ボロボロになった本の話

読みすぎてボロボロになったあの子を買い換えるか悩んでいる。

確か中学1年生の時に購入して、常にスクールバッグに入っていた。それから約6年間、所謂「ぼっち」だった私の友達であったり、朝読書の本を準備するのを忘れた時の救世主であったりした。

同じ単語が連続されるページがあるのだが、私は初めてそんな本に出会ったし、そのページで初めて、本を読んで涙するという感情を覚えた。

知らなかった言葉の意味を教えてくれた辞書でもあった。ちなみに「エンゲル係数」。



何度何度何度読んでも未だに人に説明できるほど理解出来ていないのが物語の構成。対となる物語が2作品入っているのだが、パキッとわかれているのではなく、境目がグラデーションになっていたり、上からモザイクがかかっていたり、覆いあっていたりするような感じがする。

こんなつくりの本がこの世に存在するんだと、まだ大人の文庫本をそんなに読んだことがなかった当時の私はとても驚いた。今でもあまり出会うことがない(好みに偏りが強く守備範囲が大変狭いので読んでいないだけの可能性は大いにあるが)。


私は正直、とても、物を長持ちさせるというのが苦手である。自分的には丁寧に扱っているつもりで丁寧に扱おうと思っていても世間一般と比べたら雑極まりなかったり、不器用なところがある。これまで、何度カバンの中で意図せずぱんぱんに詰めた教科書に潰されて折れたり曲がったりしたことか。

約10年弱手元に置いていてもここまでボロボロにならない人の方が多かっただろう、きっと。
その点、私の元にやってきてくれた1冊には本当に申し訳ないと思っています。ありがとう。すみません。

でも取ってつけたような言い訳をあえてつけてみるとするならば、多分他のお家にお迎えされた子よりも貴方はとても開かれているしとても読まれているし持ち歩かれています。本としての役割は物凄く果たしていると思うよ。あと、私の涙も沢山吸ってる気がする。

ボロボロになっているこの本は、沢山読んだ思い出の証でもあり、ごめんねの証でもあるのだ。


ところで、買い換える、と冒頭で述べたが正確には買い換えるのではなく買い足そうと思った、である。あの子は表紙が綺麗で、本棚に並べるのに綺麗な方があるのもいいかなぁと思ったのだ。ただ、同じものが2冊、、、、不要。正直不要。割とそういう考えに至るタイプなので書店で綺麗なその子たちを見つけてはこの葛藤を続けている。

あとは…思い出も含めて、あのボロボロになった本もなんだか愛しく感じるような気がするから。読むのも並べるのも、あの子以外のその子たちにひとつも役割を譲りたくないという感情があるような気もしてきた。でも綺麗なその子たちには現在進行形で惹かれてしまう。これって浮気かな?怒られちゃう?許してくれ、愛情の形が違うのだよ。


結局私はこれからも「新しい本、買いたいな」と思いつつ、その新品の表紙に惹かれつつ、今あるものを抱きしめて過ごすのだろうと思う。私はあの子を生み出してくれた先生の大ファンなので、他のまだ買えていない本を買い足して揃えることで売上には貢献したいと思っている。そしていつか、決心がついた時には、新しい子と並べて飾るのもありかな。その時、今我が家にいる子には堂々と、なんならドヤ顔で本棚に並んでいて欲しい。



ストーリー・セラー/有川浩 (現 有川ひろ)

どうやらお茶こぼしたような跡も発見。まじごめん。
背表紙上の方だけで見ると他の子たちも大概かも。
(空飛ぶ広報室はまだ我が家では新入りさん。帯あるしね。)

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