原田マハの『太陽の棘』がやっぱり面白かった。
ニシムイ・アート・ヴィレッジ
戦後すぐの沖縄に、絵を描き続ける画家たちの集う集落があった。
"ニシムイ・アート・ヴィレッジ"
その存在を知ることができただけでも、この小説を読んだ価値があったと思う。
1945年の4月から6月まで続き、94000人もの一般市民の死者を出したといわれる沖縄地上戦。
その凄惨な様子はひめゆり平和祈念資料館や他の本を通じて知り、忘れられないものとして心に残っている。
まさか、あのように言葉では言い尽くせない悲惨なことが行なわれた地で、そのわずか数年後に、アートをする人々が生活していたなんて、信じがたいことだった。
タイラ・セイキチ
小説の中でニシムイの中心的人物として描かれているタイラ・セイキチ。
モデルは沖縄を代表する画家、玉那覇正吉だ。
玉那覇正吉 『老母像』
(引用元: https://okimu.jp/sp/art_museum/artists/1513611367/)
玉那覇正吉 『鳥たち』
(引用元:https://okimu.jp/sp/art_museum/artists/1513611367/)
読み進めながら調べて、すぐに出てきた作品。
とても好きな絵だ。
『太陽の棘』は、このタイラをはじめとするニシムイのアーティストたちと、軍医として働くアメリカ人の精神科医、エド・ウィルソンらの交流を描くものだ。(エドのモデルは実際に玉那覇と交流のあったスタンレー・スタインバーグ)
戦争とアート
従軍画家、というものが存在することも恥ずかしながらこの小説を通して初めて知った。
国民を鼓舞するような兵士たちの勇ましい姿を描くのだそうだ。
小説内では、従軍画家であったタイラの、描きたくないものを描かされた苦しみについても触れられている。
そして描きたいものが描けない、という状況は戦争が終わって故郷である沖縄に戻ってからも変わらなかった。生活のために彼らは米兵向けの、つとめて土産に適した明るい色彩の風景画などを多く描いたからだ。
そんなニシムイのアーティストの中で、1人、土産物的な絵を描かないキャラクターがいた。ヒガ、というその人物は、故郷沖縄で目の当たりにした情景をありのままに、彼自身の作り上げた抽象画のスタイルで描いたのだ。
"くりや、やったーが、んーちゃん現実やねーらに。"
これは、お前たちが、見た現実じゃないか。
彼にとっては誰もが目を背けたくなる沖縄のかなしみこそが、命をかけてでも描きたいもの、描かないではいられないものだったのだろう。
ヒガの描いた作品を契機に、エド、タイラ、ヒガの間に起こる事件はアートの本質と沖縄人の行き場のない悔しさ(悔しさという言葉では表しきれないけど)を象徴するものだと思う。
このヒガにモデルがいるのか、小説内で描かれた彼の作品が実在するのかは分からない。(実在するならみたい)
ただ、ニシムイのアーティストたちを画家の道へと導いた比嘉という人物がいるらしいので名前はそこから来ているのかも、しれない。
アートの力と沖縄の現実
原田マハさんの作品は本屋で見かける機会が増えたこともあって、結構読んだことがある。作品には大抵アートが絡められており、いつも読むまでは知らなかった素敵なアーティストに出会えて楽しい。
どの作品を読んでもアートの力を心の底から信じているのがまっすぐ伝わってくる。
本作のニシムイのアーティストとエドたち米軍の精神科医をつないだのもアートだ。
敗者と勝者、支配される者と支配する者。
"私たちは、互いに、巡り合うとは夢にも思っていなかった"
スタンレー・スタインバーグ
アートを通じて心を通わせる様子が描かれる一方で、少し現実的な干渉をし始めれば途端に相対立する二当事者になってしまう繊細な関係も描かれている。
あたたかい人の交流と、沖縄の地で起きた事実を突きつけるシリアスな面とがうまく絡み合う作品だった。
沖縄のアート、そして戦争のこと、もっと知らないとね。