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二、クジラとランニング青年ともみじ饅頭
上野公園に巨大な西郷隆盛の像があることは有名だが、そのすぐ裏には彰義隊のお墓がある。一言で言うと西郷と彰義隊は明治維新が成立する直前でめちゃくちゃ敵だった。そしてこの現在の上野公園の山を舞台にした上野戦争で戦い、彰義隊は負けた。江戸は徳川幕府のお膝元であったが、上野での彰義隊の敗北は、西郷率いる新政府軍が江戸の新たな支配者として君臨したことを江戸っ子たちに知らしめた。
それがなんの因果か時代を下ってのちに、目と鼻の先に敵対した二者の銅像とお墓が建ってしまったのだから、上野のお山というのは非常に不思議で因果な場所である。
私が日本史に興味を持って本を読んだりするようになったのは大学を卒業してしばらくしてからで、ようはここ数年のことなのだが、彰義隊も幕末関連の本を読んで初めてその名を知った。新撰組なんかに比べると知名度は高くはないようだが、徳川幕府側で最後の将軍のために戦った侍たちである。
そんなこんなで歴史関連の古本や戦前の女性誌、少年少女雑誌、はたまた浮世絵まで、日本の古い紙ものが仕入れ先の古物市場で出てくるとほくほくしながら観察している。明治時代ぐらいまでなら結構出てくるものなのだ。
古物市場は競り、つまり一番高額をつけた人が落札できるので狙っていたものが買えるとは限らない。気になるなと思って様子を伺っていた品物があっという間にウン万やらウン十万になって、私のような若輩者が失礼しました……と小さくなることも常々である。
専門家たちの隙間をぬってうまく競り落とせたときは自分で読んだり眺めたりするのも楽しみだが、商品として上野骨董市のときに店先に並べてみると、これが想像以上に幅広くいろんな人が興味を持って手に取ってくれる。特に着物を着た女性が表紙の「主婦之友」や「婦人倶楽部」といった女性誌は日本語が読めなくても目に楽しく、海外からの観光客にも非常に人気だ。
上野骨董市のお客さんは、骨董市目当てで出かけてきてくれる数十年来の常連という古い物好きの人もいれば、美術館、博物館、動物園帰りの人、全世界からの観光客、不忍池の反対岸に住むご近所さん、季節によっては芸大や東大の新入生歓迎会にさっき出ましたという若者などさまざまで、良い意味でたまたま通りかかっただけの人もかなり多いのが面白い。
この日もすでに、五月の会期の終盤にさしかかった天気のいい夕暮れ時だった。
不忍池のまわり一周はきれいに舗装されており、朝夕はランニングやウォーキング、犬のお散歩の人たちで賑わう。
ゴールデンウィークも過ぎ去った普通の平日にしては日中は比較的忙しく過ごし、さてひと息ついておやつのお徳用六個入りもみじまんじゅうでも食べようかしらと腰を落ち着けたところだった。
今回私は店先の目につきやすいところに古本・紙ものコーナーを設置していたので、ランニング青年の視界にそれがヒットしたらしかった。スポーツウェアで颯爽とテント前を駆け抜けようとした一人の青年がびよーんと急激に踵をかえして私の店先にしゃがみ込むと、勢いそのまま古本、古雑誌をほじくり始めた。
おぉ。おたくそういうの好きなのね。きっと私と気が合うわよ。と遠目に様子を伺いつつ、いらっしゃいませ〜。と私が店の者であることをアピールする。
しばらくして、もみじまんじゅうの染みる甘みにやや意識を持っていかれていたところに、「Hi.」と声がかかった。
彼は東洋系の顔立ちをした英語を話す人で、私に合わせて簡単な英語と少し日本語も混ぜてこのようなことを言った。
この興味深い本をぜひ購入したいが、今はランニング中でお財布を持っていない。この後お金を払いに戻ってくるから、待っていてもらえるだろうか。「I'll be back.」というセンテンスだけはっきり聴きとれた。
その手には彼がチョイスした『画報近代百年史』というシリーズが十冊ほど束になって抱えられていた。
