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高校日本史 平安時代

「社会人のための高校日本史」は、高校の日本史をベースにして高齢者大学の日本史講座向けに作り直した動画です。このシリーズは平安時代。桓武天皇の平安遷都から藤原道長の摂関政治まで時系列になっています。

聖武王家の後継者たる男子は他戸親王一人であった。称徳天皇が崩御すると光仁天皇が即位、他戸親王が皇太子になる。しかし、井上皇后・他戸親王親子は廃されて非業の死を遂げる。新たな皇太子は後の桓武天皇。桓武天皇は聖武系の平城京から平安京に遷都した。

平安前期、藤原氏が外戚となる摂関政治が定着した。桓武天皇の時代は藤原式家が優勢であったが、嵯峨天皇の時代に藤原北家に交替する。また、桓武・嵯峨が構築をめざした皇統二本立て構想は嵯峨天皇の崩御とともに挫折、直系天皇に藤原氏の娘から后が入るという形が定着した。

武士は文士とともに下級貴族や侍層から生まれた。承平天慶の乱が起こると、朝廷は平将門・藤原純友を鎮定するため平貞盛・藤原秀郷・源経基を派遣する。乱の鎮圧に成功した貞盛や経基は軍事貴族へ成長する足がかりをつかむ。清和源氏・桓武平氏は受領を歴任しながら実力を蓄えていった。

藤原北家は外戚の地位を確立し、北家内部の争いに移った。藤原道長は摂関政治の全盛期を実現し「この世をば、我が世とぞ思ふ」と詠む。が、意外なことに道長は関白になったことはない。道長の生涯と摂関政治の仕組みを解説、道長の時代に書かれた源氏物語の定子鎮魂説を紹介する。

源頼信は平忠常の乱の追討使として関東に乗り込んだ。平直方は源頼義を娘の婿に迎え、河内源氏は桓武平氏が培ってきた関東の勢力を傘下におさめ、拠点の鎌倉を手に入れた。頼信の子、義家は、畿内の河内源氏と関東の桓武平氏のハイブリッドとして誕生、河内源氏の全盛期を築いた。

社会人のための高校日本史のマガジン

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