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第10回「風水というのは本当に、 物質的な言語、スピリチュアルに統合された物理的な世界の言語だと思うのです。」マーク・エインリー氏

マーク・エインリー 氏 Mark Ainley

カナダ、バンクーバー在住の風水コンサルタント。

カナダはもとより、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、東京、アジア各地でワークショップやコンサルテーションを行っている。マークが提唱しているコンテンポラリー風水のアプローチは、長い歴史を持つ風水を21世紀に生きる私たちの生活に取り入れやすく、また起こってくる変化のスピードが速いので、クライアントは風水のインパクトを体感できると好評。

また、マークは心と身体の繋がり、精神性、霊性向上にも深い造詣があり、様々なアプローチからクライアントの自己改革をサポートしている。

マーク・エインリーのWEBサイト

テンプル――
風水を学んだきっかけ、出会ったきっかけをまず教えていただけますか?

マーク――
1992年~1996年まで日本に住んでいたんですが、日本に住んだことで、様々なスピリチュアルな考え方に興味を持つようになったと思います。風水は日本のものではありませんが、そこに日本的な美的感覚との繋がりが強くあるように思えました。日本に住んでいた頃、よく明治神宮に行きました。あの場所の美的なバランスには本当に感心します。ちょうどその頃、中国の『老子道徳経』を読んだんですが、あの内容は、風水の背後にある古い中国の哲学にも通じています。

3年半日本に住んだあとロンドンに行き、友達の友達の部屋に引っ越しました。その彼と中国哲学や、いかに自分がそのコンセプトを気に入っているかを伝えたら、「面白い本があるよ」と紹介してくれたのが風水の本でした。

その本を読んだことで、風水が実践的で、かつ、自分の内的なバランスを外界から生み出すことができる、ということに強い興味を持ちました。内界と外界の相互作用や、回りの環境に変化を与えることで、心が何かを感じ、それが経験を引き起こし、自分の人生をコントロールすることが可能になる・・・。これが最初に私の心を惹きつけた点です。

テンプル――
ということは、セミナーに行った訳ではなくて、本を読んだことがきっかけだったんですか?

マーク――
本を読むことから始めて、ベストセラーの風水の本を書いた、とても有名な中国人の先生のワークショップをロンドンで受けました。

テンプル――
それは中国式の風水だったんですか?

マーク――
そうです。今、自分が行っている『部屋の位置で見る風水』ではなく、伝統的な方法である、方位方角で見る風水でした。私が読んだ二冊の本のうち、一冊は『方位によるもの』、そしてもう一冊は『部屋の位置とドアの位置で見るもの』でした。

最初は、方位方角による風水を使い始めました。その先生のもとで勉強したんですが、質問にはっきりと答えてくれず、情報を隠しているように見受けられたり、時には本当は答えを知らないんじゃないかと思えることもあって大変でした。

彼女は誰かに教わったことをただそのままやっているだけで、その背後にある「なぜそうなるのか」という哲学を理解していませんでした。がっかりしました。でも、もう一つのやり方を探求しようと思わずに、そのまま2年ほど方位を使った風水理論を用いていました。

その後、バンクーバーに移り住んだんですが、西洋風水をやっている女性の広告が目に入りました。聞いたことが無かったので興味を持ちました。何回かその広告を見た後、彼女に電話をしました。私が方位を使った風水をやっていることを話すと、彼女は「ご存知のように、中国では家を建てる時にすでに方位に従って建てるでしょう?」と言いました。私は「知りませんでした」と答えました。

彼女は「最初から方位磁石を使って建てた家なら、そのやり方は意味があります。けれど、そうでないなら、物理的な環境と方位が合っていません。磁気と物質が合っていなければ、エネルギーはうまく働きません」と言いました。それを聞いて、何だか興味深いと思ったんです。

そこで彼女のコンサルを受けてみることにしました。当時、私はとても狭い部屋に住んでいたんですが、先生はそのとても小さな部屋に2時間半をかけたんです。部屋のすべてを動かし、そのやり方はこれまで自分が学んできた風水とは全く違うものでした。法則に捕われていないんです。偏見がなくて、エネルギーの動き、飾り付けや色を決めるのにも柔軟に取り組んでいました。そこには本では学べなかった気づきが沢山ありました。彼女が「これから風水を教えるかもしれない」と言っていて、実際、翌年にトレーニング・プログラムを始めたので、私も受けることにしたわけです。

テンプル――
西洋的な風水のアプローチを取り入れたことで何か変わりましたか?

マーク――
すぐに気づいたのは、よく眠れるようになったことです。その前は方位に基づいて寝ていたんですが、物理的な側面に注意を払っていませんでした。寝ている方角は良かったのに、15階のバルコニーの窓のそばにベッドがあったために、寝ている間に私のエネルギーがバルコニーから流れ出ていたんです。彼女はベッドの位置を部屋の静かなところに変えました。それまで私は正しい方角に寝ていたのに、新しい位置に変えた後のほうが、良く眠れ、仕事も増え、バランスや平安をもっと感じるようになりました。

方位に基づく風水は良いアイデアであり、良い理論かもしれないけれど、物理的な側面にきちんと目を向けなければならないと気づきました。時間が経つにつれ私が理解し始めたのは、どんなスピリチュアルな哲学でもきちんと効果を出すためには、物理的な部分を活用しなければならないということです。物理的なことが論理的でなかったり、実用的あるいは実践的でない場合は効果が出ないのです。

沢山の良いスピリチュアルな考え方がありますけど、重要なのは「それをどうやって自分の人生に活かすのか?」ということです。風水に基づく解決法を住まいに取り入れたとき、風水が本当に力を発揮するためには、物理的に美しくあるのは当然として、同時に実用的でなければなりません。風水だからと言って邪魔になる物は置きません。それをすると、それは風水ではなくなり、妨害になってしまいます。

自分に大きな変化が認められたことで、このやり方を使い始めました。

テンプル――
最初から、コンサルタントになろうと思っていましたか?

マーク――
最初はコンサルタントになりたいとは特に思っていませんでした。やり始めた理由は、余分にお金がもらえるし、風水の考えが好きで、楽しいからでした。友人にアドバイスをしたら、結果が出始めたので「あぁ、これは本当に人を助けるんだなぁ」と。友人に「あれをこっちに置けば」などとやっていたら、友人たちに新しい仕事が見つかったり、何かが起こったりしたのです。そんなことが続き、もう少しやろうかな、と思って。

風水を始めたのは、楽しかったからなんです。少しずつ始め、その後、もっとコンサルをやるようになりました。「さぁ、今からコンサルタントになるぞ」と決めた訳ではなくて、段々とそうなったという感じです。

テンプル――
プロになってから何年になりますか?

