ブログ書くにはコツが要る【書けない時は何も書くな】
その昔のまた大昔、和食系のブログを書いておりましたけども
(消滅したワケじゃなく、今も存在してますが→手前板前)
2015年頃からblog更新をヤメちまいました。
その理由は一つではなく複数です(あれこれ事情がありまして)
個人的な理由は書けません。
ですが、パブリックというか言える事情をぶっちゃけますとね、
「料理と関係ない社会や政治のコトに言及しちまう悪いクセ」
が抜けないからです。
余計なこと書かなきゃいいモンを、我慢できないでブログに書いちまう
おいらのホンネは
【政治・社会は大衆が望んだ通りにしかならない】
【今の社会の姿は国民がチョイスした結果でしかない】
【この先、良くなっても、もっと悪くなっても、それは大衆が選んだ結果でしかない】
これはおいらのホンネであると同時に「真理」だと思ってますんで、
社会批判みたいな記事になると、話の落としどころは同じになってしまう。
blog書いた人は分かると思いますが、同じ内容を書くのは苦痛ですよね。「起承転結」で重要なのが〆(結)の部分。どの記事もそれが似たようなモンになるんです。そんな記事書けませんわな普通。
つまり、そんなホンネを持ってると、もう書けなくなってしまうんです。
一行も書けません。
書く前に結論があるってのは、書く前に話が終わってんのと一緒だからですな。
それならなんでnoteで新しい記事書いてんの!?
それはまぁ、アナタ・・・・・寂しいから、ヒマだから
いろいろ理由はありますが、
特に理由はありません(←耄碌爺の得意技)
ブログを書くコツ
ブログを書くコツはね、何も書かないコトです
何も浮かばないし文章生むのキツイ、
だからといってAIに書かせてもムダです。
世の中は「AI凄い~」みたいになってますが、とんでもない。
アレはまだまだポンコツですよ。
ディープラーニングとかナンとか大げさに言ってますが、電卓と同じ。
電卓はアンマリだとしても(笑) ポンコツ翻訳と同じくらいの程度ですわな。
ただ単に言葉をかき集めてまとめるのが上達してるだけ。
あるいは画像や映像をつなぎ合わせて合成するのが上手くなっただけ。
どんなに上手にまとめてみせたところで、前後関係が皆無なんです。
だから中身がすっからかんでコアの部分が無いわけです。
つまり、高等数学はスラスラ解けるが本質は幼稚園児にも劣るノータリンってこと。
そんなモンは人工知能といえるレベルではないんですよ。
人工知能とは何か
AIがどう進化するかを「知の巨人小松左京」が確実に描いて見せるSFの金字塔にして最大の巨編。
AI(人工知能)は必然的にAE(人工実存)へと進む
(自分のサイトの例で恐縮ですが、GoogleのAIは今もって人間と魚の区別すら出来ていない。魚のさばき方でエロ判定くらうとか、今でもしょっちゅうです)
今はまだその程度なんです。
(この程度でも大きな機関がAIで人間を峻別する方向に向かっているのが恐ろしい。この先世界中で人権侵害や命に関わるAIミスが多発するでしょう)
そんなモンに記事を書かせたところで誰も読んでくれませんな。
アホだって読みませんよ、そんなウソくせぇ記事なんか。
まして直近のコアアップデートで「AIが書いたモンを丸写ししたページは許しません」とGoogleが言ってますんで、検索ロボからも無視されるかペナルティです。つまりAI記事は書く意味がないんですよ、今はまだね。
ブログの記事で一番大事なこと
記事で最も重要なのは「言いたいことが有るかどうか」です。
そして「言いたいこと」が伝わるような文章になるかどうか。
その二つがない時はね、いくら記事を書いても無駄なんです。
中身のないゴミ記事書くくらいなら何も書かない方がよい。
何も書かないで他のコトをしてりゃいいんです。
でも、人間であれば言いたいことの一つや二つ湧いてくるもんです。
湧いてきて誰かに伝えたいと思う、衝動が起きる。
そのタイミングで記事を書くのですよ。
そうすれば「中身のある記事」になる可能性が高くなる。
ハウツーを除く普通のブログで、人に読まれるような記事は、感情があるかないかです。感情のある記事を書くには、書く人もある程度感情的になってなきゃいけない。
相手に伝えたいコトがあるのなら、よっぽど支離滅裂な文章じゃない限り、ヒトが読んでくれるんです。