私は、今日は六時頃には閉店するからそれまでなら大丈夫、もし明日もあなたが来なかったら商品はお店に戻すということを拙い英語で伝えると、もちろんオーケー、すぐ戻ってくるよ。とニコッとして、登場と同じスピードでぴゅんと去って行った。
子供の時、おじゃる丸と忍たまの前座くらいな気持ちで英語の教育番組を観ながら、英語を話せるようになったら海外旅行に行った時に便利なんだろうなあとなんとなく想像していたが、私が大人になると逆だった。日本にやってくる英語話者の人たちとこんなに話しまくる人生になるとは。骨董市での接客は美大受験のときにやった多少の英語とあとはパッションで意外とどうにかなってしまうので、もっと英語勉強しなきゃなぁと思ったまま何年も経ってしまった。
お客さんというのは予測不能な存在なので、予測不能であることもある程度受け入れてやっていかないといけない。果たして先ほどの彼、本当に戻って来てくれるのだろうかと考えながら小さくなる背中を見送っていると、背後から生きてるかーとお馴染みの挨拶で会長がやってきた。
挨拶が生存確認なのは全国でも上野骨董市だけだろう。特にお正月骨董市などでは、とっぷり日も暮れてしんみり雨まで降ったりすると、一人テントから闇に沈む不忍池の水面を見つめているうちに、私って今生きてる?と思う瞬間があるので、この挨拶はあながちおかしくはないのだ。そんな。
生きてますよーこのとおり、と応答すると、上野を迅速に移動するためのキックボードに乗ったいつもの姿の会長が、テミさんこれ。と小脇に抱えてきた平たくて長い物体を見せてくれた。
「こないだ言ってたナガスクジラの加工するまえのヒゲ板。」
「えぇ、これが!」
初めて目にするそれは、クジラのヒゲだと言われなければ一体なんなのか私には想像もつかなかっただろう。手渡されると存外軽い。
全体は長さ八〇センチか九〇センチ近くあるだろうか、曲線を描いてややねじれている細長い二等辺三角形のような形で、平たくて大きな翼のようでもある。はしっこの方はふさふさした毛のような細い繊維状になっていて、超巨大なたけのこの皮の方が似ているかもしれない。よーく見るとその板自体がこのふさふさした細い繊維の緻密に並んで固まった集合体であることが分かる。
板ゼラチンみたいな丈夫そうなしなりもあって、熱を加えて成形できるタンパク質であるというのがなんとなく納得できる質感だ。
色は先端ほど濃い黒っぽい色で、太い側はやや透け感のあるベージュかイエローっぽさもあり、べっ甲の製品の雰囲気にも似ている。
「ちょっと昔まではクジラが獲れる地域に行ったらこういうのがこのまま飾ってあったりしたんですよ。俺らくらいの年代だとそういうの見たことある人もおるけど今の人は分からんやろうな。」
「初めて見ました。なんかよく分からないけどおもしろいですね。」
裏を見たり表を見たり、先端のふさふさしたところを指でなでてみたり、ちょっと匂いを嗅いでみたりしながら言うと、そうやって興味もったもんは自分でなんでもよく調べるんや!それが古道具屋や!勉強せい!と何度目かも分からない台詞を浴びる。ちなみに匂いは無臭だった。
「これっていくらくらいなんですか?」
「まあ売るときは八千円以上はつけるかな。テミさん欲しいんやったら三千円で良いですよ。」
そして私はなんとなくこれは買って持っておいた方がいい気がして、特に私にとって用途があるわけでもないが三千円でクジラのヒゲを譲ってもらった。なんだか連日こんな具合なような。
とりあえずそのまま自分の店のテント内の棚の高いところにぽんと飾ってみた。
そこに、おつかれさまでーすとM先輩がやってきた。
「会長探しましたよー。そろそろ集金に回る時間です。」
M先輩は会長と共に上野骨董市を運営してくれている役員さんの一人である。この役員メンバーは現在、会長のところで弟子として修行をし、無事独り立ちした元弟子チームで構成されている。とは言ってももうひとりI先輩を入れて、会長、現役の弟子っ子Aさん、で計四名で運営しているようだ。
毎日午後六時ごろになると会長とM先輩で各テントにその日の出店料の集金にまわり、お疲れ様でしたーと一日の業務が終了となる。
