第13回「ケイシーは生まれ変わりという価値観に目覚めさせてくれました。生きる目的を自覚したのもケイシーの本からです。」韮澤 潤一郎 氏
韮澤 潤一郎 氏
たま出版社長、UFO・超常現象研究家1945年新潟県生まれ。子供時代のUFO目撃以来、国内外のフィールドワークを伴った研究を続ける。雑誌やTVで活躍、『TVタックル』などの番組に出演。超常現象肯定派として論陣を張る。UFO・宇宙人絶対肯定派。
たま出版オフィシャルサイト
ニラサワ研究所(ブログ)
テンプル――
たま出版は、エドガー・ケイシーを語る上では欠かすことのできない出版社であり、40年以上にわたり、ケイシーの本を出版し続けて下さっています。まず初めに、たま出版がケイシーの本を手がけることになった経緯や韮澤さんがたま出版に入社した当時の思い出などをお聞かせいただけますか?
韮澤――
たま出版創業は1969年4月です。その年の9月に私は入社しました。『転生の秘密』という本がありますよね。その本にからんで、それよりも前に、たま刊行会という組織ができていました。その時に『窓はひらかる』というタイトルで出版されています。
テンプル――
ということは、『転生の秘密』は最初、たま出版からも『窓はひらかる』という題名で出ていたんですね。
韮澤――
これを見ると、昭和44年(1969年)5月1日発行になっていますよね。昭和44年というのは創業した年です。4月に創業して5月にはこの本が出たことになります。しかも発行日がシールで貼ってあるでしょ? これ、裏から透かして見ると、昭和41年4月30日発行になっているんです。41年にはまだたま出版は存在していないので、たま刊行会が出しているはずです。 ところが何故かこの本は最初、44年創立のたま出版から41年に出版されていたことになります。
テンプル――
プリントミスではないんですよね。
韮澤――
そうです。ちゃんと組織としてあったんですね。『窓はひらかる』を最初に出したのはインフォ社でしたね。それは初版だけしか出ていません。2版目をうちが出しています。創業社長が是非ともこの本を売りたいということでたま刊行会がインフォ社から版も著作権も全て買い取ったんです。インフォ社が出していましたが、販売力が弱かったし、たまでもすでにこの本を預かって売っていたんですよ。中身をみるとよく分かるんですが、活版印刷ですから文字も何も全て一緒ですよね。インフォ版とは前後の解説が違いますが、同じ版を使ってたま出版が2版目を出したんですね。それを私が『転生の秘密』として章立てなども変えて出版しなおしました。それが昭和60年、1985年のことです。
テンプル――
では、兄が読んだのは、以前の版のものだったんですね。私が最初この本を読んだのも中学のときでしたから、以前の版のものだったということになりますね。韮澤さんが入社されたときというのは、社員さんは何人くらいいらっしゃったんですか?
韮崎――
社員はいなかったかもしれませんね。私が入社したあとはずっと1人でしたから。
テンプル――
創業当時、『転生の秘密』の本大八車に乗せて先代の瓜谷社長と2人、行商に歩かれていた、というのは本当ですか?
韮崎――
大八車ならいいですよ。そんなに売れるなら。そんなものじゃなかったです。小さな籠に本を詰めて、あるいは段ボール箱に入れて小さな車で廻ってました。
テンプル――
本屋さん廻りをされていたんですか?
韮崎――
いえ、本屋じゃないんです。アチコチで会合があるでしょう。心霊学会みたいなの。そういった宗教的なところは毎月の例会がありますから、そういうところに行っては出店みたいに本を並べて売っていたんです。
テンプル――
ということはすでに『転生の秘密』以外にも本は何冊も出されていたんですか。
韮澤――
何冊も扱っていました。他の出版社の本を預かってそれを売っていましたから。それに、たま刊行会の時代に『たま』という雑誌も創刊していました。
テンプル――
昭和41年という早い段階から精神世界の雑誌を出されていたんですか。
韮澤――
啓蒙もしていましたからね。
テンプル――
雑誌『たま』の第2号にはさっそく空飛ぶ円盤ですね。今日も円盤は飛ぶ・・・。
韮澤――
『たま』の執筆者も蒼々たる人たちですよ。漫画家の山川 惣治さん、前の石原東京都知事も書いていますよ。あの人は意外と超常現象が好きなんですよ。『巷の神々』でベストセラー出していますから。あらゆる宗教団体を調べて書いています。創業社長はそういった宗教関係の研究していたんですよ。それに厭きたらず脱宗教を立ち上げ、いわゆる精神世界を立ち上げています。
テンプル――
瓜谷さんが精神世界という言葉を使い始められたと聞いていますが・・・
韮澤――
そうです。『ビジネス未来本』という本を出した頃ですね。京セラの稲盛和夫さん、船井幸推さんなど5人がこの本を書いています。1987年には『たまビジネス研究会』の立ち上げとなります。
テンプル――
高田馬場にあった『たまビジネス研究所』にはよくお邪魔していました。セミナーの受付を手伝ったり…。1993年にケイシーセンターを設立した当時は、たま出版のセミナールームはよくお借りしていました。あの頃のたま出版は若い社員さんも多く、活気がありましたよね。韮澤さんも名物編集者としてテレビによく登場されるようになっていました。
その時代からのたま出版しか私は知らないんですが、韮澤さんは、どういった経緯でたま出版に入社されることになったんですか?
