最強の守護は『理想の設定』 霊的理想を設定すれば、全てが霊的成長の機会
(有)テンプルビューティフルの光田菜央子です。
面白いケイシーリーディングを見つけました。
Q「血液の状態が悪いのは呪い(黒魔術)のせいでしょうか? 誰かによって今の私の人生に黒魔術をかけられているのでしょうか?」
A「現時点ではない(Not in the present)。(中略)
・・・この人が理想を掲げ、その理想を、連続する人生のための、希望と平安と幸福のための案内星(a guiding star)とするならば、これら(黒魔術)もこの人に触れることはできない」2143-1
『現時点ではない』
このケイシーの回答にまずは驚きませんか?
・・・裏を返せば『人生や健康面で悪いことが起こる原因として、誰かの呪いや魔術による可能性もある』ということになってきます。
どこかアマゾンやアフリカの未開の地ではなく、この現代日本においても、探せば未だに魔術や呪詛は行われています。
『魔術や呪詛』とまではいかなくても、自分の願いを叶えてもらおうと護摩焚きや加持祈祷を受けた経験をお持ちの方も多いことでしょう。一方、それが誰かの念なのか、宇宙に働く法則なのかは別として、自分や家族をネガティブな影響から守るために、玄関に盛塩を置いたり、神社やお寺で厄払いやお祓いを受ける、ということもほとんどの方が当たり前のように行っています。
つまり、目には見えない何かの力によって、私たちの健康や人生がうまく行ったり行かなくなることがある。時にはそのような力を利用して幸運を引き寄せたり、悪運が来ないようにする・・・。テクノロジーが発展した今でも、私たちはそんなことを本能的に知っており、暮らしの中に取り入れています。
多くの場合、私たちが頼るのは、神社やお寺でのご祈祷や、お札お守りといったものです。
そして、お札やお守りを家に置いたり身につけることで、私たちは守られている気になってきます。
ところが・・・
呪いや黒魔術から自分の身を守る方法としてケイシーが言及しているもの。
それは、なんと『理想の設定』。
『自分で決めた理想に基づいて生きようとする内なる決意や姿勢』は、ネガティブなエネルギーから自分を守るのに必要かつ十分。
たとえ、自分を目がけ攻撃をしかけてくる力があったとしても、そのようなエネルギーは『私たちを触ること』すらできないとケイシーは述べています。
最強ではありませんか・・・!
しかもタダ!
『理想の設定』がどれほどパワフルか。
そのエピソードとして、以前、メルマガでケイシー自身の身に起こったある出来事をご紹介しました。
エドガー・ケイシーは、自分のリーディングをもとに病気の治療を行うことができる病院の建設を夢見て、建設費捻出のため油田の採掘に挑んだことがあります。
自分の欲ではなく、病気の方々の治療のために病院を作りたいという、本当に純粋な思いから油田の採掘は始まりました。
しかしながら、採掘に関わる人々の『理想が1つになっていない』からと、神はケイシーに試練を与えます。リーディングで指示された場所から原油が噴き出すことは、とうとうなかったのです。
*皮肉なことに、ケイシーから別の人が事業を引き継いだとたん原油が湧きだし、彼らに莫大な富をもたらすことになります。
原油の採掘を阻んだもの、それは『理想が1つにならなかったこと』でした。あまりに人々の理想がバラバラで『希望と平安と幸福のための案内星』にならなかったのでしょうか。
霊的な理想を持つ大切さについて、ヨハネは黙示録の中に書き記しているとケイシーは述べています。
理想は、ビジョンやミッション、人生の目標や使命と似ていますが少し違います。
ケイシーが述べる『理想』は、まさに高く掲げる案内星です。
ケイシーは3つの理想、霊的な理想、精神的な理想、物質的な理想を持つようアドバイスしました。
ちょっと難しいリーディングですがケイシーは理想についてこう述べています。英文も一緒にご紹介しますね。
『理想とは、実体自らが常に見上げているものを意味する。常に仰ぎ見ているうち、徐々にそれを直接的に知り、体験するようになり、自分がその一部分になって行くもの。しかし、(3次元の時空に制約された心には)決してその全体像(無限性)を把握することが出来ないものを意味する。
An ideal means that to which the entity may, itself, ever look up, knowing
itself to be gradually becoming a portion, but NEVER may it be the whole.
それに到達しようと試み、見上げる何か。単なる思索ではなく、あれやこれやと試行し運用する、そのような活動的な心的状態の中から達成されるかもしれない何かのことである!
