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「小さな頃は科学者になりたかった」橋本社長インタビュー(1/4)

みなさんこんにちは、てまりノートです

てまりノートでは、てまりグループで働く「人」にフォーカスを当て、私たちがどのような想いを持って仕事をしているかを発信していきます。

第1回は、てまりグループの代表取締役 橋本昌子社長のインタビューをお届けします。
生い立ちから現在に至るまで「どのような想い」で歩んできたのかを、インタビューしました。


橋本昌子(はしもとまさこ)
てまりグループ 株式会社スパーテル 代表取締役


薬剤師として、病院、製薬会社、薬局に勤務した後、2007年に株式会社スパーテルを設立。「日本一親切な薬局」を目指して、「てまり薬局」を展開。グループ16店舗を運営。2011年に福祉事業部を立ち上げ、住宅型有料老人ホーム「ひなの家」を運営。
薬剤師 / 金沢大学大学院医薬保健学総合研究科・博士(薬学) /  介護支援専門員 / 石川県中小企業家同友会 特別理事 / 公益社団法人石川県薬剤師会 副会長 / 金沢大学非常勤講師 / 北陸大学非常勤講師

PROFILE


ーー社長の生い立ちを教えてください。幼少期はどのような環境で育ったのでしょうか?
能登半島の珠洲市で生まれ育ちました。両親は小学校の教員で、父は児童文学者として児童書を何冊か出版したり、母は俳句を一生懸命やっていたり、文学的なことが好きな両親でしたね。

私は両親の影響を受けず、どちらかというと理系に憧れを抱いていました。小さい頃に読んだ本がきっかけで、小学校低学年の頃は漠然と「科学者」になりたいと思っていました。

ーー中学、高校ではどのような学生生活を送っていましたか?
私が中学生の頃に母が「薬剤師っていいわ」と言い出し、薬剤師という仕事があることをその時初めて知りました。

中学では薬剤師、高校ではコンピューター関係の仕事に興味があり、将来はどちらかの道に進みたいと思っていました。

両親は「女性が一生涯働くには資格をもつことが大事」という考えで、コンピューター関係よりも薬剤師の方が良いのではという意見でした。今思い起こせば、確かにその考えは正しかったと思います。

親戚を見渡しても教員が多く、女性でも仕事をすることが当たり前の環境だったこともあり、家庭に入る道は考えていなかったですね。

高校卒業後は、薬剤師を目指して薬学部がある大学に進学します。

ーーお母様の一言が薬剤師を目指すきっかけになったんですね。大学は初めから石川で考えていたのでしょうか?
本当は上京したくて東京や大阪の大学をいくつか受験しましたが落ちてしまい、金沢市内の大学に進学しました。

薬学部に進みましたがコンピューターにはものすごく興味があったので、大学入学後に自分でパソコンを買ってプログラミングの勉強もしました。



ーー大学時代はどのような学生でしたか?
あまり真面目に勉強する学生ではなかったですね。大学の友人はみんな仲が良くて、色んなところに遊びに行っていました。勉強熱心な仲間ではなかったですが、今でもつながりの強い人たちです。

当時の薬学部は4年制でしたが、そこまで授業が難しいというわけでもありませんでした。今の薬学部の方が勉強がハードだと思います。

ただ、資格を取る必要があったので、試験や国家資格の勉強はしっかりやっていました。

ーー一般的な大学生と同じく大学3年生頃から就職活動を始めたのですか?
いえ、全くそんなことはなく、「まずは薬剤師の資格を取りなさい」といった雰囲気でした。

当時、医薬分業がほとんど進んでいなかったので調剤業務はゼロに等しい状態。薬剤師の就職先といえば病院が当たり前の時代でした。

実家が薬局なら薬局で働き、それ以外は製薬会社(MR)の営業になるといった感じです。ただ、女性の営業職はほとんど存在しなかったので、就職するなら病院でしたね。

両親には地元の病院を勧められました。私自身の気持ちとしては、地元での就職は検討していませんでしたが、だんだんと「地元の病院で働くのもいいかもしれない」と思い始め、帰郷して珠洲市の総合病院で3年間働きました。

▶第2回に続く:第2回


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・インタビュアー   ー T.A(Square,Inc.)
・ライター      ー MINORI TEJIMA(Square,Inc.)

取材・構成



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