数年前私がお客さんとして上野骨董市をぶらぶらしていたころ、そのときが独立後初めてのひとり出店だったM先輩に出会った。そもそも古物業界で同年代のしかも女性って初めて出会ったし、こんな私と同じくらいの歳の人がひとりで骨董市にお店出しててすごいな……と勝手に感動していた。
M先輩のテントで私が品物を見ているところに会長(その時はもちろん会長とは知らない)がふらっとやってきて、M先輩に話しかけていたのだが、手に持っていた袋の豆だかあられだかを盛大に溢してぶちまけて、店の前にハトがウワーッと集まり大変なことになっていた。
その様子を見てなんかもしかしてこの若手の女性業者さんおじさんにいじめられてる……?とその時は心配になったのだが、後からこの人たちは師匠と弟子でまあツーカーなのだと知って安心した。
集金が終わるとほとんどの業者さんたちは各自テントをシートでぐるぐる巻きにして、ぎっちり紐で縛って帰路に着く。そしてまた翌日の朝テントを開けるところから仕事が始まる。日付を跨がなければ夜までお店を開けているのは自由なので、大抵M先輩が一番遅くまで明かりを灯して夜の骨董市をやっている。
今日の出店料も無事お支払いして、ジョギング青年の帰りを待つ間、さっきのクジラのヒゲについて言われたとおり少し調べてみることにした。
気がついたらすでに四個目になるもみじ饅頭の透明のフィルムを剥きながらヒゲ板を膝に乗せ椅子に腰掛ける。
そうそう、とウエストポーチから虫眼鏡を取り出してレンズ越しにヒゲ板をのぞいてみるが、なんかちょっとこの仕草間抜けな気がする、と恥ずかしくなり一旦虫眼鏡は置いて、「クジラ ヒゲ」と検索してみた。
「くじら博物館デジタルミュージアム」( https://kujira-digital-museum.com/ja/categories/16/articles/ )というサイトのあるページがヒットした。
「クジラのヒゲってどんなヒゲ?」という題で始まるページである。
「世界中の海には現在、十数種類のヒゲをもつクジラの仲間がいると言われています。ヒゲをもつクジラの上あご両側には数百枚のヒゲ板が生えていて、その色や形はクジラの種類によって様々。クジラのヒゲは生きている時は弾力があり、よくしなります。その主成分は、私たちのツメと同じ「ケラチン」と呼ばれるたんぱく質で、三角形の形と毛のような繊維質が特徴です。」
これのヒゲ板が数百枚!改めてクジラの躯体のスケールに驚く。
そのサイトの色々なページに飛んでみると、くじら博物館は日本の古くからの捕鯨の拠点であった和歌山県の太地町にある町立博物館ということだった。イルカやクジラのショー、餌やりなどふれあい体験もできるようだ。
クジラにはヒゲクジラとハクジラの二種類がおり、ナガスクジラなど大型で口の中にヒゲをもつものがヒゲクジラ。歯をもつものがハクジラである。ハクジラのうちより小型なものがイルカと呼ばれる。ショーをやるのはこのハクジラたちである。
クジラやイルカがとても頭が良い生き物であることは有名だが、新人のイルカトレーナーが来るといじめたりするらしいよ、と以前パートナーから聞いたことがある。人間をイルカがいじめる!?なんだそりゃと驚いて聞くと、練習ではちゃんとジャンプするのに本番のショーではシカトしたりするらしい。とてつもない知能だ。
「くじら博物館デジタルミュージアム」のページをどんどん巡って行くと、「絵巻デジタルアーカイブ」( https://kujira-digital-museum.com/ja/categories/13/articles/ )というのがあって、江戸時代(十九世紀)に描かれた紀州や太地での捕鯨の様子や鯨の種類、解剖した図などの絵巻物が広げられた状態で画面上で見られるようになっていた。なんだこれ。すごい。
帯状の絵巻をスマートフォン上で指でぐいぐい広げていくと絵の細かい部分まで見ることができる。(ぜひアクセスして見てみてほしい。)