韮澤――
たま出版が創業した年に私は大学を卒業しました。実家の仕事の関係でいったん文具メーカーに勤めたんですが、それは僕がすべき仕事じゃないなと感じて半年くらいで辞めてしまったんです。辞める前後にある会合で瓜谷さんに会ったんです。裸電球の6畳くらいの部屋でしたね。そこで瓜谷社長と会って、宗教観や宇宙意識に意気投合したんです。社員を募集しているということだったので、9月に入社しました。
テンプル――
大変失礼なことを伺いますが、たま出版からはちゃんとお給料はもらえていましたか?
韮澤――
一応、月額3万円という設定はありましたよ。でも年金はずっと払ってなかったですね。しようがないので自分で健康保険も入っていました。厚生年金に加入できたのはずいぶん後になります。でも仕方なかったんです。社員は私しかいなくて、社長もいろんなアルバイトしてましたし。もちろん私も勤めながらも、アルバイトをするっていうのが何年も続きました。
テンプル――
それでもお辞めにならなかったのは、たま出版は魅力的な会社だったんですね。
韮澤――
それしかなかったですしね。実は大学時代から空飛ぶ円盤、UFOの研究団体組織を全国大学連合のような形で作っていたんです。その仲間の1人が今のUFO党党首の森脇君。私は法政大学の哲学科に在籍しながら、機関誌も発行していて、事務所も持っていました。そこで機関誌をどんどん出していたので、編集はもうやっていたわけなんです。
それから5~6年後に三島由紀夫のあの事件が起き、直後にユリ・ゲラーが来日する時代になりました。その頃『ソ連圏の四次元科学』を出したらテレビで紹介されたりしました。当時のたま出版は市ヶ谷にあったんですが、矢追純一さんがいた日テレが市ヶ谷の橋の向こうにあったんで彼と繋がりが出来、そのご縁でたまの本がテレビで紹介されるようになり、ベストセラーが出たりしました。その頃からようやく出版社らしくなりましたね。
テンプル――
では、たま出版の初のベストセラー本は『ソ連圏の四次元科学』。
韮澤――
そうです。それからノストラダムスの予言の本がベストセラーになり、矢追さんとやった『第3の選択』もベストセラーになりました。
テンプル――
先日、韮澤さんのブログを読ませていただいたんですが、『第3の選択』に書かれている未来予測はすごいですね。2010年あたりの人口とか環境問題の予測は的中していると言っていいですよね。
韮澤――
あれは様々な科学的なデータを集めて作った本なんです。あり得ないような設定ですけど、実際のデータに基づいてドラマ化されています。原点にあるのは地球温暖化の問題ですね。
テンプル――
地球温暖化といいながら、俯瞰してみると、地球は寒冷化に向かっている…。
韮澤――
気象学的なリズムとしては氷河期近くに入っています。人間が化石燃料を使うことによって温暖化ガスを地球に振りまいてしまい、地球を熱くしてはいるんだけど、リズムとしては寒くなってきています。寒い気温と熱い現象がかち合って気候変動を起こしてしまっているのが、今の時代です。四季のリズムが狂ってしまう、海流の動きが変わってしまって資源が変わる、気候が不順になっているというのが今、現実に起こっていることです。
テンプル――
『第3の選択』は正確には、何年発行の本ですか?
韮澤――
1982年発行です。その後ノストラダムスが予言した1999年が近づくわけです。それに連動してエドガー・ケイシーのことが日本テレビの『知ってるつもり』の特番となり、ケイシーの本がヒットしました。
テンプル――
このあたりのことは私もよく憶えています。そういえば、最近のテレビ番組では、夏でも心霊特集や見えない世界を扱った番組がないですね。
韮澤――
昔は、そういう分野は一種のロマンとして扱えたんですが、今はそれが非常にシビアになってきています。政治や陰謀論に濃厚に絡んで動いているのでマスコミが取り上げにくいんですよ。
じゃぁ、どこまでが本当かというと、極めて微妙で難しいところに来ています。何故かと言いますと、現在の地球の科学、心理学、自然科学、政治経済全部合わせても、この精神世界の深みには到達できないんですね。エドガー・ケイシーの場合は、まさにその深みのところに繋がっていくわけです。そうすると、どこまでが本当だとか、どういう法則性があるんだとかには手がつけられない。だから学校の教科書にも載せられないし、学会も政府もタッチできないんですね。そうなるとマスコミとしては扱いにくいんですよ。だけど『いよいよ時代が来たんだ』ということに絡みます。
これは3.11の大震災のちょうど1ヶ月前に出した本なんですが、これは現時点での私の集大成となっています。『宇宙人はなぜ地球にきたのか』というタイトルで世に問いました。この直後に.3.11が起き、今まさに『その時代』に突入してきていると。この本を出してから、年末特番もそうだし、TVタックルもそうだし、民法、NHKとも、だんだんこの問題には入れなくなってきています。
テンプル――
昔は、幽霊がいるとかいないとか、UFOの写真が撮られた、宇宙人に会ったとか、そのレベルで終わっていたんですけど、ある日テレビをつけたら、宇宙人陰謀論とか政府は宇宙人と密約しているとかの話題になっていました。そこまで話しが一気に進むとSF小説を読んでいるようで現実感がなくなってしまうんですよね…。
韮澤――
今はCGを使うと何でも出来てしまうんです。だから本物の心霊写真の定義が出来なくなってしまいました。何が本当で何が嘘かの見極めが出来なくなってきているんです。テレビ番組もみな嘘みたいに思えてしまって、夢がなくなってしまいました。
テンプル――
話題を少し変えますが、エドガー・ケイシーの『転生の秘密』を書かれたジナ・サーミナラさんが来日されたとき、1回目は福田高規先生がお世話をされ、2回目の来日のときには韮澤さんがお世話されたと聞きしました。このあたりのことは憶えていらっしゃいますか? 美輪明宏さんがジナさんと並んで写っている写真もありましたよね。