マーク――
最初のトレーニングは2001年に受けました。多分2001年の最初の5~6ヶ月でした。最初のうちは先生と一緒だったので、先生のコンサルについて行き、先生のやり方を見て学ぶことができました。2001年の後半には、プロとしてコンサルをしてお金を頂くようになりました。

2001年のトレーニングのすぐ後から教え始めました。教えることが好きだったので、当時はコンサルよりもワークショップを多くやっていました。ワークショップを受けた人がカナダの別の地域に住んでいて「こちらでもワークショップをやって下さい」と頼まれるようになり、それでどんどん面白くなりました。教えることや、人々と風水について議論するやりとりが楽しかったんです。

テンプル――
マークのコンサルやワークショップは、単にここに何色の物を置くというのではなくて心理的な様々な要素を含んでいるように思いますが、心理学は勉強したのですか?

マーク――
いくつかのトレーニングは受けています。キネシオロジーも勉強したのでそれも使っています。キネシオロジーは、私たちが幼少期の経験に大きな影響を受けていること、出来事を理解したり、人生の決断をする時に、過去の経験に基づいて決めていることを教えてくれます。フェイシャル・アナリシス・システム(顔分析体系)も勉強したので、人がどんな風に考えているのか少し理解することができます。

良い風水コンサルタントというのは、誰でもクライアントが何を経験しているのかを考慮していると思います。本当の幸運というのは、その人が自分の生きたい人生を生きることです。そういう時に私たちは自分が幸運だと思うのです。幸運な人は、収入が良くて、仕事を楽しんでいて、良い人間関係がある、とも言えます。

部屋の何かがうまくいっていない時、例えば、部屋の『人間関係のエリア』の状態とクライアントが求めるものが一致していない場合には、その心理状態が部屋に顕れてきます。コンサルタントには、部屋を見ることで、明らかに何か問題があることが解るのです。

様々な超能力的な感覚を磨くトレーニングや瞑想を学んだことで、コミュニケーションの取り方や話し方から、その人がこれまで何を経験しているのかを理解する方法を学んできました。でも、私が顧客に対してやっているのは風水がほとんどです。それは「この家は何を教えてくれているのか?」に焦点を当て、次に「これはこの人の人生経験にどんな意味を持っているのか?」、その次に「どうすれば良いのだろう? どう解釈できるのだろう?」と考えていきます。

クライアントが物理的な環境をどう解釈するのか、物理的な環境をどう変えるのかによって、その人は人生のその部分と違った付き合い方ができるようになります。ある意味、常に私が関心を持っているのは、風水よりも、私たちはどうやって人生を経験するのか、何を見るのか、何を経験しているのか、「リアリティ(現実)」はどうやって作られるているのか、という点です。風水というのは本当に、物質的な言語、スピリチュアルに統合された物理的な世界の言語だと思うのです。これで答えになっているかどうかわかりませんが。

テンプル――
そういった見えない世界との繋がりに興味を持ったのは子供の時からですか? どんな子供だったのですか?

マーク――
子供の頃はエネルギーに溢れていました。すごく元気で、よく走り回っていました。音楽も好きで、今も音楽の仕事をしているくらいですから、強く興味を持っていました。5才の時、今でもはっきり憶えているのですが、自分の部屋で古いタイム・ライフ社のエジプトに関する本を見ていました。それでエジプトの絵の写真を見ている時、自分は別の人生でエジプトに住んでいたことが分かりました。何故だか分かりませんが、ただはっきり分かったのです。それまでエジプトについて何かを見たり、聞いたことも無かったのに。

10才か11才頃、催眠術に興味を持ちました。催眠術に関する本を読み始めて、私たちの頭の中で何が起こっているのか、どうやって考えるのかを知りたいと思いました。そのことがキッカケで心理学的な考え方に興味を持つようになりました。

思春期の頃、通っていた高校でアレキサンダー・テクニックを教わりました。とても興味深いと思いました。大学進学直後くらいから、アレキサンダー・テクニックのセッションを何度も受けました。姿勢がとても良くなり、自己の感覚も研ぎ澄まされました。とにかくユニークでした。

自分にとって意味深かったことは、母がよく私に「姿勢を良くしなきゃだめよ、ちゃんとまっすぐ立ちなさい」と言っていたんですが、やり方がわからなかったんです。アレキサンダー・テクニックで気に入ったのは、どうやるのか知らなかったことを体験することができたことです。それがとても有意義な体験だったので、私は知識があったり、やろうと思うだけでは不十分なんだと気づきました。「あることをやりたい、でもできない。だったら自分には何ができるのか?」ということです。

アレクサンダー・テクニックの教え方は、間違った動きを止めるように先生が手助けをしてくれるというもので、それによって自然な動きが可能になります。これは実は道教的なアプローチです。数年後には、アジアの哲学である道教にもっと興味を持つようになり、そして風水です。

子供の頃は元気いっぱいで、好奇心に溢れていましたね。ドキュメンタリーなどを見るのが好きで、本も沢山読みました。『ナルニア国物語』は大好きでした。そういった別の世界を想像したり、SF小説も好きでしたね。まぁ、すべて普通の子供が考えるようなことですね。

テンプル――
大学では何を専攻したのですか?

マーク――
専攻は英文学で副専攻が音楽でした。クラシックです。実は学校が大嫌いでした。当時は勉強があまり楽しくなかったんです、もし今、学校に戻れるならもちろん勉強しますけれど。今、自分が知っている知識があれば、別の科目を勉強するでしょう。もっと哲学を勉強すると思います。哲学は少ししか受講しませんでした。心理学は一度も受講しませんでしたが、きっと興味を持ったと思います。こういう科目の存在を知らなかったのです。

高校より上の教育システムは、生徒は将来どんな仕事に就くのかということを先に考えさせられて、私たちが学べる多くの興味深いことについて探る機会を与えてくれないと感じています。高校生の時に、好きか嫌いかの質問に答えて適正職業を診断されましたが、私が向いてると言われたのはウェイターか軍人というような馬鹿げた結果でした。

テンプル――
え~!?(笑)

マーク――
母はその結果を、全くとんでもないと言いました。母は私が弁護士に向いていると思っていました。それは多分当たっていると思います。

スクールカウンセラーが「科学をやっておけば、全般的で良い経歴になりますよ」なんて馬鹿なことを言ったので、私は最初、科学を専攻したんです。今ではすべての人が哲学か心理学を勉強しておけば、良い経歴になると思っています。なぜなら人がどのように考えるのか、他人との接し方、自分自身についての考え方を知る事になりますし、哲学を学べば、人生をもっと自然に見る方法を知ることになるからです。ですから、これらの科目を当時勉強できなかったことを後悔しています。

最初に科学を勉強して、それがいかにつまらないものかに気づきました。子供の頃、ずっとレオナルド・ダ・ヴィンチが好きでしたから「すごい、これが科学か! すごく面白そうだな」と思っていて、高校の科学の成績も良かったので、モントリオールにあるサイエンス・カレッジに行きました。カナダでは高校の後、大学に入る前にカレッジというレベルがあるんです。でも「どうやったら科学をこんなにつまらなくできるんだ?」と思いました。最初の日に「うわぁ、これは退屈だ。科学はもっと面白いはずなのに、何をしたんだ?」と思って、変更しました。代わりにもっと芸術的な科目、言語学的な科目を勉強することにしたんです。

テンプル――
ここまでマークの生い立ちのお話を伺いましたが、他に何か付け加えたいことはありますか?

