『ワンピース心中』10周年に寄せて
※本稿はしろぴさん発案のワンピース心中10周年企画に寄稿させていただいた文章に若干の加筆修正をしたものです。
この度、アーバンギャルドの名曲であり代表曲(Apple Musicにおいて長い間、不動のトップソングとなっていることからこう断言してもよいだろう)でもある『ワンピース心中』(アルバム『鬱くしい国』収録)が世に出てから10周年を迎える今年、しろぴさんが発案した、一曲の周年記念で文章をまとめてメンバーに贈呈するという素敵な企画にとても感銘を受けたので、私も図々しく文章を寄せさせていただくことにした。天馬さんはよく楽曲を制作する時にはまずタイトルを決める、という話をしているが、そもそもこの、「ワンピース心中」というタイトル。これを考え付いた時点でもう優勝だと思う。もちろんそれは、某少年漫画の名前がタイトルに入っているからではない。『昭和元禄落語心中』という漫画があったが、「心中」といういかにも時代物のような言葉に、ワンピースという洋服の名前をドッキングするというのは、「漢字+カタカナ」をタイトルにするのが得意な椎名林檎嬢をしても到底思いつかなかった発想ではないかと思う。
さて、『ワンピース心中』(以下「ワンピ」とする)について語る前に、まず私と太宰治との出会いについて触れておかねばなるまい。
私が太宰治の名を初めて目にしたのはおそらく、小学生の国語の教科書か何かに掲載されていた『走れメロス』の作者としてだと思うが、その時点では自分の幼さのせいもあり特に印象に残ることはなかった。その後でより強く私が太宰の名を意識したのは、ある日図書館で見つけて借りてきた、様々な歴史上の人物の生涯についてコンパクトにまとめられたムック本を読んだ時であった。
その本の太宰のパートに書かれていたのは、数々の有名な小説を世に残した作家であると同時に、妻子がある身でありながら、若い女性と不倫の末にふたりで玉川上水に身を投げて「情死」、つまり心中したということであった。子ども心に初めて聞く「情死」という表現の不可解さとインパクトがすごくてとても印象に残ったのを覚えている。単純に「情死」という意味の分からない死に方は怖いなと思った記憶と、これはなんだか社会的によくない、モラルに反したような行いをした人なのかなと思った。しかし、私自身はそこに特段の嫌悪を感じるようなことはなく、むしろ怖さとともに強く興味を惹かれる言葉でもあった。
そんな死に方をした人だというイメージだけが残ったまま、私も青年となり、やがて近代文学にも触れる機会が多くなって、『斜陽』や『人間失格』といった太宰の著作を読み、背景についても考察ができるようになって、ようやく彼の心の機微というか、なぜそのような生き方をした人間なのかがなんとなく推察できるようになった。
退廃、破綻、虚無、皮肉、哀愁、放蕩、逸脱、虚栄。太宰という作家を日本語で表現すれば様々な言葉が思い浮かぶし、彼に関しては、あくまでも個人的な感覚ではあるが何を考察しても結局文学よりも生き様そのもののほうがまさってしまうような気がする。しかし、そのことが私にとっては他のどんな作家よりも強く興味を惹かれる要因にもなっており、ワンピもまた、そんな太宰という作家と作品をテーマにしているというか、作詞者の天馬さんがその歌詞によってイメージの大部分に太宰感をまとわせたことで、私にとって太宰と同じように強く惹かれる楽曲となったのは間違いないと思う。
また、個人的な話になるが私がまだコロナ禍の2021年初頭、再就職のための面接に訪れた地が太宰が最期の地に選んだ三鷹であった。面接の帰り道、太宰の墓がある禅林寺に詣り、今はとても入水自殺などできそうもない玉川上水を駅前広場からぼーっと眺め、将来への不安なども覚えつつ電車に乗り込んだ記憶がある。
余談はさておき、ワンピはどこを切り取っても好きな歌詞ばかりで困ってしまうのだが、先日『話す、松永天馬』というトークイベントに参加した時に天馬さんが話していた作詞術の一つに、「取りこぼした言葉をRAPに全投入」というものがあり、このワンピにそれを当てはめてみたら、『斜陽』といった太宰の作品名や、「ワンテークでキスして ワンシーン、カット飛ぶのさ」といった映像的イメージ、「心中 しゃぼんの夢」「お命ください くれないナイフ」(ください、くれない?=紅のナイフ、からのワン、ツー、ピースよごしてさ…なんと秀逸で語感もよい言葉遊びだろう!)といった情景イメージなど、メロディに乗せ切らなかったものが詰まっており、とても興味深かった。無論、RAP部分以外にも「玉川上水」や『グッド・バイ』、「あなたひとり Dog Die」など、具体的なイメージを植え付けてくる歌詞は枚挙にいとまがないが、RAP部分でそれらのエッセンスがぎゅっと凝縮されているような感じがする。