韮澤――
大学進学で東京に出てきてすぐに十菱麟さんが作られた英瑞カンパニーに行ったことがあります。そこで福田高規先生が事務員として働いていたんですよ。それはよく憶えています。
あの写真の美輪さんは『よいとまけ』を歌われていた頃でしょうか。美輪さんは、自分は天草四郎の生まれ変わりだと言われています。そういう前世の自覚があってタレント性のある人にジナさんを引き合わせようかなと思ったんです。その時のことは雑誌『たま』の記事にしたのを憶えています。ジナさんが日本の芸者に会いたいということで熱海にも行きました。でも講演会はしなかったと思います。
テンプル――
ジナさんを招聘されたり、『転生の秘密』を出版されたりとたま出版とケイシーとは深い関わりがありますが、韮澤さん個人にとって、ケイシーはどのような存在なのでしょうか?
韮澤――
私が最初に読んだケイシー本は、たぶん十菱さんが翻訳された『奇蹟の人』じゃなかったかなぁと思います。中学の頃かなぁ。最初あの本は十菱麟さんが作られた英瑞カンパニーから出されていたと思います。その英瑞カンパニーは立ち上げの頃、AREの日本支部も立ち上げていました。1958年頃です。それでAREシリーズも15冊くらい出しているんです。でもそれが何年も続きませんでした。その本の版権を霞ヶ関書房に売ったり、出したものがそれっきりになったり…。でも英瑞カンパニー立ち上げの頃にケイシーの本を読み、その後、十菱さんとの関係が運命づけられているような流れになっていきました。
ケイシーは生まれ変わりという価値観に目覚めさせてくれました。生きる目的を自覚したのもケイシーの本からです。
テンプル――
韮澤さんと言えばUFOですが、UFOについてのケイシーリーディングを調べられたことはありますか?
韮澤――
調べたことはありますよ。たま出版が最初にAREツアーを主催したのが1992年。
テンプル――
私も行きましたよ。韮澤さん、ツアーの団長さんだったんですよね。
韮澤――
私はツアーの代表者として行きましたが、たま出版としても、あそこでAREの本の出版権を20数点契約してきたんです。でもその半数近くがまだ出ていないんですが。そのリストは秀さんのほうに渡して尻を叩いていますけど、進まないんですよ。ケイシーセンターの翻訳チームや福田高規先生に依頼しているものもあります。ケイシーの講演集も秀さんのところでストップしています。それはリーディングがらみで翻訳が難しいらしいです。忍耐強く待ちます。秀さんは尻を叩いても動かないから…。
その第1回のツアーでアメリカに行ったとき、UFO問題も非常にユニークな動きが始まっていて、国連でUFO問題の進展があったんです。その会合のデータをもらうと同時に、ARE図書館の方が、私がUFO問題を研究しているということを聞いていたらしく、UFOに関するリーディングのコピーを3~4点私にくれたんです。残念なことに引っ越しの時に原文を紛失してしまったんですが、内容は憶えています。
1つははるか昔、地球に生命が誕生し、人間を地球で生存させるときに宇宙的な知性体の関与があった、というリーディング。もう1つは、アトランティス末期、ポセイドンという町が沈没するとき、今のユカタン半島に彼らが降りてきて救済をした。警告と救済をするためにやってきたというリーディングがありましたね。
テンプル――
救済というのは、人間をUFOに乗せて救済した、ということですか?そこまで具体的なことは書かれていなかったと記憶しているんですが。
韮澤――
アトランティス人に対し警告を与えたということは読み取れましたね。実際に救済をしたかどうか、はっきりとは書かれていませんでした。でも関連のリーディングがいくつかあったと記憶しています。
このUFO問題は、実は私がエドガー・ケイシーに接触する前から私の人生に入ってきています。小学校3年のときですから1954年です。夏、学校のグラウンドで天体観測会というのがありまして、望遠鏡で月や星を見ましょうということで集まった。集まっていたら、地平線から大きな星が近づいてきた。そして天頂近くで消えたんです。当時は人工衛星がまだない時代ですから、子供心に不思議なものだなと思っていました。いろいろ考えたあげく、地球は丸いから宇宙船が一直線に飛んでいったのがそう見えたと考えたんです。
小学校5年くらいから、空飛ぶ円盤に関する本がいろいろ出始めて、中学になった頃からそういった本を読んでいました。UFOだけではなく宇宙人の問題も興味の対象に入ってくるわけです。家の屋根の上で毎晩星を見たり観測もしていました。
高校のときは水泳部に入ってまして、放課後30人くらいでジョギングに行っていました。新潟ですから越後平野といって地平線までずっと田んぼが続く広い平野があるんですが、山に向かってジョギングをする。往復4キロくらいかな。そこを走っているとよく球体の飛行物体がついてくるんですよ。オレンジ色の…。
その頃から私はUFOマニアとして有名になっていまして、私は副マネージャーだったので自分で走らないときにも自転車で部員の横をついていってたんです。UFOが出ると誰かが「韮澤を呼んでこい」と言い出して、私が自転車でメンバーの前を走っていると、呼び止められる。戻ってみるとその飛行物体がずっと着いてきて、そのうちいなくなる。途中で折り返して学校に戻ってみると、向こうの山の上を銀色のやつがスーっと動いている。それは何回もありましたね。だからUFOを呼ぶ男みたいな感じに思われていました。大学に入ったと同時に全国組織で活動を始めました。
テンプル――
今のようにインターネットもない時代、どのように全国的な組織を築いていかれたんですか?