マーク――
ひとつには、22才の時に日本に来たことが、私に大きな影響を与えたということがあります。それまで私はずっと家族の元で暮らしていました。私にとって地球の裏側にある、看板の字が全く読めない国に引っ越すことは、全く驚くべき経験でした。私は日本の古いものと新しいものの融合に強く興味を持ちました。例えば1992年当時、世界中の人が抱く日本のイメージは、最高のビデオ・レコーダーやウォークマン、ディスクマンなどを作る国でしたが、郵便局に行くとそろばんを使っている。銀行のATMは夜7時に閉まってしまう。それで私は、「ここは自分がイメージしていたハイテクな世界では無いんだな」と思いました。けれど渋谷に行けば、巨大なスクリーンにシンプソンズの広告が映っていたり・・・。日本に住んで、古いものと新しいものが微妙な関係を築いているのを目にするのは、興味深い経験でした。

日本は、古い世代と、自由を求めて昔ながらの厳しさから逃れようとする若い世代の間に、困難があると思います。残念ながらそのために、伝統的な日本の文化に存在する素晴らしい美的感覚が失われつつあると感じています。

日本を観察することで受けた影響の大きさに、日本を離れるまで気づきませんでした。家の中を見ると、様々な日本人特有の問題がありますが、それでも常にきちんと、正しく行われるやり方というのがありました。例えば、家の前の空間には、どこに木を植えて、枝がどう絡まっていると良い感じになるのか、ということを大抵誰もが知っているといった具合です。そこにはある種の神聖さが感じられました。

明治神宮からも本当に強い影響を受けています。そこは東京の人工的な環境から逃げる場所でもありましたので、日曜日には、ただ明治神宮に行って、自然な音や自然な空間、強いスピリチュアルなエネルギーの中で数時間を過ごしました。当時はよくわかっていませんでしたが、確かに何かを感じていました。

テンプル――
現時点では、テンプルのお客さんを中心に、ということになりますが、なぜ今、マークが伝える風水がこんなに日本で必要とされ、受け入れられていると思われますか?

マーク――
世界的な理由と、日本人特有の理由があると思います。

まず2001年9月11日の事件の後、人々は、未来に何が起こるかわからない、外の世界で何が起こるのか予測することはできないと気づきました。人生が予測不可能になったことで、かえって自分が帰ることのできる場所、自分が心地よいと感じる空間やくつろいだりできる「家」を持つことがとても重要になりました。興味深いことに、9・11テロの後、実際に北米の不動産の値段が上がったんです。なぜなら家にいることの大切さ、心地良い自分のスペースを持つことが、本当に大切になったからです。

日本においては、地震やある種の不安定な状態があって、皆、自ら選択しているという感覚、調和やバランス感覚を持つ方法、安心できる場所を求めているからだと思います。

日本では、働く場所に合わせて、態度を変えなければいけなかったり、仕事や、会社や、周囲の人々に応じて適切に振る舞わなければならないといった社会的な制約や役割が多いため、居心地の良い家を持つことによって、人々は「自分のスペースでは何をしても良いのだ」と感じることができます。

このことはとても重要だと思います、これは世界共通です。地球上のすべての人がこの感覚を必要とし、求めていると思います。ですが日本人は、先ほど言ったことと関係がありますが、過去と現在の衝突があると思います。日本では伝統が非常に強く深いため、人々は「これが正しいやり方で、このように行わなければならない」と、決まりきった儒教的なアプローチをとります。これは実は自然に任せるという道教的な法則、すなわち風水の法則に反しています。

風水の考え方というのはとても自然であるが故に、深い部分に語りかけるので、どんな文化を持つ人でも「これは私が求めるものだ」と見分けられると思います。

すべての人が安定を求めている、すべての人がバランスを求めている、すべての人がある程度の平和を求めている。それから自主性や個性も求めている。コントロールと言ってしまうと違う意味になってしまうのですが、他にうまく言い表せる言葉がありません。私たちはもちろんすべてをコントロールすることができますが、何が起こるのか知らないし、何かが変わるかもしれない…。でも、人は最低限、家の中のことは自分で選ぶことができるんです。日々の生活の中では選べないことが多いので、「選ぶ」必要があるのだと思います。

テンプル――
マークが教えてくれる風水は、従来の風水と違って、家の間取りや方位、周りの環境にあまりとらわれず、自分が置いた家具や色、配置が自分の人生に繋がっている、というところが面白いと思います。

マーク――
まず、私の(中国人の)先生との経験をお話しします。

私はエネルギーに注意を払っていると思っていましたが、それは物理的なエネルギーではありませんでした。方位で見る風水では、自分が「どの方位を向いているか」にも注意を払っていました。物理的に、どの方位を向いているのかも重要だったんです。

先生に師事している時やその後気づいたのは、この矛盾に気がついたのは私だけではなかったということです。実際に1960年代の風水コンサルタントで「私たちは方位磁石を使った風水を行うのを止めなければならない。なぜなら、意味をなさないからだ」と言った人がいました。

多分、5千年くらい前から最近までは、方位磁石を使うことに意味があったでしょう。しかし現在、私たちは電気を使っています。方位磁石による風水が始まった頃の中国には無かったものです。ラジオやテレビの電波、宇宙には衛星があって、携帯電話の信号や、目に見えない電磁波の情報が溢れています。

このように、非常に多くのエネルギーレベルでの干渉が起きていると、風水で使うようなエネルギー力学を変えてしまいます。私は方位磁石で試したことがあるんですが、家の中を磁石を持って歩き回ると、磁石の針が様々な方向に振れるのがわかります。ステレオの近くやコンピューターの近くなど、他にも色々な機器の周り、それから作動している変圧器の近くなど、これらすべてが方位磁石の向きを変えてしまいます。

では、こんなにもコントロールできないことがあるなかで、私たちがコントロールできるものは何でしょうか? 

