青春と呼ばないで

今回、ロフトブックスさんから出た『水玉自伝〜アーバンギャルド・クロニクル』の読書感想文コンクールということで、この本を読んで感じたことを一言で表すならば、、と上手いことまとめてみようかなと無い頭を必死に壁に打ち付けてはみたが、そんなことは到底無理だった。

自分自身、恋愛は別として基本的な性格はかなりドライなほうだと思っているのだが、ことアーバンギャルドに関してはどうしても熱情が先走ってしまう。冷静になれない。ムキになってしまう。まあKEKKONするほどの相手なんだからそれは望ましいことなのかもしれないが、とにかく一言で評論家のようにこの本をまとめあげることなど自分には不可能だと、あらためて気づかされた。

僕は現時点で誰の感想文も読んでいないが、おそらくnoteは過去に例を見ないほどの自分語りのオンパレード、自己顕示欲と承認欲求の地獄絵図、アングラサブカルの魑魅魍魎たちが跋扈する世界となっていることだろう。恐ろしいことだ。

さて、ここまで読んで、看板に偽りありと眉をひそめる読者諸氏、まだその判断は早計である。ここから僕もご多分にもれず、世にも恐ろしくありふれた、めくるめく自分語りの世界を展開していってしまうからだ。

僕がアーバンギャルドを知ったきっかけは、正確な記憶ではないが2010年の10月くらいだったと思う。もともとTwitterでフォローしていたドール関係のつながりのフォロワーさんが、アーバン公式がツイートしたYouTubeの『傷だらけのマリア』PVをリツイートしているのを見たことである。(と、これを書いている最中にシャッフル再生が傷マリを流し始めて鳥肌が立つ)

大変便利なことにこの本には巻末にディスコグラフィーがあるので見させていただいたところ、傷マリが収録された3rdアルバム『少女の証明』が発売されたのが2010年10月8日とのことなので、ちょうどそのプロモーションの時期だったんだろう。どんなもんなんかいな、と気楽な気持ちでYouTubeの門を叩くと、モンド映画のようなチープさとおどろおどろしさ、そして歌詞に込められた作者の強い思想性、そんなものが自分の趣向とぴったりフィットするのを感じ、叩きのめされた。

それから約10年、僕はアーバンの魅力に取りつかれ現在に至るわけなので、そのきっかけを作ってくださった、今はもうきっとアーバンの現場には来ていないそのフォロワーさんには非常に感謝し続けている。もし御存命ならば、菓子折りのひとつも持ってご挨拶に伺わなければならない。

そんな10年もアーバンを聴き、現場に通い、応援してきているような、めんどくさ100%、こじらせこの上ない人間がこの本を読んで、どのようなショックを受けたか。たしかに、浜崎さんや松永さんから語られた谷地村さんや鍵山さんの脱退の経緯について、あるいは松永さんの童貞喪失に至るくだり、おおくぼさんが加入前にアーバンをどのような目で見ていたか、元マネージャーさんがどういう考えでお辞めになったのか、などなど、今まであまり聞いたことがない話が多かったのは事実だったが、実は僕はまったくショックを受けてなくて。

ショックというより、今まで自分が知り得なかったあんなことやこんなことが聞けて幸せだ、自分はアーバンギャルドというバンドについて、また深く理解することができたんだという喜びのほうが勝ってしまったのが、ほんとに正直なところだった。

序列をつけるわけではないが、浜崎さんのパートが一番率直で、忖度のない内容だと思った。松永さんは、「サブカルとアーバンと私」みたいな、部屋とYシャツが欲しくなるような評論色の強い内容だったし、おおくぼさんはあくまでも加入してからの部分で言うとまだそこまで年月を経ていないので、浜崎さんが一番辛かった部分、悔しかった部分などを、冷静に率直に、気を配りながらもきちんと筋を通して話している印象を受けた。

ただ、やっぱり僕も色々言いたくなってしまう2012年3月のAXの乱入事件については、松永さんももちろん不審者と直接相対した当事者として、憤り極まりない感情、スタッフへの怒りなども含めて相当の熱量だった。浜崎さんも言っていたが、事務所ともめてその後で自分たちで交通手段を手配しなければならなくなったというのは驚きだった。どんな話し合いがもたれたのかまではわからないが、それだけのことだったのに随分大人げない対応ではあったと思う。

正直言うと、僕もあの事件の時、最初のうちは演出かなと思っていた。開演ギリギリで会場について、後ろのほうで見ていたから気付きにくいのもあった。後からその不審者の近くにいた知り合いと話したら、開演前からからトンカチみたいなのを持っていて怖かったと言っていた。そんな状況で普通に会場にいられるのがすごいなという感じだけど、そいつらのせいで松永さんの朗読も中止になってしまったし、本当にとんでもないことをしてくれたという気持ちしかない。今でもそれは変わらない。アングラサブカルの良くない面がもろに出た事件だったと思う。

今回、自伝を読んでいて、メンバーが幼少期からアーバンに加入するまでの間に何をしていたかもすごく興味深く読んだ。その頃、自分はこんなことをしていたなあと懐かしくなることも多かった。

特に、おおくぼさんはよく「20代はなかった」みたいな話をしているような気がするが、自伝を読ませていただいた限り、今につながる貴重な活動をたくさんしていると思った。文体は独特だが、こだわりの感じられる文章で僕は大好きだ。年齢が同じなのに自分の20代のなんと中身のないことだろうかと絶望しながら読んだ。

自分自身も中学生ぐらいからサブカルに足を踏み入れ始めた人間なので、一番ああそうそう!と思いながら読めたのは、やはり松永さんのパートだった。出てくる作品名、当時流行りのサブカルスター、卑屈な10代から20代を過ごしながら、そういったものたちにどれだけ救われたことだろうと、松永さんの肉体に憑依したかの如く共感していた。ただ、僕は宮台真司を読んでも、童貞を捨てなければ、街へ出なければ、とは思えない側だった。せいぜい、深夜の池袋文芸坐に繰り出して毎週土曜日にオールナイト上映を観たり、親父のおさがりの一眼レフを手に夜な夜な猫の写真とか路地の写真とかを撮って回り、しかもモノクロのフィルムを使うような、それはそれである意味イキった奴だった。自分自身の体験の重要性から目を逸らしてしまった臆病者だった。だから、松永さんのパートを読んで、アーバンギャルド結成から現在に至るまで、自分が歩んできた道がちゃんとつながっているのはすごいなと思った。世代も近いから、なおさら僕にはそれがうらやましくも思えた。

松永さんが2018年の中野サンプラザで出来たことをすべてのライブハウスで求めようとする、という浜崎さんの殺意に満ちた話には想像できすぎて笑ってしまったが、あの時、『あたしフィクション』の前に朗読で語られた松永さんの言葉が自分自身にも、誰に対しても同じように当てはまる、とてもいい言葉だなと思ったので、最後に引用させていただく。

「振り返った先から過去になり、涙は塩に変わり、ロトの妻だって塩になり、振り返った先から青春になるから、君はまだ、振り返るな。振り返った先からプリントされるから、君はまだ、プリントされませんように」

アーバンギャルドは現在進行形。バンドが擬人化したら、ずっとこう言い続けるんじゃないだろうか。青春と呼ばないで、と。アーバンギャルドは青春じゃありません。それが、バンドが生き続けるために必要だし、僕が生き続けるためにも必要なことなんだと思う。

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記憶してる限り、一番最初に描いたアーバンの絵です。おまけ。

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