韮澤――
すでにいくつもUFOの研究団体はありました。空飛ぶ円盤のことをいろんなSF作家や三島由紀夫が書いていました。そういった人達が動いていましたし、民間のUFO団体もあり、非常に活発に動いていたんです。私がやったのは大学組織で、京大、東大、早稲田も入っていたかな。そういう大学が連携を持ちながら研究をやっていました。
テンプル――
UFOの研究って、どんな研究ですか?
韮澤――
海外の情報を紹介したり、日本の事件を調査したり…。
テンプル――
その情報はどうやって入手していたんですか?
韮澤――
本はたくさん出ていましたし、機関誌もたくさんありました。海外でも日本でも当時は相当の数がありました。あるときUFO団体の代表の人が十菱さんを紹介してくれて、大学1年の夏休みに行ってみたらということになって十菱さんを訪ねていったら、すでに十菱さんは出版会社を辞めて新しい活動を始めていたんです。20人くらいの若い人が集まっていました。その人達が何をやっていたかというと、インドのヨガ系統のメヘル・バーバーの教えを受け継ぎ、その方法で、今でいうスピリチュアルな超常現象を全部取り込んだようなグループを作っていました。それにスブドという組織やヤマギシ会の思想が入っていましたね。十菱さんはこの全部を渡り歩いていたんです。そしてこれと思うメンバーを十菱さんが引き抜き、別の団体を立ち上げていたんです。
テンプル――
一種の宗教的修行グループだったんですか?
韮澤――
そうです。そしてその団体に入って共同生活をするようになりました。そこでは日常会話はテレパシーなんです。無言ですべてコミュニケーションする。
テンプル――
大学はどうされたんですか?
韮澤――
夏休みだったからね。そのままズルズル・・・。
テンプル――
さっき、テレパシーで会話していたと言われましたが、その団体に入ったからといって、すぐにテレパシーで会話はできないですよね。
韮澤――
すでにその頃、僕はテレパシーに没頭していましたからね。テレパシーが原則なんです。それはリーディングでもありチャネリングでもあり…。アメリカ軍がやっているような遠隔透視の原点を訓練するわけです。なんでそうなったかというと、さっき言った3つの組織の他に十菱さんが教えを受けた、ある人物がいたんです。その人はそこにいませんでしたが、その人は実は金星人だと言われていました。自称ですけどね。
私はその人には会っていませんが、そのやり方というのはまさにテレパシー、人間の超感覚的知覚をベースにした生き方でした。インドの行者がよくやると言われていますが、お金も何も持たず世界を旅行できるんですよ。その方法で日本中を旅行していました。東京にいながら大坂にいる仲間にテレパシーを使って、名古屋のどっかで待ち合わせをするみたいな…。それを訓練でやるわけですね。間違ったら会えないわけだし。
テンプル――
真剣ですね。
韮澤――
真剣です。だから1日の長さが1ヶ月くらいに感じるんです。
テンプル――
以前、韮澤さんにこのときのことを伺ったとき、部屋の中にいながら世界のことが分かるので、1秒1秒が濃すぎて疲れたと言われていましたよ。
韮澤――
まさにそれです。
テンプル――
とはいえ、テレパシーに興味があって本を何冊か読んでいたのと、テレパシーが実際に使えるというのは違うと思うんですが、韮澤さんはその団体に入ったとき、すでにテレパシーでコミュニケーションは出来ていたんですか?
韮澤――
何でできたかというと、アダムスキーは3つの哲学書を残していっていたんです。日本で最初に翻訳された本が『テレパシー』という本でした。それを高校時代に読んで、これは本物だなと、自分の非常に深いレベルで自覚したんです。その印象が強烈でしたが、本を読んでも分からないんです。宇宙の創造主のパワーを自分で感知するというのが原則にあるんです。それについて本には言葉で書いてあるんですが、読んでも分からない。分からないけど、活字の奥にあるものを私なりに感じとって、それが基本にあるんだなと思っていました。本を読んで自分なりに試行錯誤しながら、あるところで「あ、これだな」というところに行き着いた自覚はありました。
テンプル――
その修行団体では、お金に全く触らなかったそうですが、お金に付着してしまう雑念のようなものを遮断するためにお金に触らなかったんですか?