私たちはこういったエネルギーに影響されてはいるけれども、物理的に冷静になるとか、自然な人付き合いができる、あるいは神経が安らいだ状態でいられる、というのは、例えば、部屋のドアに背を向けるのではなく、ドアがちゃんと見える位置に座ることで得られます。これだけのことで、心の安らぎが得られ、それによって肉体も良い状態になるのです。

こうすることによって、物理的レベルでは感知できない線上に自分を合わせることになります。では、もしあなたが緊張がほぐれないとして「あぁ、今は北東の方角を向いたから、楽になった」と感じるでしょうか。楽になるかもしれません、でもならないかもしれません。ですが、ドアが見える位置に座り、部屋の全空間が見渡せたなら、確実にあなたは気分が良くなるとわかっています。なぜなら支えられている感じがし、論理的に自分の背後からは誰も来ない、そして何の影響も受けることが無いとわかっているからです。

背後から襲われる気配は無く、部屋全体が見渡せる状態です。私は何度も言っていますが、成功している会社の社長さんで、ドアに背を向けて座っている人はいません。

風水業界では有名なその中国人の先生のワークショップを受けた時の話ですが、彼女はクラスで斜め45度を向いていました。生徒に対して45度の方角が、彼女にとって良い方位で、残りの45度は良くない方位だったからです。クラスの半分は無視された感じがしたうえ、彼女は正面に向いていませんでした。ただ単に、全員の方を向いていなかったからだけではなく、全員に対しアップフロント(*正面という意と率直という意味がある)ではなかったのです。

私は「これは面白いな。先生はもっと成功したいと思って斜めを向いているのに、実はうまくいっていない。だいいち、見た目が変だ」と感じました。先生は何人もの生徒を切り捨てていました。そのワークショップのエネルギーはとても悪いものになっていました。それで私は「方位だけではないんだ」と気づき始めました。今は、完全にそう思っています。

自分が家を基礎から建てるなら、もちろん方位を使って設計することについては神秘的な理由があるに違いないと思います。すべてを無視するべきだ、ということではありません。しかしながら私たちは文化的に、物理的なもの、論理的なもの、肉体的に育むものの多くを無視する傾向があります。自分らしく生きられるよう、肉体や神経がきちんと保たれるようなデザインや配置について、よりスピリチュアルな見方をしなければなりません。

私たちは何かを見たとき、脳を中心にし、次に他の感覚から得られる情報に移りますが、実際に何が目に入って来るのかに注意を向ける必要があると思います。

伝統的な風水の実践家は、私がやっているものは風水じゃない、と言うかもしれません。私にとって定義は関係無いと言えます。もし私のやっている様式に他の名称があったなら、それを使うでしょう。もし風水とは何か、そして風水が何に由来しているのかが書かれた最初の風水の書物を読めば、私のやっていることは的確であることがわかると思います。というより、より的確で、エネルギーの動きに近く、当時の人々が行っていた本質に近いものです。

現在、伝統的なやり方と言われているものは、ただ5千年前にやっていたことをそのままやっているだけです。でも私たちは5千年前ではなく、今に生きています。今に生きているのであれば、5千年前のやり方そのままで、どうやって新しいエネルギーや新しい機会を人生に引き寄せられるのでしょうか? 5千年前のエネルギーに基づきながらも現代に合わせたやり方をするのではなく。

テンプル――
方位に従って家を建てたお宅に伺ったとき、コンテンポラリー風水のバグアマップに照らし合わせると「知」のエリアの部屋が乱雑になっていました。その人の話はどうも内容がちぐはぐなことが何度かあったので、なるほど、この方の「知」は混乱をしていたのかと納得したことがあります。

マーク――
ご存知のように、風水で多くのことが解釈できてしまうことで起きる問題は、私たちは物事を常に運命論で捉えてしまうことです。簡単に問題を見つけられたりしますよね? ですから、私は方位磁石のやり方は不完全な見方だと気づいたのです。

例えば、私の才能や能力ややる気などに拘わらず、間違った方位を向いているだけで私が成功できないということを意味するのでしょうか? 例えば、何が私の成功を決めるのでしょうか? 何が私が私であるための能力を決めるのでしょうか? 本当に磁気だけでしょうか? 他には何も無いのでしょうか?

家についても同じです。収納の問題というのは、それがどの場所にあったとしても「あぁ、ここに収納家具があるからこれが起こったんだ」と言うことができます。大事なポイントは、その収納家具はどんな状態なのか、そしてそれは良い収納家具なのかを見る必要がある、ということです。

それで中国人はトイレの位置に偏執するようになったのです。トイレがどの位置にあっても、良い運が流れてしまいます。人間関係のエリアにあれば、良い関係のエネルギーが流れてしまい、お金のエリアなら、お金が流れてしまいます。でも、それなら、トイレをとても居心地の良い空間にしてエネルギーを整えてしまえば良いのではないでしょうか? そうすれば清潔で気持ちよく、楽しく感じられるので、それがどのエリアにあっても良いエネルギーをもたらします。「あぁ、ここに問題がある、それはトイレがあるからだ」と言う代わりにです。トイレはどこかになければ困ります、皆トイレは必要です。もしトイレ無しで暮らしたいのであれば、頑張って! でも楽しくはないでしょうね。

中国人の風水の先生が「トイレに風水の装飾をしてはいけません、そうするとその場のエネルギーが拡大されてしまうからです」と言っていましたが、私はそれはまったくのナンセンスだと思います。だってトイレは必要なのですから、その部屋をもっと居心地の良いものにしたらどうですか? そうすればその部屋に居る時に、良い気持ちになります。私が言いたいのは、人生のもっと多くの時間を気持ちよく過ごしたらどうですか、ということです。自分の居る場所を楽しんでは? 物の見方がまったくナンセンスなんです。

ちなみにその先生は、ご主人と別々の寝室で寝ていました。彼にとって良い方位が彼女の方位と違ったからです。これも「成功のため」です。これについて私は「成功の定義って何ですか?」と尋ねるでしょう。お金のことだけでしょうか? 成功というのは温かい人間関係を築くこととは関係無いのでしょうか? そして誰かと親密になれるということも? そうすると成功の定義というものがとても興味深いものになり、私たちは、何が自分に幸福をもたらすのかに基づいて行動をとっていることがわかるようになります。

「トイレに居る時も幸せ、仕事をする時も幸せ、パートナーがいびきをかいても幸せに」ということです。ただ幸せに生きなさいと言っているのです。その先生とご主人は、バランスのとれた人生を生きるという観点からは外れていたと言えます。ルールを守ろうとしてゆがんだ人生を歩むこともできますが、「バランスのとれた風水」を行うのが目的ではなく、「バランスのとれた人生をもたらす手助け」をするべきなのです。

テンプル――
少し話を変えますが、欧米の家と日本の家の両方を見ていて、その違いや日本人の傾向、「こうすれば良いのにな」と思うことがあれば教えてください。

マーク――
伝統的な日本家屋というのは、結構広々としています。とても良くデザインされていて、深い押し入れや何も無い空間があります。ですから多くの伝統的な家には家具も少なく、とても風通しの良い広々とした気持ち良さがあります。

残念なことに、現代的な生活をする多くの人々は、そういった広々とした空間に住んでいません。特に東京のような都会では、生活空間がとても狭くなってしまって、人々は人生をフルに楽しむために、その空間に入りきらない程の物を抱えて生活しています。ベッドが部屋に入りきらなかったり、家具がはみ出ていたり・・・。

日本は消費中心の社会ですよね。そうすると、とても小さい空間に住んでいる限り、欲しい物はすべて買えない、好きな物はすべて持ち続けるわけにはいかないことになります。多くの人にとっての課題は「欲しい物を持ちつつ、物理的に広々と気持ちの良い環境を手に入れるにはどうすれば良いのか?」というものです。大抵の場合、空間を選ぶのではなく、物を持つ方を選んでいます。北米では日本や東京の東洋的なデザインというのをスッキリした感じで表すので、これほどまでに物でいっぱいだとは想像していませんでした。