しかしながら、私がワンピの歌詞においてもっとも好きな部分は「大事」なのである。
「明日よりも今日が大事」、「おしゃれに死ぬことが大事」、「言葉よりも恋が大事」、「恋に生きることが大事」、ライヴでワンピが演奏される時、この部分の振り付けでよこたんはぐっと手を握る。「大事」を表現するように、力強く手を握り締めるのである。人の生死などいつどうなるかわからない、この世は無常だからこそ、いつでも今日を「大事」にしていきたい。そこまでならありふれた自己啓発本のようでもあるが、そこに天馬さんが「おしゃれ」「死」「恋」といったワードをからめてきたことによって一気にアーバンギャルドらしさが生まれたと私は思うし、振り付けの力強さも含めてそこが本当に好きなのである。
ワンピの完成までにはメンバーの脱退やレコード会社の移籍といったバンドを取り巻くトラブルに数多く見舞われ、作曲者のよこたんも体調も含め苦しい状況が続いていたようだが、この楽曲の最高のメロディと、誰が聴いてもぶち上がらずにはいられない天才的なイントロが、そのよこたんの苦悩から生み出されたものだと思うと私は涙を禁じ得ない。
その素晴らしい楽曲に天馬さんの言葉、歌詞という魂がしっかり乗り移り、そして当時は正式なメンバーではなかったがきっと縁の下で大変なサポートをしていたであろうけいさまの力が結集したことによってワンピが無事に世に出た、爆誕してくれたことには本当に感謝の気持ちしかない。
代表曲なのだから当然のことではあるが、ライヴで演奏されることが多いゆえ、長く聴き続けているファンの中にはワンピがセトリに入っていると「またか」と思う向きも少なからずいると思うし、その気持ちもまったく分からないわけではない。ただ、もはやワンピはアーバンギャルドにとってたくさんの楽曲の中のひとつではなく、唯一無二のアンセムのようなものになっていると私は思う。だから極論を言えば毎回演奏されていても不思議なことではないし、特に、「これがアーバンギャルドだ!」と未知の観客たちに武士の果たし合いがごとく大きく名乗りを上げるような対バン現場でこそ、ワンピは強く光り輝くし、とても「大事」な楽曲なのである。
私はいつも『ときめきに死す』がアーバンギャルドの楽曲の中で一番好きであると公言して憚らないが、ワンピに関してはもはや別格、殿堂入りのようなものだからあえて明言していないだけで、昨今の激しいノリが楽しいことも含めて、ライヴでワンピがセトリに入っているともれなくテンションが上がってしまう。大好きであり、とても愛すべき楽曲である。ワンピの歌詞のように私は今まで、何度でも何度でも間違えてここまで這いつくばるように生きてきたが、そんなどうしようもない人間の地獄にもちゃんと光はある。アーバンギャルドを追いかけているとそんな風に思わせてくれるというのも、この絶対的アンセムがあるからこそなのではないかと思う。
かつて、Twitter(現・X)で「ワンピース心中」と検索すると、「心中」というワードのためか自殺防止センターのメッセージが出てきていささか困ったものだが、今はそれもなくなった。いやそんなことを言われずとも、私は自分の思いをこうしてそのまま伝えている。
天馬さんは太宰よりも坂口安吾のほうが好きだとたまに話しているが、それは熱量の違いというか、辛くてもどこまでも這いつくばって生きていくぞという思いが安吾のほうに感じられるからではないかと思う。ワンピを聴いていると、もちろんイメージとしては太宰をおおいに引用していながら、天馬さんはむしろ安吾のように「あちらこちら命がけ」だぞと私に語りかけてくる。だから私も仕方ないもう少し生きてみるか、みっともなく生きさらばえてみるか、という気分になる。それが、私にとってどれほど大きな支えであるかは、言に尽くしがたい。
『ワンピース心中』10周年、おめでとうございます。そして、10年間ありがとうございます。
歌詞とは矛盾してしまうかもしれませんが、これからも生ある限り、どうか末永く。
<了>