韮澤――
もちろん、それもあります。それに、インドのメヘル・バーバーもそうだったし、インドの聖者たちはお金は不要なんです。このことについては、最近うちで出した『イエス復活と東方の旅』に書かれています。
テンプル――
この本に、お金を使わず生きる方法が書いてあるんですか?
韮澤――
私がいま言ったことがそのまま書いてあるわけではありませんが、これを読むとどういうことか分かると思います。キリストがその人生の中で、いったい何をいわんとしていたのか。これは今のローマカトリックがいうキリスト像とは全然違います。でも実際の考古学的調査を通して、キリストが何をやったかが書かれています。
これに何が書かれているかというと、イエス・キリストは十字架では死ななかったと。そこでは死なず、トルコやインドに行っています。そしてインドのイスラム教徒やヒンズー教徒に大きな影響を与えています。マリアがずっとイエスに付き添っていくんですが、その足跡が書かれています。
テンプル――
ケイシーは、イエスは子どもの頃から霊的指導者になるべくエッセネ派で学び、10代の頃から遠くエジプトやインドまでおもむいて様々な霊的な教えを受けていたと言っています。十字架では死ななかった、というのはケイシーリーディングとは見解を異としていますが、時期は違えど世界中にイエスの足跡が残っているというのは肯けます。
韮澤――
この本によるとイエスは『金持ちが天国に入ることのほうが、ラクダが針の穴を通ることより難しい』ということをはっきり言っていたらしいんです。それはアダムスキーが書いた哲学書にも同じことが出てきます。それはまさに私が修行していた頃の金星人と同じ。
テンプル――
ではこの本を読みながら「知ってる、知ってる」と思われましたか?
韮澤――
「知っている」というレベルではなく「その通りです!」という感じです。でもこの生き方は地球上では通らないんです。地球のライフサイクルと価値観はすべてお金で廻っていますが、これを変えるのは、ものすごく難しいですね。
テンプル――
たしか、韮澤さんは餓死しそうになってその団体を抜けられたんですよね?
韮澤――
いえ、餓死ではなく、最後はとうとう栄養失調になってしまったんです。どうしてかというと、お金がなく、能力が発揮できないときは何も食べられないわけです。
テンプル――
なるほど。能力が発揮できれば食べ物は引き寄せられるけど、疲れて空腹だと能力も発揮できないから、ますますお腹が空いてしまう…。
韮澤――
そこには京都大学哲学科出身もいたし、京都の舞妓さんも、シンガポールの人もいました。男性も女性も、生まれたばかりの赤ちゃん、乳幼児も総勢20人くらいがいました。とうとうお金がなくて家賃が払えなくなり、最終的には追い出され、その20人が路頭に迷って放浪し始めました。十菱さんのその後の行く末は、ナオコさんがお会いになられた頃の十菱さんになるわけです。
テンプル――
私がお会いした晩年の十菱さんは、もう枯れたというか静かな感じでしたよ。でも若い頃の十菱さんの武勇伝は聞いたことがあります。お酒を飲んで暴れたり、警察に拘留されたこともあったそうですね。
韮澤――
その喧嘩のやり方も、ある意味超常的でした。武道のような感じだったんです。十菱さんは地球のドグマを超えたものを追求しようとしていた姿勢が強烈でした。だから、ああいう人生になったんですね。追求せんとしたものは純粋で有意義なものがあったんですが、結果的に人生は非常に厳しいものになりました。
テンプル――
地球の法則には合わなかったのかもしれませんね。それから、十菱さんは若い頃、とにかく女性におもてになったと聞きました。女性のほうが十菱さんの元を離れられなくなってしまうと。最晩年の十菱さんとしかお会いしていないので、なぜそんなに多くの女性が十菱さんに魅了されたのかなと思っていたんですが。
韮澤――
それにも超能力的なものがあったんですよ。つまり物質的なしがらみを超越するということです。財産とか名誉で愛は簡単に壊れますが、本当の愛に触れるかどうかでしょう。麟さんの人生は客観的にみると破れかぶれに思えますが、私もその場に身を投じていた身ですから、さっき紹介した本に書かれているイエスの足跡と重なる部分がありました。
テンプル――
半年ほどでしたが、十菱さんとの濃いテレパシー生活の名残は今の韮澤さんの中に残っていますか?
韮澤――
それはありますね。でも、あの感覚は誰のなかにもあるんです。ケイシーのリーディングから分かるように、人間の身体というものは、細胞分裂を常にやっているわけです。同じ分子細胞でありながら、この手や足を作り上げるからくりは分からないらしいんです。でも分子細胞を作り上げるフィーリングがあると。ある「場」が存在する、というのが最先端の生物学の考えなんです。そのエネルギーが我々の本体であるわけです。その本体の動きと自分のエゴは相当かけ離れています。その声を聴くのがうまいか下手なのかで大きな違いになってくる。ケイシーという人は、その根源のソースに近い能力を持っていたわけなんですね。だからライフリーディングのほかに、フィジカルリーディングの分野で多くのリーディングをとることができたんだと思います。
テンプル――
UFO問題に少し話しを戻しますが、UFOを見る人はしょっちゅう見るし、見ない人は全然見ませんよね。どうして見る人と見ない人がいるんでしょう?