日本人はなぜ物を抱え込む傾向があるのか。そこには多くの理由があると思います。ひとつにはその消費中心の社会というものがあり、もうひとつには国民性とも言える、過去や伝統の豊かさを愛しむ気持ちがあって、それが過去に起こった出来事を懐かしむことに繋がっています。

よく「私の大切な思い出」とか「私の幸せな思い出」と言っているのを耳にしますが、人々は過去の幸せな思い出に浸り続けようと物や写真にしがみついているので、結果として「今」や「未来」を楽しめず、新しい幸せな思い出が作れずにいます。そしてその「幸せな思い出」が「幸せな今」に取り代わってしまうということがあります。

今の日本人にとっての大きな課題の1つは「どうやって過去とうまく付き合うのか」であり、過去を愛しみながらも、現在や未来にエキサイティングで面白い時間を過ごすことです。これは短期的には自分の人生の中の出来事について、文化的、伝統的には「どれくらい、そしてどのように伝統と過去を尊重するのか」という課題と関わっています。

決めてください。自分は伝統のすべてを守りたくないかもしれないし、伝統の中には、今の自分のライフスタイルに合わないものもあるかもしれない、と気づいてください。

日本の伝統のひとつに、あまり語られない事実ですが、両親の寝室で子供が一緒に寝ている、というのがあります。結構大きくなるまでです。子供が10才、またはそれ以上になるまで親と寝ているのが見られる国は日本だけです。G8のような世界的な影響力を持つ先進国の中で、添い寝が文化の一部になっている国は他にありません。

歴史的に、人々がとても寒い、すきま風の吹く小さな家に住んでいた頃には意味がありました。そんな環境では、全員が揃って寝る意味がありました。現代的な家では、これは意味がありません。過去にやっていたから今もやっているのであれば、「これは私の役に立っているかどうか」と常に考えると良いと思います。「私はただ、これが今までのやり方だから、この伝統を守るのだろうか?」と問うのです。

一方西洋では、親がある意味、子供との絆をさほど強く感じないために、子供が小さい時から別の部屋に寝かされている、という事実もあると思います。このことによるネガティブな結果も存在するかもしれません。私は西洋的なやり方をそのまま、誰もが目指すべきものだとは言いません。ただ、どんな時も、私たちは異なるやり方を知ったあとで「どんな風にスタイルを組み合わせられるだろう?」と考えて決めるべきだと思います。二つの異なるやり方の豊かな部分を取り入れて、新しいやり方で何が得られるか、やってみてはどうでしょう?

私がこの寝室のことを考えさせられたのは、ある離婚したてのクライアントが、ボーイフレンドが欲しいと言っているのに子供を同じベッドに寝せていたからなのです。このことを論理的に考えると、誰のためにもならないことが明らかです。ボーイフレンドのためにもならないし、母親のためにもならない。もちろん子供のためにもなりません。この事実に気づかなければなりません。このクライアントは「あぁ、その通りですね。これでは、誰にとっても良い状況とは言えないですね」と気づいてくれました。

私は「あなたの文化」には問題がある、とは言いたくないので気をつけています。ただ単純に、もし何か別の結果や出来事を求めているのなら、「これは果たして私が求める結果をもたらすだろうか?」と自分がやっていることをよく見て、気づく必要があるのです。そして違っているのなら、別の選択をしなければなりません。

文化的な傾向と事実として、日本人は過去をとても敬い、歴史を強く敬うがために、疑問を抱いたり考えたりすることなく受け入れていると思います。これは時には素晴らしいものを生みますが、課題も生んでいると思います。

私は、日本のすべての人が同じ文化を共有しているところが大好きです。家に帰ると皆「ただいま」と言って、そこにいる人が「おかえりなさい」と言いますよね。これは素敵なことです。その国のすべての人が日常のある側面に対して、同じ認識を持っている。これは驚くべきだと思いますし、これは多くの国に欠けているもので、そのために他の文化では人々がばらばらになってしまっているのだと思います。

時に日本の文化においては、個人的なやり方に欠けていることが、他の結果をもたらしています。人々は自分のやり方を見つけようと思っていません。皆が「マイ・ペース」「マイ・ルール」など「マイ」あれこれ、と言葉では「自分の」とよく言うのに、多くの場合、自分のやり方で「行動する」ことはありません。人々は、「人からそうするであろうと期待されている行動」をとります。日本人は、歴史から豊かさを取り入れることができる立場にあると思います。日本人特有のユニークな世界の見方で、全体像を見ながら、他の文化から学んだことをそのままではなく、自分たちのやり方で取り入れて欲しいのです。

日本的な家に住みながら、アメリカ人のような消費主義者になるのは理にかなっていないと思います。残念なことに日本人が身につけた悪癖の多くは、アメリカ的なライフスタイルから来ています。

戦後、日本人はアメリカ文化から学び、アメリカ人のようになりたいと思ってきましたが、これはうまくいきません。私は、日本人がある意味、もっと日本人らしくなり、アメリカ人がもっとアメリカ人らしくなるのを見たいのです。アメリカ人とカナダ人がもっと日本人のようになって欲しいとも思います。日本人にも、ある意味もっとアメリカ人のようになって欲しい、それは他の文化のネガティブな側面を取り入れるのではなく、すべての文化のベストなものを取り入れて欲しいということです。

これで答えになっているでしょうか。

テンプル――
ベッドの置き方についてですが、結婚を望んでいる独身の人がシングルベッドを壁につけて置いてしまうのは良くないと言われて最初は理解できませんでした。誰かを迎え入れるために、ベッドの両側を空けておくという発想が私にはとても新鮮でした。

マーク――
これは、人々が「この配置はどんな結果をもたらすか?」ということを見る訓練を受けていないからだと思います。「もし私が求めている未来が実現するのなら、この結果はどうなるだろう?」とすべての過程を想像するのです。

ベッドの片側を壁につけている時に「じゃあここにもしもう一人寝ていたら……」と想像してみましょう。ベッドに入る時はどうするだろう? 起きてトイレに行く時はどうなるだろう? もしコンタクトレンズや眼鏡かける人だったら、サイドテーブルが無かったらそれをどこに置くだろう? これらすべてのことをよく考えるという作業は、学校では教わりませんでした。

私は風水の原理が物語っていることに加えて、数多くのトレーニングを通して、このプロセスを学びました。そこには論理があるのです。多くの人は「それは風水ではない、ただの常識だ」と言うのですが、私は良い風水というのはまさに常識だと思います。

例えば、自分の部屋の青い色がとても気に入っていたとします。でも気分が落ち込んでいたり悲しく感じたり、孤独を感じていたなら仕方ありません。楽しい気分と落ち込む色、そのどちらかを選ばなければなりません。どちらの方が大切でしょうか? 

