抑えられるようにします。そうすれば不自由はあるでしょうが、これからもずっとその人と会うことができますよ」
 ……ずっと?
「ちょっと待て。勝手に俺を含めて話を進めるな」
「下手に喋れば縁がつながりますよ」
 思わず口元に手を当てる。鋭い語気にたじろぐが、確かにそう聞いていた。ぐぅ。だが流石にそれは困る。取り憑かれ続けるってことだよな。ていうか祓いに来たんじゃないのかよ。
 いや、そもそも俺の周りは妖ばかりだ。生気が吸い取られなければ、いいのか? いやでも少し待て。冷静に考えろ。そんなわけあるか。
 そう思った瞬間、パサリと紙の剥がれ落ちる音がして、激しい嘔吐感に見舞われる。血が逆流するような酷い酩酊感とともに口中に血の香りが充満し、なんとか棺に縋り這い起き棺の外に嘔吐する。だらだらと流れる鼻血で唇がぬるい。すぅと意識が遠のく。
 旦那様……!
 けれどもそれは一瞬で、ひらひらと鷹一郎の式神札が俺の頭の上に降ってくるのが視界の端に見えた途端、痛みはすぅと消え去った。
 糞野郎が。
 鷹一郎を睨んでみたが、どこ吹く風だ。それに俺は息も絶え絶えで動けない。怒りはすでに鷹一郎の方に向いていたが、こちらに目もくれず口元だけで、金、と呟く。
「このように私がいなければその人はそもそも保ちません。一緒に来て頂けますね」
 ……旦那、様、が、ご無事、なら……
 その言葉ににこりと微笑む鷹一郎に比べれば、麗卿のほうがよほど人間味がある。
「ありがとうございます。ではあなたをその棺から切り離してこの人形に移します。よろしいですね」
 朦朧としていると唇になにか柔らかいものが触れて抱きしめられた。
 ……お慕い、して、おり、ます、旦那様……
 わずかにまぶたを上げて棺の外を眺めれば、鷹一郎の手が複雑な形を描いていた。

 朱雀、玄武、白虎、勾陣、帝久、文王、三台、玉女、青龍

 そして、チリリという鈴の音とバリバリという何かが引き裂かれるような音と共に空気が竜巻のごとくバサリと攪拌される。
 そうしてふぅと棺から何かが飛び出し、鷹一郎の手に舞い込んだ。

次話最終話

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