韮澤――
私たちも修行時代に学んだんですが、自分の身体を相手に見えなくするテクニックがあるんですよ。見えなくすると何でもできるんです。
テンプル――
透明人間ってことですか?
韮澤――
透明人間です。それを訓練していたんですよ。実際は私を見ていた人の認識をコントロールすることです。記憶を消すということでしょうかね。十菱麟さんのグループでは、普通の心霊現象や心霊体験はほとんどやりましたね。
テンプル――
水の上を歩くなんてのは、簡単って感じですか?
韮澤――
そうかもしれないね。霊だとか予知というのは頻繁に体験していましたね。透視現象も起きます。
テンプル――
透視する、ではなく、透視現象が起きるってどういう意味ですか?
韮澤――
我々は警視庁からマークされていましたから、集団でも個人でも動いていたら必ず尾行されていました。旅先で旅館に泊まると、近くの部屋に必ず彼らがいるんです。それは別に見に行かなくても透視能力で分かりました。そういった状況の中で、その尾行をどうマインドコントロールでまくか、そんなことをやっていました。そうしていると、ものすごく感覚が研ぎすまされてくるわけです。
例えば、リーダーがいて何人かで訓練するときに、野山や林の中を歩いているとするでしょ? すると、トップの人間には虫が全然寄ってこないんです。後ろで歩いている人間にたかってくるんです。波動の高い低いがあるんです。前の方は研ぎ澄まされて動いていますが、後ろの人間は嫌々ついてくるわけです。そうすると虫の寄り方も違ってきます。あれは不思議でしたね。
テンプル――
実際の訓練はどういったことをされていたんですか? 瞑想もされていましたか?
韮澤――
瞑想は基本です。第3の目を開くためにインドの特殊な行のようなものもやっていました。それよりも、24時間常にそういったフィールドの中にいるということで、体外離脱や宇宙旅行、透視、予知、そういった能力がたぶんに引きだされたんですね。
テンプル――
そこでは若返り法は習わなかったんですか?
韮澤――
若返りはなかったですね。十菱さんも亡くなったし。でも人間はうまく調整できれば800才くらいまでは生きられると言われています。でもこの地球ではストレスが多すぎます。
テンプル――
ある程度まで生きたら、新品の肉体をまとったほうがいいですしね。旧約聖書を読んでいると、当時の人は何百歳も生きていたと書かれていますが、たとえばアブラハムとサラは長寿だった割に、もう自分たちには子供を作る年齢を過ぎたと嘆いているのが今の人間と変わらない年齢だったりしていますよね。老人として何百才も生きるよりは、私はさっさと肉体をリニューアルしたいです。
韮澤――
それが、そうでもなくて、宇宙人の事件をみてみると、数百才でも20才くらいの肉体というのがありますね。
テンプル――
そこは、1日何時間ですか? この地球の時間軸で800才は生きたくないですねぇ。私は4才のときにすでにあと80年生きるかとウンザリしていたくらいですから。
韮澤――
そうなってくると、その長い時間をどう生きるかなんですよ。そこが抜けていますよね。いまだと定年退職で人生終わりですから。
テンプル――
さっきの訓練の話しに戻しますが、その訓練法は十菱さんが金星人から教わったものなんですか?
韮澤――
十菱さんが同じ訓練を金星人から受けたそうです。その金星人と直接会ったことがある人が先輩の中に2~3人いました。メンバーが散り散りになった後もしばらく何人かと手紙のやりとりもしていましたが、最初にいた仲間の手紙というのは面白い内容でした。でもそこで僕が体調を崩して実家に戻ったあと、普通の感覚に戻るのに時間がかかりました。半年はかかったと思います。でも、実家である人のことを考えていると、しばらくすると必ずその人が訪ねてくるみたいなことはありました。引き寄せてしまうんです。それはずっと続いていました。
テンプル――
この地球では、私たち人間というのは、この肉体の感覚が全てであって、第六感というのは無いことが前提になっていますよね。でもかつての韮澤さんのように、人間はテレパシーで交信し、言葉によらず意志疎通をしたり肉体を消すことができる、ということが前提になれば、この地球での経験はずいぶん変わってきますよね。時間も一方通行ではなくパラレルで同時に存在しているとなれば、歴史の見方も変わってきます。
韮澤――
変わりますね。でも精神世界、スピリチュアルの世界では言葉で分かったような気になるんだけど、実体は人間の細胞なんです。人間の細胞は自分の自己感覚と分離されているんです。それが一体となるところに、ケイシーの教えの意味も生きてきます。
UFOの遭遇事件でも必ず精神的な影響を受ける、あるいは精神的な影響を受ける現象が起きます。そこで地球の自然科学では説明のつかないものが伴うので、政府は発表できないんです。
ただでさえ、人は超能力に頼ろうとします。それが地球の現在の文明に致命的です。それを軍が1960年代に判断して、宇宙法という国際法を作りました。つまり宇宙開発上の道路交通法です。宇宙開発する場合は宇宙法にのっとって宇宙開発しましょうということになっています。月にいって独自で地域を占領してはならない、というものもあります。でも宇宙法の根源的なものは、地球外の知的生命体と遭遇した場合どうするか?ということが一番のテーマになっています。
一橋大学の大学院にその教科があったのですが、その教科書を見てみると、地球人より高い文明の宇宙人の生命体、同レベルの生命体、地球より低い生命体、それぞれの接触の仕方を規定しているんです。高い文明の場合は、地球と完全にシャットアウトしろと。地球に入れない。同じくらいなら交渉可能、低いところは統治管理する。そんなふうに細かく決まっているんです。