「青色」の話になると、興味深いことに、ある人々はとても論争的というか執拗になって「私はどうしてもこの色がいいんだ、この色が好きなんだ!」と言って部屋の色を変えようとしなかったりします。反面、彼らも色がもたらしている結果は嫌なのです。それでも色の方が大切だと言い張ります。これが本当に面白いと思えるところです。自分を殺すものでもしがみついていたいのです。糖尿病を患っていても、コカコーラの味をあきらめるよりは飲み続けたいのです。何かしらの理由で。大抵の場合、そこには何かが隠されています。

「青色」の場合、大抵、その裏には解決していない感情があり、それが何なのかはっきりさせたり、理解したり、その解決法を見つけることが出来ないでいるのです。青というのは、表に出す必要がある、その感情の状態を象徴しています。そのために彼らは、その感情の苦痛と付き合っていくためには青に囲まれなければならない、と信じているのです。

「ピンクが嫌いだ」とか「暖色が嫌いだ」というのも同じです。カナダに住む人で、青色が大好きな女性を知っています。彼女は赤が嫌いです。それなのにお客さんが来ない、良い機会に恵まれない、やる気が起こらないと不平を言っています。本当に面白いのですが、赤というのは注目をもたらし、認識をもたらし、やる気をもたらします。彼女は、自分の好きなものに執着し、結果に不平を言っているのです。バランスをとろうとはせずに。まぁ、私の人生では無いし、やり続けるのは本人の自由ですが・・・。

人はよく、自分の求める結果と矛盾した「欲しい」とか「欲望」といったものに固執し続けるものなんです。残念なことにそういったものを彼らは選んでいます。

テンプル――
今回のワークショップで、息子さんが青のカーテン、青のベッドカバーというように、青だらけの部屋に暮らしていて、引きこもりになっているという方がお二人いましたね。2、3年前のワークショップにも、ご主人が青だらけの部屋で鬱になっているという方がいました。

マーク――
世界中のほとんどの人々は、色やイメージが私たちに与える心理的、生理的な影響に気づいていません。ワークショップでも話したように、広告業界というのは、ある色を使ったり、シンボルを使ったり、音を使ったりすれば、それを見ている人から好反応が得られることをよく知っています。実際、企業の売り上げが伸びるのです。

色についても同じことが言えます。私たちはただ「青は男の子でピンクは女の子だね」と考えますが、そんな風に決めるのは、いくつかの理由においてまったく馬鹿らしいことです。ひとつには、なぜ男女の表現を決まった形に制限してしまうのでしょうか。この色はこの意味、この色はこの性別というように。個人の好みに関係なくです。

すべての人が青はありふれた色だと知っています。よく言われることで、真実なのですが、青はあまりにも目立たない色なので、人は非常にリラックスして、それがだんだん深くなり、実際に動くことができなくなり、やる気や活気(スパーク)を起こす気力も持てなくなるのです。

英語で活気をスパークと言いますが、この言葉には火花という意味もあり、火に由来しています。「火」は「水」と正反対のものです。ここにはある意味、風水哲学の深い力が言葉として訳されています。とても興味深いですね。

沢山の人に知って欲しいと思うのは、寝具の色や部屋の色が、私たちがどのように感じるかに深い影響を与えているということ。このことをあらかじめ認識しておいて欲しいのです。人々は不必要に苦しんでいると思います。

ワークショップに熱心に参加してくれていた女性と話したのですが、彼女は鬱で3ヶ月入院していました。入院前、彼女は青い壁、青いシーツに青いカーテンの部屋で暮らしていたそうです。この情報がすべての人にきちんと伝われば、他の色が選べます。

その女性はなぜ3ヶ月も入院したのでしょう? そのデザインを選んだからです。無意識に、実存的にとも言えますが、彼女は霊的にその経験をしなければならなかったのかもしれません。ですが常に、これほど苦しまなくても霊的に「行くべき場所」に到達できる方法があるはずです。

「それは起こるべくして起きた」。 この言葉は精神世界とニューエイジの大嘘のひとつです。「それはこんな風に起きなければならなかった」とか「それには理由があって起こった」とも言います。すべては理由があって起こりますが、それが起こるのに、別のもっと楽しい方法で起きてもいいんです。

私は、人々が寝室やシーツの色について見直してみることを願っています。地球上にある青いシーツを沢山燃やせば、もっとエネルギーや熱が作れますね。青いシーツは誰にとっても良くないですから。

テンプル――
(笑) マークが初めて家に来た時に、鏡の位置が自分が映らない高さであることを指摘されて、さらに「これはあなたに何のメッセージを送ってると思う?」と聞かれたのでびっくりしました。その鏡は、ある風水コンサルタントに「この壁は斜めになっているから鏡を置きなさい」と言われたので、ただそこに鏡を置けばいいと思って置いていたんです。

ある風水を勉強されていた方が、玄関の左側に靴箱を置いてはいけないと習った、ということで、玄関ドアの前に靴箱を置いていました。玄関を開けると、目の前にどーんと靴箱があるので、どう考えてもエネルギーのブロックになっていました。

マークが教えてくれている風水は、私たちが何気なく置いている物が、別のメッセージを発していることに気づかされていつも驚きます。

マーク――
人生のどんな側面でも言えることですが、もし私たちがある法則に従って生きているのなら、どんな影響をその法則から受けているのかを見ていくと、とても興味深いものになると思います。つまり「この法則は私の役に立っているかどうか」です。誰かに靴箱を左側に置いてはいけないと言われ、それに従ってみたとき、自分の肉体的、生理的な反応に注意を払ってみる。感情的、精神的、霊的、そのすべてに、どんな影響を与えているのか・・・?

その影響にきちんと注意を払うようになれば、自分で選択できるようになります。それで多くの人が、私がやっている風水は「常識」だと言うのです。実践的なことを行い、物事に注意を払っているからです。正しいことだから行うのではありません。論理的で賢明(センシブル)だから行うのです。

最近、私は自分のビジネスの名前を「センス・オブ・スペース」に決めました。「センス」という言葉にはいくつかの意味がありますが、「感覚」という意味で空間(スペース)を感じることと、他には「分別」という意味で、まさに常識(コモン・センス)を意味しています。「あなたは分別がある(センシブル)」というのは論理的だという意味です。

私たちは常に外界からの情報を取り入れていますが、最後には耳を貸さなくなります。生きてゆくために、私たちは過去の経験からのネガティブな影響を無視する方法を習得しています。そこからは恩恵を受けていますが、欠点もあります。

最近、誰かと話していたことですが、日本では駅の構内に沢山のアナウンスが流れています。エスカレーターに乗る時にも、黄色い線の後ろに立って、とか、小さい子供の手を取ってとか、ベルトにつかまって、など沢山のアナウンスが流れているのに人々は無視しています。私たちは物事に注意を払うことをやめてしまうのです。しかし、影響が無くなる訳ではありません。