Something to look up to, or to attempt to ATTAIN to; not an idea, that I may
do this or I may do that, that I may accomplish such and such through such
modes of operation!』256-2
ケイシーは、理想(ideal)と思考、思想(idea)を対比しながら述べることもありました。
『理想を保ちなさい-思想ではなく(Keep, then, an ideal - NOT an idea) 。
理想とは何か? しばしばそう尋ねられる。それは人の手で作り出されたものではない。永遠なるもの-それが理想である。自身を調和させよ。精神的、霊的な力の活動として、自己を介して顕現するそれらの諸力との調律-それが理想との同調を可能にし、それを維持し、自己をそれに向けて前進させる』24-4
ケイシー流の理想の設定を行うときには、霊的理想、精神的理想、物質的理想の3つに分け、まず霊的理想から始めていきます。その霊的理想が自分の人生を貫く基盤になるわけです。
では、霊的理想から設定してみましょう。
霊的理想、それは
・仰ぎ見るほど高みにある、自分が到達したいと思う究極的な姿
・他人への奉仕の要素を持つ
・人生のあらゆる側面で応用が可能なこと。仕事をしているときでも、くつろいでいるときでも、食事をしたりお風呂に入っているときにでも、その理想が反映できること
とでも言えるでしょうか。いつかは到達できるようなゴールや目標、あるいは与えられた役割や仕事ではなく、行けども行けども常に自分の前方にあり、私たちを導き続ける永遠に到達できない星のようなもの、それが霊的理想です。
言葉にすると「愛」「調和」「平安」「イエス・キリスト」「マザーテレサ」と一言で表現できる人もいるでしょうし、**の状態と文章になる人もいます。これを紙に書き出します。
書いている自分が恥ずかしくなるような壮大な希望的観測、みたいな言葉が出てくるかもしれません。でも霊的理想は今生では到達できないほどの高みの姿でOKなので、恥ずかしがらず出来るだけ高い究極の理想を書いてみてください。
霊的理想が決まれば、次は精神的理想。
精神的理想は、霊的理想を実行するために、日々、どういった精神的な態度、どういった心でいるかということ。例えば『思いやり持って人と接する』『親切でいる』というような感じです。精神的理想は霊的理想を反映したものですから、霊的理想と精神的理想が別々に存在するわけではありません。
最後は物質的理想の設定です。
先に書いた精神的理想を実現させるために、具体的に自分はどのように日々実行するか、行動するかを具体的に書き出します(1つだけではなく、人生の様々な場面で実行することを具体化していきます)。例えば、朝会社に行ったら自分のほうから挨拶をする、美味しいお茶を入れてあげる、**さんの仕事を積極的に手伝ってあげる、などなど。
共稼ぎをしていた友人は、食事の支度も後片付けもご主人が手伝ってくれないのを不服に思っていたこともあり、物質的理想を「食事が終わったら喜んで後片付けをする」と書きました。
この具体的な物質的理想がパワフルなのは、霊的理想のもとでは、食事の後片付けすら、その理想に近づくための魂磨きの時間、霊的成長のための作務になるんです。
もっというと、ご主人が後片付けを手伝ってくれないほうが、魂磨きの修行になるという・・・!
普段だったら嫌だ、苦手だなぁと思うことでも、それを実行すればするほど、自分の魂磨きのポイントがあがるというのは、嬉しくないですか?
日々の行動の裏には精神的理想の実践があり、その上には霊的理想が控えているわけですから、家事も仕事も食事も、同僚への挨拶もコピー取りですら、全てが霊的な成長の場に変わっていきます。
最初から納得のいく理想は出来上がらないかもしれませんし、すぐに忘れてしまうかもしれませんが(私は、落ち込んだりイジケてしまったときが、一番自分の理想を思い出します・・・)。
でも、大事なことは霊的理想、精神的理想、物質的理想これらを紙にいったん書いてみること。そして実際にその理想にのっとって行動してみること。
行動するなかで、少しずつ微調整しながら、自分のなかでこれだ!と感じられる理想を作っていけばいいんです。また一回設定したらそれをずっと固定しなければならない、ということはありません。時に応じて理想は変わっていきます。
自分の理想がはっきりとすると、何がいいかというと、社会が良しとするものではない別の次元の基準が自分の中で生まれてくること。たとえば学歴とか収入とか社会的ステータスではない目指すべき指針が出来てきます。
自分が決めたその理想に照らして今の自分はどうなのか、という一点だけにフォーカスすればいいので、人のことが気にならなくなってきます。『神』という言葉を使うなら、神様に良しと言われる自分でいる続けることが最も重要なことになってくるので、極端な例ですが、天災や災害などで全財産を失ったとしても、霊的理想を持ち続けている限り大丈夫な気がしています。
ケイシーもこんなリーディングを述べています。
『理想を設定し、その理想が表していることを知り、その理想によって測られる自分を知るならば、人は自分の内に欠けている点や、やりすぎている点を知り、それに気づいてそれを取り除き、同胞の目の中にあるちりを見るのではなく、自分自身の目の中にある梁について考えるようになる』262-29
Q)この人は、親戚や友人の指示によって導いてもらうべきですか? それとも自分自身の考えに従うべきですか?
A)『その考えが理想と調和するならば、それらの考えに従うことだ。 考えではなく理想を持て!
If that towards ideas are in keeping with the IDEALS, follow those. Have
IDEALS, not IDEAS!
考えは思想のようなもので、犯罪にもなれば、奇跡にもなる。 その理想は正しいものでなければならない。 外からどのような影響が来ようとも、それらに左右されることなく、その理想に従え。 自分が正しいと知っているなら、そのまま真っ直ぐ進め。
人に面と向かって、地獄に行ってしまえ!と言えるほど、日々をしっかり生きるべし』1739-6
私はしょっちゅう廻りの人がみな、われよりえらく見えてしまいます。私の場合、さしずめ、花を買いきて猫と親しみながらイジイジと一人いじけるわけですが、『いいないいな、**さんはいいな、**があっていいな、**が出来ていいなetc...』と、自分に無いものを数え始めるときりがなくなってしまいます。
そういうときハッと我に返り『いかん、いかん、そんなことを人と比べても仕方ない。自分の人生を計る基準は自分の理想だった』と、自分がたてた理想を頭の中で再確認。そうすることで、自分の中心軸や集中すべきことを思い出し、イジイジ状態から立ち直ったりしています。
*理想を自身の計りにすることについては、黙示録第11章にも書かれていますね。
ケイシーはこんなリーディングも残しています。
『自分が太っているとか痩せているとか、そんなことを心配してはならない。むしろあなたが今の自分を、精神的にも肉体的にも、自分自身の理想を表すことに使っているかどうか、そのことを心配せよ』308-8
それでは、また!
(有)テンプルビューティフルメルマガ 478号 2013年3月10日配信号・
メルマガ479号 2013年3月15日配信号を加筆修正しました。
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