相手が高い文明であった場合、高い能力やセンスをもった生命体に遭うと、普通の人は神や仏に崇めまつって依存します。依存したら判断がつかなくなってしまいます。相手に裏切られたり、相手も手に負えなくなってしまえば混乱が起きてしまう。同じことはアメリカのネイティブインディアンに起きました。大航海時代のヨーロッパが他国を植民地化していくあのパワーに飲み込まれてほとんど全滅してしまいましたね。
別のところでは、高い文明がきて、裸でいるのは恥ずかしいからとみんなに服を与えました。そしたら服のまま川に入ったあと、濡れたまま陸に上がってみな風邪をひいて全滅してしまった。これが宇宙法の原理のなかに取り込まれています。そういった例が地球の文明にも起こりうると1960年代のアメリカ軍が決定して、それ以来、UFO問題は隠蔽されています。
私たちが享受している現代文明は、ヨーロッパのルネッサンスを経た近代民主主義とサイエンスに基づく文明です。これが私たちの享受している文明ですが、いろんな欠陥がある。その欠陥を補うようなものが南北のネイティブインディアンの文明のなかにあります。彼らはアトランティスの血を引いているわけですが、その中に宇宙人がたくさん下りている。そして彼らの文明にも関与しているし、最近まで宇宙人が一緒に住んでいたところもありました。宇宙人の基地だったところもあります。古代遺跡のように最近発掘されたりしていますが・・・。そのデータや資料がこの秋に明窓出版から『YOUは宇宙人に遭っています』という本で出ています。
近年になって、地球も宇宙防衛をし始めて、宇宙人との遮断を明確にする意味で、侵略的な宇宙人というイメージを形作っています。そういう実戦部隊があって、墜落したUFOからテクノロジーや部品をアメリカ政府が分析して、自作のUFOみたいなのを飛ばしてしまっている。そんな事件がここ20年くらい混ざってきています。UFO事件を偽装しているわけです。半導体もロズウエルの部品でした。ロズウエル事件の部品をペンタゴンが回収して、ベルカンパニーで研究させてできたのが半導体です。それを応用してコンピュータが出来ました。ですから我々の文明というのは、宇宙のテクノロジーを吸収していることになります。核エネルギーの問題については、僕の『宇宙人はなぜ地球に来たのか』に書いてあります。
次に、ケイシーのリーディングの3976-15についてお話します。このリーディングはけっこう長いんですが、この中身は切れ切れにいろんな本に紹介されています。この中に例の日本沈没の予言が登場します。
テンプル――
天使ハラリエルが出現して予言したという…
韮澤――
ハラリエルという主体が何であるかという検証も必要かと思いますが、このリーディングは1934年に取られています。第二次世界大戦のずっと前です。全体の流れからみると、これはとても不思議なリーディングです。ヒットラーがちょうど政治に関与し始めた頃ですが、ケイシーはヒットラーを『ヨーロッパの若い王』と言っています。しかし、それは無に帰す、結局何もならないと言っています。そして中国と日本の台頭も見据えています。ルーズベルトがまもなく死ぬことも言っています。それから、スフィンクスの足下に眠るアトランティスの『一者の法則の記録』の発見と公表についての予言もなされています。
でもボリュームとして一番割かれているのは、まもなくアメリカにある人物が入ってくることになっている、という部分です。まもなくということは1930年代にアメリカに出現するという言い方で出てきます。この人は、ヨハネ・ペヌエルとされていますが、これだけだと、ペニエルは人物の名前ともとれるし、場所の名前とも取れますね。ペヌエルというのは、もともと旧約聖書創世記に登場する場所で、ヤコブが神と顔と顔をあわせた所なんです。その地名が引用されてます。これは誰なのか? 1930年代にアメリカにいて、非常に重要な人物であるという言い方になっているんですが、結局分からないんです。アメリカのケイシー財団でも特定はできていません。
この予言の中に、世界の大変動についても述べられています。地軸の変動、1958年から1998年に地球は変動の時代に入る、この時代は雲間に再び主の光が見られる時代だと宣言されるであろう…。こういったことがこのリーディングでは言われています。ここには様々なことが絡んできているので、いずれきちんとまとめようと思っていますが、これが現在の気候変動と宇宙規模の変動の動き、宇宙人やUFOの出現とどう連動しているのか。
特に世界にUFOの出現が増えていることについては、地球の政府はなかなか説明がつかないので、コメントを出しませんが、大きな歴史の現象として起きています。UFO現象と地球の文明の限界、資源を使い尽くして石油燃料を使う車がこれ以上増えると温暖化には影響を受けますし、気候変動が厳しくなってきます。この予言がもとになり、すでに1950年代から始まっているんじゃないかとか、1999年のノストラダムスと関連づけて世界が滅びるんじゃないかと思ったり…。小松左京さんの『日本沈没』もこのあたりから生まれているわけです。実際にはこの予言通りには起きなかったんだけれども、21世紀に入って20数年経った今、この予言の意味が出てくるような気がしています。このあたりをテーマにして今研究中です。
テンプル――
韮澤さんの元には、様々な予言や未来の情報が届くのではありませんか?