風水を上手く適用できるようになると、この論理や感覚、影響を意識するようになります。それは関係性のことであり、「外界と自分」ではなく「外界と自分がひとつ」なのです。宇宙は相互に影響し合い、私たちは家の中でも相互に影響し合っているのです。「それは何を語りかけているか」に注意を向けるようになってきます。

世界は常に私たちに語りかけています。でも私たちは大抵それを聞こうとしません。耳栓をしているんです。そして私たちの目の前にあるものをきちんと見ずに、自分の頭の中の考え事や他人の話を聞いているのです。

テンプル――
北枕で寝るべきか否かということがありますよね。

マーク――
そのトピックは、いつも面白いと思います。なぜかと言うと、私は50パーセントの人に「北枕で寝た方が良いですよ」と言われ、50パーセントの人に「北枕で寝てはいけませんよ」と言われたからです。
どちらかが間違っていることになりますよね。あるいは、全員が正しいのかもしれません。中国の人によると、北が開運の方位の人もいますし、そうでない人もいます。

しかし、誰にとっても、部屋のドアが見えていると、不審者が家に押し入ったり、子供が部屋に駆け込んで来るのが見えるようになります。ドアがちゃんと見える位置に寝ること、これは論理的なことです。ドアのすぐ隣に寝ていたら、誰かがドアに来るたびに、振り向いたり驚いたりしなければなりません。

特定の方位を向いて寝ると、幸運が得られないと言っているのではありません。肉体的に安定する方位で寝ているのであれば、自然に身体が休まり、神経はよりリラックスしてきます。人々は残念ながら大切なことを見落としていると思います。多くの人は、自分の信じているルールに従うことで、不必要に苦しんでいます。明らかな証拠はありませんが。

鏡についても同じことが言えます。中国人は、鏡がベッドに面した状態で寝てはいけないと言いますね。それは夜中に魂が身体から抜け出て、鏡に映った自分の姿に驚くからなのだそうです。面白い話ですよね。でも鏡に関する事実からわかることは、またもや論理的に見てみると、鏡の前に置いてあるものは、それがなんであれ、その姿はずっと鏡に映ることになり、その鏡に映り込むものの「情報」は鏡との間を行ったり来たりしています。そしてこれが大きなエネルギーの流れを生み、鏡を通してずっとやりとりが行われていることになります。

もし部屋の窓が開いていたり照明か何かがあって、その部屋のどこかの照明が鏡に映り、その部屋に動きを生み出しているとします。そうすると、その動きは神経をリラックスさせるよりは刺激となってしまいます。論理的なレベルでは、鏡はエネルギーの循環を作り出すので、安らかな眠りを促したり支えるものではありません。

「気」についてご存知であれば、起き上がったり部屋の中を動き回れば、魂が抜け出ることは関係なく、魂が入ったままの身体で起き上がっても、部屋の反対側での動きはきっとその人を驚かしますし、そこに何かいると思うかもしれません。

子供が夜中に「部屋に何かがいる」と言って泣いたり起きたりするのは、たいてい自分のことです。子供は敏感です。部屋に鏡があると、部屋の中をエネルギーが動き廻ることになります。空中にはホコリだって舞っていますよね。そういったものが映っていたり、常夜灯が動きや反射を作り出しているのです。子供部屋にはおもちゃがあって、人形と遊んでいる時にひとりでに動くことを想像しているので、映画の『トイ・ストーリー』のように子供の頭の中で動き始めます。そして部屋で何かが動いたと言います。

おとぎ話や迷信などの中には論理的に説明できるものがあります。そういった要素が中国人が解釈する風水に用いられていますが、風水というのはもっと論理的なものだと思います。事実もあれば、事実でないものもあります。

テンプル――
今までのコンサルティングの中で、何か印象に残るエピソードがあれば教えていただけますか?

マーク――
毎回ですよ(笑)、毎回のセッションに驚かされます。いつも理想の状態は何か? この人たちに何が起きているのか? ということを理解したり比べたりするために、様々な風水の原理がテンプレートのように使えることを目の当たりにしています。そうやって、その人のストーリーを解読したり、読み取っていくと、その人にとっての解決法が見つかり始めます。

私が「こうすべきですよ」と決めるのではありません。そのようなカウンセリングのやり方は好きではありません。その人が何をすればうまくいくかを見つけることが好きなので、五つくらいの提案をして、大体そのうちのひとつが強い共感を得られます。

風水に効果があるのはわかっていますが、私は毎回クライアントの皆さんの話に驚いています。頑張って模様替えをしたとか、片付けをしたとか、気に入った絵画や写真やオブジェを選んだ、あるいは見つけたとか、提案どおりにやったら突然新しいチャンスに恵まれた、と言われる度に喜んでいます。印象的だったエピソードというのは本当に沢山あります。

そのうちのひとつに、ワークショップで話したエピソードがあります。その方は、ベッドに対する家具の位置から、健康状態に問題があることが見て取れました。実際にその人は脚に何か問題があって、どの医者に診てもらっても原因がわからなかったのです。それが家具をひとつ動かしただけで脚の状態がよくなりました。何年経ってもずっと良いそうです。

私が好んで紹介している『一人の手がもう一人の手に触れようと伸ばしている』有名な絵ですが、就職活動中の人が、部屋や家の「援助」のエリアに飾ると、急に仕事の面接に通ったなどよく聞きます。あまりの効果に驚いています。

とはいえ、すべての人が同じ経験をするとは約束できません。1人ひとりの体験は個人的なもので、何を優先しているのか、風水の取り組み方など、様々な要因がありますから。

ですがもちろん、私は皆さんの体験談を聞くのが大好きです。

もう1つお話したいエピソードとして、ある夫婦が何年も妊娠を望んでいました。最初のセッションの後には、もう自分たちの人生にとても満足して、特に何かが変わった訳ではないのですが、満足していました。二回目のセッションの数ヶ月後、そのご夫婦から双子を授かったというメールをもらいました。姉は、料金を倍にしてもらえばって言ってました(笑)。 そのお父さんに最近会いましたが、みんな健康でとても幸せだそうです。「もう何の不満も無いよ」と言っていました。本当にすごいと思います。まぁ、人を妊娠させるのが自分の仕事だって言ったら奇妙ですが(笑)。

宣伝したい訳ではありませんが、明日も、友人と私が「風水ハズバンド」と呼んでいる、友人の旦那さんに会う予定です。理由はこうです。

以前、その友人はシングルベッドに寝ていました。でも、私がアドバイスしたことを実行しました。同時に彼女は、自分の生きたいように生きて……。ここがポイントです。ただ彼女は家にいて、誰かが来るのを待っていたわけではありません。時には家に来る郵便配達の人が素敵だったり、宅配便の人が素敵だったり独身だった、ということが起こるかもしれませんが、そんな事が起きるチャンスは滅多になく、限られていますよね。

でも彼女は変化を起こしたいという決意を持って、壁にぴったりつけていたシングルベッドを少し動かし、絵を飾り、私のアドバイスを実行しました。そして、彼女は外に出かけて人生を楽しみました。休暇でキューバに行き、ある男性と出会い恋に落ちました。彼は日本に引っ越し、日本語を勉強しています。日本で仕事もしていて、二人ともすごく愛し合っているんです。

ですから、「わぁ、自分の言ったことや、行ったことが彼らの役にたって、変化が起きたんだなぁ」と思うと、本当にワクワクします。もちろん、変化を起こしたのは彼ら自身です。私は彼らが生きていく中で、変化を起こす手伝いをしただけです。

私が「やっている」のではなく、私はファシリテーター(世話人)だと思っています。彼らが簡単に行えるよう手助けをするわけです。私が手伝わなくてもきっと彼女は何らかの方法で結婚相手を見つけたはずです。とても素敵な人ですから。ですが、彼女にとって、それが簡単になったのは嬉しいことです。

テンプル――
私はマークから風水を学んで、家は、その人の心と人生を映す映し鏡だな、と感じるようになりました。マークは引っ越すたびに我が家に来ていますから、マークは私より私のことを知っているかもしれませんね?

