不条理演劇とオンライン社会

今日はかなりニッチな話題ですが…

先日、「ナショナル・シアター・ライブ アンコール冬祭り2020 inシネ・リーブル池袋」というものに行ってきました。
過去のイギリスの舞台の映像が映画館で観れるという大変贅沢なイベントでした。(イギリスに留学した演劇クラスタに誘われたので彼にはここで感謝の意を示したいです)

観たのは、アマゾンプライムのドラマにもなった『フリーバッグ』とピンターの『誰もいない国』の2本。
今回はピンターの『誰もいない国』の話を例に不条理演劇の話をします。

ここでまず避けては通れないのは「不条理演劇って何よ?」という疑問です。

私は大学時代不条理演劇を題材に卒論を書いたのですが、恥ずかしいことに簡潔に分かりやすくそれを説明することができません。
ただ、一旦天竺鼠や野性爆弾のコントのようなものと思っておいてもらえると大丈夫だと思います。
最近だとTheWのゆりやんのサザエさんのコントも似たようなものと考えて問題なさそうです。
あとは、劇とは異なりますが、谷口崇さんのアニメも雰囲気はよく似ています。https://www.youtube.com/watch?v=-H86v98AUdw

とはいえ、↑の説明はさすがに言いすぎな部分もあるので、もう少し真面目に説明すると、「台詞や話の意味が通ってないのに、劇は問題なく進行しているもの」とイメージしてもらえるといいかもしれません。
ほんとに真面目な定義はリンク貼っときます。
https://artscape.jp/artword/index.php/%E4%B8%8D%E6%9D%A1%E7%90%86%E6%BC%94%E5%8A%87

さて、ピンターの『誰もいない国』なのですが、不条理演劇らしく、台詞を聞いても何の話をしているかよく分からないまま展開していきます。
酔っ払いの男4人の会話劇なのですが、どこまでがほんとのことを言っていてどこまでが嘘や妄想や間違いなのかが分からないばかりか、そもそも登場人物の4人が誰で、それぞれの関係性がどうなっているのかもずっとよく分からないまま劇が進んでいきます。

そんなもの観て面白いの?と思うかもしれないのですが、これが非常に面白かったです。

私たちはふだん、演劇や映画やテレビドラマで、意味の通った劇に慣れています。だから、劇(俳優がキャラクターを演じて表現するドラマ)を見るとついつい、意味と物語を追いかけてしまう癖があります。

そういった劇の会話というのは、脚本家の知恵と技術と努力の結晶によってできてます。それは、観客に意味を正しく伝え、話を理解させ、楽しませるために人為的に作られた会話です。
いわば、デザインされた会話です。

実は、そういった会話というのは私たちの生きる現実の会話とは全く異なっています。
私たちの日常会話は、大きなストーリーの一部ではありませんし、聴衆を楽しませるための工夫も施されていません。
それどころか、一人一人知っている単語や情報の量や種類も違えば、文法や論理についての理解や態度も異なっています。
それこそ、酔っ払って思考がはっきりしないままなされるやりとりが毎晩そこら中で行われています。

私たちの会話は、脚本家によってコントロールされているものではなく、それぞれが好き勝手にしゃべっている極めて不毛なやりとりです。

不条理演劇は、そういった不毛さを舞台にあげてしまいます。
言ってみれば、デザインされてなさをデザインするみたいな感じでしょうか。

その不毛なやりとりが不思議なことに、笑えたり、緊張感があったり、ときに感動したり、そしてとてもつまらなくも感じたり、不条理演劇を観るというのはそんなような体験です。

なぜ、意味のない世界がおかしかったり悲しかったり怖かったり寂しかったり辛かったり面白かったりするのでしょう…?
それはたぶん、世界には意味以外のものもたくさんあるからだと私は思います。

ピンターの『誰もいない国』も、意味以外のものに満ちています。
全く意味不明な台詞でも声の大きさ、台詞の長さ、相手との位置関係、向き、姿勢、そういった言葉以外の様々なもので俳優同士、あるいは俳優と観客との間でお互いに影響を与えあっています。

私たちは本来、意味以外のものを楽しむことができるのです。
不条理演劇はそれを教えてくれます。

不条理演劇を楽しむことができるということは、私たちが生きる不毛な現実世界だって存分に楽しむこともできるはずです。

よく意味の分からないことだって面白がることだってできる。
不条理演劇が私たちに与えてくれる実感は、この世界に向き合う上でとても心強いものだと私は思います。


ところで、緊急事態宣言が再び出ました。

私はここしばらくはリモートワークが中心になっています。
仕事に必要なコミュニケーションはほとんどオンラインでのやりとりで事足りています。

オンラインはすなわち情報のやり取りのみが可能なツールです。
そこでは純粋な意味だけがやり取りされ、意味以外のものは排除されます。
それによって、仕事の効率はむしろ上がっている面すらあります。
私たちの社会は、意味のあるものをやりとりする社会だからです。

実際に会社で働いていた頃は、意味以外のものに満ちていました。
何を言ってるのか全然分からない人の話を3時間くらい聞かされたことがありました。ミーティングの場で何の正当性もないのに声を張り上げる人に意見を押し通されることもありました。仕事の話をしようにもひたすら愚痴に付き合わされて話が進まないこともありました。

オンラインによるリモートワークではそんなことは起こりません。
文字による情報のやり取りが理路整然と行われ、ビデオ会議は発言は順番通り進む公正なものです。
仕事は非常にやりやすく、無駄も少なく、元の働き方に戻りたくはありません。

ただ、あのよく分からないことばっかりでかい声で言ってた人元気かな?と気になることはたまにあります。
オンライン化が必要かつメリットばかりのものだとしても、よく分からないことをでかい声で自由に言える場くらいはどこかにあるといいですね。

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