#高石市の事件を考えよう ②「女消し」への最大の抵抗を始めよう。

「絶対に許さない」と一日に何度も心のなかで唱えるけど、
怒りはどこまでも空虚だ。
だってもう事件は起こってしまった。
いや、ほかにも、逮捕されていないだけで
ツイッターでも友人たちからも、被害の声は聞かれていた。
ようやく、逮捕・起訴・報道までたどりついたのが今。

「差別だ」の声にせき止められてきたものが
極限の、
岐路に今、私たちは立っている。
このタイミングであの報道を出してきた記者たちも
もしかしたら、もう黙っていられなかったのではないか
と、
思いたい。

LGBT理解増進法が、国会では進行中だ。

被害者の女性たちに、私がしてあげられることは何もない。
だけど、未来の被害を防ぐことは、まだできる。
絶対に許さない。
黙らない。
ここで立ち止まったら、高石市以上の事件が必ず日本のあちこちで起きることになる。
止まらないでほしい。
黙らないでほしい。
なかったことにしてはいけない。

この女の「身体」という事実を、無視しようとする人たち。
作家、笙野頼子さんは「女消し」と呼んだ。

「性別は自己申告で、男から女に法的に変更できちゃいます」
「心のありかたで、男でも女です!」
といった曖昧模糊とした、しかし権力の色でどろどろなものに変えられて、
塗り替えられて、上書きされるということは

この女の体に起きる
産まれてから死ぬまでのすべて、
骨になってからも残るすべて、
生理や妊娠や出産、
痛み、血を流し、傷をつけられ、
産み、産ませられ、
知らぬ間に減点され、
コルセットを締められ、
足を変形させられ、
薬をもらえず、
選ばせてもらえず、
仕事をもらえず、
制限され、殴られ、
嘲笑われ、軽んじられ、
なかったことにされ、
触られ、犯され、
脅かされても、
あいまいに笑ってごまかすしかなく、
飲み込んで、
楽しみも、苦しみも、どんな心でも関係なく、
努力しても立ち直ってもそれもすべて
相手の欲と力の前に一瞬でたわむれに
折られ、踏みにじられ、殺され、
殺されてからも犯され、
それでも

なんとか生きて生き延びた女達の末裔の、
私たちもまた、彼女らと同じ身体をもち、
同じ扱いを、
連綿と いまだ受けているこの世界で、
それでも幸福を見つけながら手をつなぎまたは
孤独でもなんとか
生きている人格ごと
過去の彼女らの歴史ごと
「どうでもいい」ものとして扱われるのと同じことだ。

そしてこれからも生まれてきてしまう人間のうち
半分をしめる女の子たちに、
これまで以上の
ひどい世界を手渡してしまうことにほかならない。

そしてあいつらは、
言葉や表記上で「女の身体をもつ女」を無視し消し去り
声を奪い存在を奪い、
行動を制限しながら、
けして「女体を使う」ことはやめないのだよな。
知っている。

いつか人口子宮が開発されて、腕力そのほか見た目もすべて
なにもかもただの個性の範疇になり、
男女の枠組みなんてなくなる技術力を人類はついに
手にするのかもしれないが、
多分そんなふうに「平等」になんて絶対させてはくれない。
男と女の差を残したまま、差がないかのように、
「女である特権」を寄越せ、
と はらわたまで突いて喰らい続けられるだろう。

もう私たちごと滅んでしまえよと心から思う。
でもどうしても、生きている、産まれてくるこの限りにおいて、
私は絶対に許さない。
私は絶対に、男の権力で私たち女を上書きする権利を
誰にも許可しない。

これを読んでくださっているあなたは
できる範囲で、できるかぎりの抵抗をしてほしい。
お願いしなくても、もうやってくれていることばかり。
ツイートをするもいい。
PTAでひとこと、事件について話してみるもいい。
友達、職場、親子で。
こんな事件があったんだって。
と話してみるだけでも十分な抵抗だ。

自治体の議員に、あなたのすこしの一言といっしょに、
事件の記事のアドレスをメールしてみよう。

新聞や文春などのメディアに声を届けてみてもいい。

できるだけのことを、できる範囲のせいいっぱいで、
「ごく普通の一般の、何もまだ知らない人たち」に
いま何が起きているか、その目で見てその頭で考える機会を
私たちひとりひとりが
たったひとつでも渡す、

黙らないこと。
許さないこと。

それがこの卑劣な「女消し」への、いちばん大きな抵抗になるはずだ。

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