マーク――
すべてがわかる訳ではありませんよ。私はフェイシャル・アナリシスも使っていますので、実際以上に私がわかっているように感じられるのだと思います。体験の一部はわかりますが、すべてはわかりません。私に皆さんが今まで経験してきた「すべて」がわかる訳ないでしょう? 皆さんは私のやることを不思議に思って、私の頭の中に大きなテレビの画面があって、その人の全人生のDVDコレクションを見ているのを想像しているんじゃないでしょうか。そんなことはありませんが、何らかの影響やパターンはわかります。それはとても興味深いです。

コンサルテーションというものには一定の敬意と思いやりが要求されます。なぜなら、すべての人が、その人生で、大変な時期や難しい時を経験するものだと思うからです。時には私が家に来たら「良い悪いを判断されるのではないか」「ひどい家に住んでるなぁと思われるのではないか」と心配されると思います。実際には、私にそんな判断をする資格は無いんですよ。すべての人に困難な時期があって、すべての人が家に問題を抱えています。

例えば、最近、私はクライアントの一人に言ったのですが、実は私は掃除が嫌いです。私は掃除をするよう自分を仕向ける、または誰かにお金を払って自分のアパートを掃除してもらう必要があります。掃除が好きではありませんから。でも掃除すれば気持ちよくなるし、色々なことが変化することを知っています。

私は誰のことも、その人が家をどうしているか、ということや、どんな家に住んでいるかなどと判断する資格は無いんです。なぜならある人にとって良いものが別の人にも良いとは限らないからです。ですが私は、すべての人に愛する家に住んでもらいたいと願っています。本当に居心地が良く感じられ、どこであっても本当にくつろげれば、人々は最善の、理想の人生が送れるでしょう。

テンプル――
今、年に2~3回の割合で来日していますが、日本でのワークショップやコンサル、アドバンスクラスなど、これから何か新しいプランはありますか?

マーク――
もっと教えることがしたいと思っています。なぜなら、教えれば教えるほど、風水の原理について明確な理解が得られるとわかったからです。毎回ワークショップをしていますが、いつも何か新しい表現方法を発見しています。先週のワークショップでも、新しい表現方法を思いつきました。今は来日する度にアドバンスクラスを教えていますが、いつも新しい洞察などがあります。私は教えることを通してベストな仕事ができるんです。コンサルよりも、です。

といっても、コンサルからも、新しい交流の仕方や新しい問題、新しい解決法を見つけられますので、続ける必要があります。

本を書くことが間違いなく次のステップのひとつです。1冊はほぼ仕上がった状態のものがあって、ひとつの風水のテーマを1年の各月にあてたもので、電子書籍になる予定です。

新しいウェブサイトを作っていて、サイトに合わせ、新しいバグアマップも作っています。iPadのアプリケーションか何かを作る可能性もあります。考えているのは、iPad用バグアマップのアプリケーションのような、インタラクティブな風水です。これは部分的に新しい方向性になると思いますから、まだはっきりとはわかりません。これはかなり風水的ですが、次に何が起こるかわからない状態です。

確実に言えることは、私の日本での経験は、私にとって最もポジティブなもののひとつです。光田さんと一緒に働くことは、お互いに楽で、仕事のやり方に同じような考えを持っているので、間違いなくお互いの利益になっていると思います。

テンプルのお客さんは、本当に興味を持って下さっているし、受容力もあり、私がベストな仕事をする助けになっています。私はなるべく沢山の人と仕事をし、沢山の人を教えたいと思っています。そうすれば、もっと多くの人が風水の原理を受け入れるようになり、バランスがとれ、そのエネルギーが波紋のように広がり、より多くの人が幸せになり、より良い人生を生きるようになって、その人が出会うすべての人の助けになると思います。

例えば、あなたが風水を知っていると聞いて、誰かが「どうして寝室が人に幸運をもたらすの?」「どうして寝室に風水をすると人生が良くなるの?」と聞いたとします。論理的なレベルでは、人間は良く眠ってゆっくり休めば、次の日の気分が良くなります。1日の気分が良ければ、駅で誰かがぶつかって来ても口論にはなりませんし、車の運転中に割り込まれても怒らないかもしれません。

職場で誰かにいらいらさせられても、思いやりが持てるかもしれません。そうすると急に周りの人もあなたの見方が変わって、「あぁ、この人は本当にいい人だな」と言うかもしれません。あなたのことをもっとポジティブに見てくれるようになり、突然、昇進の候補に上げられるかもしれません。「彼はあの時、私に本当に良くしてくれたんですよ」とか「私はこの人が、いかに穏やかで温かい人かに気づいたんですよ」と言われるかもしれません。

単に良く眠れることだけでも、これだけの論理的な反響があるんです。私たちはこういったことを全く考慮していません。しかし、誰もが自分の人生に満足することで、その影響は自分だけでなくて出会うすべての人、そしてその人達が次に出会うすべての人たちに影響していると思うのです。

より多くの人が、「自分が生きたい人生を生きることができる」お手伝いができれば…。その人にとってのベストの人生を生きる・・・という方が的確かもしれません、必ずしも思い描いている人生がそうだとは限りませんから…。ともかくも、そのお手伝いができれば、私はもっと幸せになるでしょう。そして充実して満たされるでしょう。

テンプル――
本の出版は皆さん待ってると思いますよ。DVDも良いですよね。

マーク――
DVDはとても良いアイデアです。本に関しては、私も風水の多くを本から学びましたから。私の文章の書き方は直接的で、他の多くの本とは異なると思います。何冊かとても良い本が出版されています。ほとんどの本はあまり良くありませんが、何冊かはとても素晴らしいです。

DVDのように、風水の原理について誰かが話しているのを見ることで得られる情報というのは、異なるレベルで理解されると思います。DVDはとても役に立つツールです。これは未来に続く新しいプロジェクトになりそうですね。

今日は貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。2013年6月
インタビュー、聞き取り:岩隈幸恵
インタビュー、構成:光田菜央子

Art of Space Academy

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