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大学生になって、1年生の終わりごろから、
親からの仕送りが途絶えるように…
アルバイトもしながらも、
楽譜の購入やレッスン費の算出に
飛んで行くばかりで
自分の服すら買えない生活でしたが、
毎月親から送られてくる150,000 で
やりくりしていました。
しかし
だんだん仕送りが途絶えるようになりました
それと、同時に
私の精神状態もボロボロになってきました
大学にもなかなか行けず
明日食べるものが冷蔵庫にもなく
今日の夕飯はどうしようか?
そんな生活を1年弱送ったかと思います
2年生の夏に実家に帰りました
電気は止まっていました
払えない状態でした
大学の費用がとんでもない金額がかかっている
私は申し訳ないことをしている
と
考えさせられました
音楽大学はやはりお金がかかります
医学部ほどは、かからなくても
お嬢様が行くような大学です
一般家庭の私が行くような大学ではなかった
2年生の12月…
試験の日の朝、親からの電話が鳴りました
今東京にいるんだ
出て来れないか?
立川駅の横にある喫茶店で
両親と会いました
疲れきった両親でした
その一言は
逃げてきたんだ
住む場所も
今日の夜食べるものも
寝る場所も
全て放り投げて逃げてきた両親が
私の目の前にいました
これが私の底辺です
これ以上の底辺が、この先の人生で
起こる事は無い
と思っています
でも、この底辺は
私のその日からの原動力になりました
軽い鬱状態の私は
日雇いのバイトをすぐ探しました
大学をその日のうちに中退しました
翌日から日雇いのバイトをしました
底辺は、時に原動力になると
スタートになると
新しい自分の1歩になると
20歳の12月
身を持って知ることができました
大きな手離しをしたことで、
また、新しい風と出会いと
出会えるんです
もちろん落ち込みました
大学を出たらやりたかった夢
理想
それらを悔やみました
平然と大学に通う友達を
うらやましいと感じました
友達の縁を全て切りました
連絡を自分から取らなくなりました
こんな自分を知られたくないと思いました
こんな自分を情けないと思いました
当時は親を恨みました
それでも
明日は来る
それでも
今私は生きている
20歳の自分が感じたことを
書いてみました