「太地浦鯨絵図」という絵巻を端からズームアップにして見ていくと、頭蓋骨や、ヒレの骨の図のなかに、今私が手にしているのと似た黒くて長いヒゲ板の絵があった。その隣にはクジラを真横から見て骨と内臓だけのスケルトンにしたような図解があって、口の中にヒゲ板がブラシのようにびっしり並んでいる様子がよく分かった。
左から右に絵巻を進めていくと、次は分厚い皮をめくって赤い肉の見えた図、次からは太地で見ることができる、または捕鯨の対象となる鯨たちの全身像がその名前と一緒に順番に描かれている。
背美鯨、ツチ鯨、沖牛頭、長須鯨……。おそらく実際の大きさに照らし合わせてそれぞれ大きさを変えて図解にされており、長須鯨は他のクジラたちの倍くらい、ひときわ大きく描かれていた。その大きな全身のうち、四分の一ほどを占めるのが頭である。頭というかそれはほぼ口で、海中で大きくアゴを開いてその中の摂食器官であるヒゲでプランクトンを大量に取り込むのだろう。
上下に開くアゴの付け根というのか、人間で言うと口角のところに、身体と比較すると非常に小さな眼がある。
絵巻に描かれたクジラたちの眼は一様に、何かを語りそうな独特の翳りともみられる表情がある。可能な限り大きく拡大して長須鯨の眼を見ていたら、白眼が描かれているから表情を感じるのか?と思った。人の眼のように、アーモンド型の目の中に白眼があり、小さめの黒眼が真ん中に浮かんでいて、やや目を見開いているように見える。
絵巻の一番終わりには捕鯨に使われる勢子船という鮮やかに彩られた手漕ぎの船や、鯨を仕留めるための槍の絵があった。
他の絵巻にもどんどん目を通していくと、たくさんの船が海に出て鯨と格闘する漁の様子が時系列で描かれているものや、当時の太地での集団での捕鯨の様子、船に乗っているふんどしに鉢巻の人々の顔まで見ることができた。
船に乗り込み、二〇メートルもあるクジラと命のやりとりをするとき、クジラの目はどんな色をしてこちらを見るのだろうか?
「What is this?」
急に話しかけられてびっくりする。顔を上げるとランニング青年の黒い瞳がこちらを見つめていた。気がついたら辺りももう真っ暗だ。見応えのある絵巻物のデジタルアーカイブに、随分夢中になっていたようだ。
それ、というように彼は私の膝の上のヒゲ板のことを指し示した。
「ああ、えーと、ホエールズ、ヒゲ?ヒゲってなんで言うんだろう。」
スマホでクジラのヒゲ、英語、と検索して出てきた画面を彼に見せる。whale baleenと言うらしい。彼は意外そうな顔をして、見ても良い?と言うのでヒゲ板を手渡した。私と同じように不思議そうな顔で裏表と観察する彼に、あ、そうだと虫眼鏡を見せて、ディス、マテリアル。と言うとオー!と感嘆してくれた。ヒゲ板の存在意義を理解してくれたようだ。
取り置きしてきた古本類のお代を受け取って品物を袋に入れて渡すと、彼は来週の便で帰るから、今日ここを通ってよかった、いい買い物ができた。ありがとう、的なことを言ってくれた。私も気に入っている品物だから嬉しい、テンキューソーマッチ。と答える。
そしてふと思い出したというように彼が、
「There is a whale in Ueno Park.」と言った。
上野公園にクジラがいる?
私が完全に頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、上野の山の上の方を親指で指しながら「Science museum.」と言った。おお、なるほど、科学博物館にクジラがあるのか。東京出身なうえ、最近は上野に年に六〇日以上居るのに科学博物館に最後に行ったのはたぶん小学生三年くらいで、もうさっぱり記憶がない。上野のクジラ、見たいな。
彼はこの近くのホテルに滞在していて、毎日のランニングで上野公園の奥深くまで探索したらしかった。西郷像のことをクールだと言っていた、気がする。
古本入りのビニール袋はだいぶ重そうだったが、小脇に抱えると「Thank you.」と元気にまた走って帰っていった。
再びテントに一人になった私のポケットでスマートフォンがブーと振動する。開くとパートナーからメッセージが来ていた。
「クジラ買っていい?」
三〜五章は文学フリマ東京で頒布の「上野とクジラ」に収録