韮澤――
チャネリング系のものはたくさんあります。チャネリング系の情報の精度は良くて7割。悪ければ5割以下になります。たま出版というのは、そういった情報の集積所みたいなところがあります。うちで本を出される方々はたぶんに能力者ばかりで、いろんな組織を統轄されているような方ばかりですから、私もおかげをこうむっています。
3.11の予言についても、直近で警告されたことは何度もあります。「これから余震が来ますよ」と電話がかかってきて、みんな信じてないから「どうかな~」なんて言っていたら、それから10分も経たないうちに東京で震度5弱の地震がありました。3.11の2日前でした。3.11のときには私たちは帰宅できなくなって、会社に泊まっていましたが、その時に、地震がどう起きるかという予言のリストをもらって会社に置いてあるのを思い出したんです。そのリストを読んでいるうちに、余震が何分かおきに起きるわけです。その余震についてもそのリストには書かれてありました。
テンプル――
では、そのリストの予言は成就したわけですね。
韮澤――
それがそうとも言えないんです。というのは、その後でもっと大きな地震が起こり、富士山が噴火することになっていました。その余震を予言した著者からは、その後何度も電話をもらい、東京はもっと大きな地震が来ると。ですから『その日』、私は早朝に起きて近所の避難所指定の広場に行っていたんですが、何も起きませんでした。
予言は初期の頃は当たるんです。心霊手術もそうですよね。能力者でも評価されてお金が入り出したり、物質的なものが絡んでくると能力が落ちるように思います。1~2回は当たりやすいけど、その後は外れてしまう。いろんな雑念が入るんでしょうね。その雑念を自分で排除して、透き通った状態でとらえるのが難しくなるんだと思います。エドガー・ケイシーですら、石油の発掘のときには大失敗しているわけですから。
テンプル――
ケイシーの石油採掘について弁明させていただくと、あの場合は、一緒に仕事をしている人達の理想が1つにならなければ石油は見つからないとリーディングの中ですでに警告されていました。それにも関わらず、結局、人々の理想は1つにならなかったわけで、予言が外れたということでもないんです。実際、ケイシーがその油田採掘の権利を別の人に売却したとたん、リーディングどおりに石油が出て、その人は財を築いています。
韮澤――
だから、あらゆるものが連動しているわけです。能力者と言われている人、特に海外の方はお金が入りだすと能力がストップして完全に分解してしまう気がします。『イエス復活と東方への旅』の本を読むと、イエスは最後まで純粋さを貫いています。でも最後まで身一つで自分を貫くというのは厳しいんですね。宇宙における人間の本来のありようがどういったものか、宇宙人との異文化交流から私たちは今後より学んでいかなければいけない時代になってきています。
ヨハネの黙示録のハルマゲドンについても、このリーディングに出てきます。ハルマゲドンとは何かリーディングに出てきますからね。まさにいまその状態が起きています。でも、翻訳が難しいんです。いま訳されているのは、よく読み込んでいると問題があるんですよ。MANY are present を「多くの霊人が臨んでいる」と訳しています。MANY というのは何かというと、実体の複数なんですよ。だから十菱麟さんだったら、実体と訳しているでしょうね。厳密にいうと霊人ではないんです。
この後には、『その時、あなた方はハルマゲドンが近づいていることを知りなさい』とあります。おそらく普通の人はここを読んでも意味が分からないと思います。何故ならここはUFO現象と絡むから。このリーディングは、ヒュー・リン・ケイシーがちゃんと場を設定して、頼んで取っています。
テンプル――
このリーディングの一番最後では『ここに集まった私たちが自分たちの責任をもっとよく理解できるよう、その他に助言やアドバイスがあればお願いします』という問いがなされていますね。
韮澤――
『父なる神は、あなたが自分の経験の中で同胞を計る仕方の中にあらわれる』とあるように、その回答は原則論で、結局のところリーディング全体に記述された内容をとらえていないと、前進はおぼつかないでしょう。
テンプル――
世の中がどう変わろうと、激動の中に生きようとも、日々を自分の霊的な成長の糧にするということが大切な気がします。
韮澤――
また『主は天国におられるのではない。主は、あなたが主を受け入れさえするなら、汝の心に天国を造り給う』 その姿勢で生きなさいと。ここは1つのキーポイントだと思います。締めくくりなんですよ。
ケイシーがあの時代に生まれ、何を残したかったのか。ハラリエルはどういった根源なのか、それは考えないといけないですね。このリーディングはテーマとして面白い。さすがケイシーだと思いますね。
今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。
インタビュー、構成:光田菜央子