留保。

感覚は、間違っている。
私の言葉は、私が言葉にしてほしいと思っていることをしているだろうか。
反応は大抵の場合、間違っている。

留保して、方向付けについて考え、行動する。
そうして得た、これくらいだろうか?という感覚は本当に正しいと言えるだろうか。
それは大抵の場合、偏っている。

敢えてジャッジをくださないということは、ジャッジされ、ジャッジしてきた世界観にとっては難しいことだ。

ゆえに、他者が居なければ、成り立たぬ。

自然であるということは重要なことに思えるが、
自分が自然である、と思っていることが果たして本当に自然であるか、ということはよくよく調べてみなければならない。

読んでいただきありがとうございます。血が沸騰していますので、本当にありがとうございます。